イロイロ、あっても
ラッセルさんの教え 「何が「事実」で、 その事実が裏づける「真実」は何であるか、 だけを自分に問いなさい」 哲学者バートランド・ラッセルさんのコトバです。 わたしたちの目の前のものすべては、「事実」です。 …
お江戸流ランニングと、人生の楽しみを考える、脱力系ブログ
つれずれ雑記
ラッセルさんの教え 「何が「事実」で、 その事実が裏づける「真実」は何であるか、 だけを自分に問いなさい」 哲学者バートランド・ラッセルさんのコトバです。 わたしたちの目の前のものすべては、「事実」です。 …
飛脚走りのレース日記
タフにはなれない タフでなければ、生きてゆけない。 優しくなければ、生きてゆく資格がない。 レイモンド・チャンドラーが、名探偵フィリップ・マーローに語らせた名文句。 シブい。 一度でいいから、こんなコトバを…
飛脚走りのレース日記
カン もしかしたら、今年はじめてのフルマラソン。 例年参加させていただくレースは、ことごとく中止へ。 フルマラソンは、どこへいった。 そればかりでは、ありません。 ハーフマラソンも、同じ状況。 走れたのは、…
飛脚走りと身体感覚
最初から、棒 長く走っていると、足が「棒」になる。 走ったあとは、足が「棒」のようだ。 昔のヒトの表現です。 こうなると、もう「まっとう」に走れなくなります。 走るどころか、歩くのにも、往生です。 どう見て…
飛脚走りと身体感覚
ゾンビ 長い距離を走ったあとの、ランナーの姿。 それは、しばしば「ゾンビ」にたとえられます。 とくに、わたしのような、軟弱ランナーは。 ゾンビ化する。 ゾンビのごとく歩いている。 じつは、わたくし、まだ本物…
飛脚走りと身体感覚
ゆたかな無意識 わたしたちのカラダは、ゆたかな無意識活動で、支えられている。 こんなに長く生きてきて、やっと実感として、わかってきました。 それも、走ってきたおかげです。 意識が、ある。 意識が、とりしきる…
飛脚走りと身体感覚
見捨てない 長距離走後半におそわれる、身もココロも「尽きた」感覚。 いえ、尽きる感覚は、長距離走だけではありません。 仕事に、人生に、人間関係に、どこにでも。 ふり返ってみれば、尽きてばっかり。 でも、ちょ…
飛脚走りと身体感覚
挑戦心 なぜ、ウルトラマラソンなんていう、健康によくないもにひかれるのか。 ジョーシキがないから。 いえ、それをいっちゃあ、おしまいです。 世の中、理性ばかりで生きていたって、おもしろくありません。 わたく…
出会いの一冊、一場面
出会い なつかしさとの出会いが、人生に大きく響くことがあります。 あるいは、慰められることが。 忘れてしまったもの。 存在すら、気にならなくなっていたもの。 生きてゆくことは、タイヘンです。 目のまえのこと…
飛脚走りのレース日記
くだるのって、タイヘン 快調に、人生の坂道を、くだっています。 くだるのは、楽です。 一歩一歩、しがらみを手放してゆければ。 ここ1ヶ月、ご近所の坂道を集中して走ってみました。 そこで確認したこと。 のぼり…