ウルトラマラソンの酔狂

挑戦心

 

なぜ、ウルトラマラソンなんていう、健康によくないもにひかれるのか。
ジョーシキがないから。

いえ、それをいっちゃあ、おしまいです。
世の中、理性ばかりで生きていたって、おもしろくありません。

わたくしの、はじめてのウルトラマラソンチャレンジ。
それは、2013年4月20日。
名前もチャレンジ富士五湖ウルトラマラソン(100キロの部)。

それまで、フルマラソン以上のレースを走ったことはありません。
日々のランでは、30キロをこえて走ったこともありません。
でも、とりあえず、走ってみる。
とりあえずビールなみの軽さでのチャレンジでした。

そのときの一番の動機は「100キロを走ってみたい」。
100キロを走った光景を見てみたい。

まだ、かろうじて純粋な動機のもてるお年ごろだったのでしょうか。
いまは、動機といえば、心臓がドッキンしちゃって。
その動機じゃないんだってば。
(正確には、動悸です)

 



 

特別な感覚

 

最初のウルトラマラソンは、しんどさの連続。
とくに、フルの距離をこえてから。
多分、まったく新しい距離に入った、という心理的な要因も加わっています。

世の中には、すごい人種もおられます。
アメリカの超とんでも過酷なウルトラマラソンとして有名なバッドウオーターマラソンを日本人で初めて制覇した石川佳日彦さんのコトバ。
「100キロマラソンというのは、キロ5分を100本繰り返すだけでしょ」

ああ、そういうヒトもいるんですね。
こちとら、その1本だって、むつかしいのに。

で、最初のウルトラマラソン。
半分をすぎ、河口湖から西湖へののぼり坂は、完全なる歩き。
つづく西湖畔は、もうなんで走れているのか、よくわかりません。
半分、夢うつつです。

ときどき、ランナー間で「復活」というコトバが使われます。
ある瞬間をへて、ふたたび走りがよみがえってくる。

んなわけ、ありません。
復活には、1週間の休養が必要。
レース中に、そんな現象はおこりません。
そんな余裕は、どこにある。
甘い夢は、もちません。

ただ、だんだんとカラダが別の次元に入っている、という感覚は感じられました。
ふだん感じたことのない、特別な感覚。

 

 



 

別の次元

 

別の次元、なんていうと、ちょっとカッコいいかも。
最初は、なんとなく感じた感覚。

それが、何度かの100キロマラソンを経験するなかで、だんだんと確信みたいになってきました。

といっても、ぜんぜんカッコよくはありません。
なぜなら、それは「尽きた感覚」だったからです。

ああ、終わった。
体力は、尽きた。
エネルギーも尽きた。
そして、同時に、気持ちも尽きた。

」が出た出た、は三池炭鉱の上です。
尽きた」が出た出た、はウルトラマラソンの後半です。

ただ、それはコトバ上の概念ではなく、カラダを止めるブレーキでもありません。
それが、ウルトラ途中の「尽きた」特殊性、といってもいいのかもれません。

ああ、もう尽きてきている。
実際、キツイ。
何やってんだ、自分。
尽きた」感覚が、全身をおおいはじめています。

すると、実際には、どうなるか。

何も考えない。
何も感じない。
いえ、考えているし、感じているんです、非常に。
でも、それをキチンと受け止めるセンサーが、働いていない。

そういう状況にあって、脚だけは、前にすすめる。
歩かないぞ、とだけは念じている。

すると、カラダだけ前に動くんですね、一歩一歩
なんだか、不思議な感覚。
恍惚感、といえるほどではないのですが、決して苦痛だけじゃない。

こういう感覚は、味わったことはありません。
で、こういう不思議な感覚の中を、とりあえず走っている。

もう、体力は尽きているはずなのに。
気力だって、尽きているはずなのに。
根性なんか、もとから持ってはいませんし。
でも、走れている。
すんごく、遅いんですけど。

 

 



三池炭鉱

 

尽きるにこだわる

 

以後、ウルトラマラソンを走ると、この「尽きる」感覚と仲良くなってゆきました。
すぐに尽きてしまうわたくしには、この感覚に敏感なのかもしれません。
ああ、出てきた、出てきた。

そして、走りながら、ぼんやりと考えます。
この正体は、何なんだろう。
走ったあとにも、再現しようと考えます。

実際には、なにが「尽きた」のかな?

現象的には、2つの「尽きた」クンなのかもしれません。
ひとつは、「」が尽きる。
もうひとつは「空腹感」で尽きる。
ただ、どこか、しっくりこない感じはもっています。

まず、力が出なくなります。
痛いとか、疲れた、とかいう次元とはあきらかにちがいます。

濡れタオルをしぼれば、水がしたたり落ちます。
しかし、いつまでも水がでるわけではありません。
やがて、力をふりしぼっても、水は出なくなります。
そんな感じの、力の尽き方。

そして、不思議な空腹感
ふだん夕刻になってオナカがすいたな、というのとはちがいます。

なにしろ、ウルトラのエイドでは、食べ物もあります。
少しは、好物を携帯しています。
しかし疲労とともに、オナカは、たべものを受けつけなくなってゆきます。
でも、たべようとすれば、たべられます。
なのに満たされ感のない、ハラの底からわいてくるような脱力をともなう空腹感。

エネルギー切れ、といってもいいのかもしれません。
ただ、エネルギーというような抽象感ではない。

ふたつの「尽きた」クンをかかえて、交差するあやしい恍惚感
そして「尽きた」のに走れる不思議さ。

ウルトラマラソンからさずかった課題です。
正体を突きとめたいな。

 



 

たーさん
尽きてから 出てくる感覚 ウルトラ路

 

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