
生涯ランニングって、いつまで走っていたいの?

理想をいえば、自分のお葬式の1週間前まで。

大きくでたわね。
そんなこと可能なの?
そんなこと可能なの?

走る姿勢、の問題かな。

どんな姿勢だと、生涯、走っていられるの?

走りは、大きく2つの方向性に大別できると思うんですよ。

理屈は、ホドホドにしてね。

ひとつは、記録としての走り。
順位とか、タイムとか、を目指しての走りです。
順位とか、タイムとか、を目指しての走りです。

ふつうは、それが走りのモチベーションになるわよね。

モチベーションは大事ですが、モチベーションが途切れると、引退という事態もありえます。

引退かあ。ちょっとさみしいコトバ。

もうひとつは、自分との対話という走り。
走ることで、自分と会話し、自分を見つめられるんです。
走ることで、自分と会話し、自分を見つめられるんです。

こっちなら、引退がないってわけ?

はい、そうです。
自分の変化に応じた走りを楽しむ。
自分の変化に応じた走りを楽しむ。

でも、さすがに年をとったら、走るのは無理なんじゃないの。

必ずしも「強いもの」が生き残れるわけじゃないんです、自然界は。

強くなくても、生きてゆけるの?

強さよりも、自分の「変化」に適応できるワザが大切なんじゃないかと。

…………。
走ることは、苦しく、つらい。
走ると、カラダが痛くなる。
走ってみたけど、つづかない。
そんなふうに、走りをとらえる方がいらっしゃいます。
それは、走り方を忘れてしまったからじゃないでしょうか。
ほら、幼かったころ、遊びで駆けまわっていたとき、同じことを感じていましたか?
キャッキャと、笑って、走っていたんじゃないですか。
というより、楽しさが走りの原動力になっていませんでしたか。
全力疾走すれば、だれだって、息がきれます。
息がきれて、なお走る、というのは苦行です。
苦行とランニングを、同列にあつかわないでください。
自分の走りなら、息が苦しくなることは、ありません。
息が苦しかったら、自分の走りから離れている、と思ってください。
走ることで、身も心も、大きな「刺激」を受けます。
大きな刺激は、自分自身に「変化」を投げかけます。
それを「受けとめる」行為が、走りの醍醐味であり、楽しさです。
ですから、走ることで、自分自身が、変わってゆけるんです。
すると、走りだけの問題じゃないことに気がつきます。
ひとは、だれも年をかさねてゆきます。
生きてゆく、というのは、そういった「変化」とともにある、ということです。
どう自分の変化とつきあってゆけるか。
変化に適応するコツを、走ることは教えてくれます。
ですから、走ることは、生きること。

ヒメは走るのが苦手なので、最初は歩くことでもいいの?

もちろんです。移動の基本は、歩きですもん。

それでも、やがては走りがいいの?

いいというより、歩きより大きな刺激を味わえる走りの快感をぜひ、味わってもらいたいです。

大きな刺激は、故障にむすびつきません?

自分と対話しながらなら、心配はいりません。

ほかにもいろんなスポーツがあるけど、なんで走りなの?

スポーツって身構えなくても、だれも自然に走っていませんでしたか?

そいいわれれば、そんな気もするけど。

スポーツというより、生きる基礎に通じるくらしの行為なんですよ。

だから、走りに定年はないと。

年をとったから、走れなくなるわけじゃありません。
走らなくなるから、年をとるんです。
走らなくなるから、年をとるんです。

…………。
くらしぶりや、リハビリテーションの評価のために「日常生活動作ADL」という概念があります。
くらしの基本となる行為で、次の5つが大御所です。
食事
排泄(オシッコ、ウンチ)
整容(着がえ、洗顔、歯みがきなど)
入浴
移動
これらが自立か、一部介助か、全介助か、というような見方で、くらしぶりをみようというものです。
実際に、いろんな場面で活用されています。
介護の評価、障害の認定場面などでも。
ふつうは、この5つの「おのおの」の総合評価で判断してゆきます。
でも、気づいてください。
5つの中で、1つだけ、別格者がいるんです。
それは、「移動する力」です。
ゴハンをたべるのも、ウンチをするのも、歯みがきするのも、おフロに入るのも、その場にたどりつけられるかどうか、でくらしぶりがガラリと変わったものになってしまうんです。
逆に、移動能力さえ上がれば、すべてが向上しうる。
つまり、生きる基盤は移動能力である、ということです。
それが、食事、排泄、整容、入浴などの行為に、すべて関わってくる。
ですから、移動能力に着目。
移動能力が、くらしを大きく左右させるんです。
食事や排泄や整容や入浴は、生涯にわたる行為です。
それを支える移動能力は、もちろん、生涯にわたってありたい。
移動能力をダイナミックに高めてゆくもの、それが『飛脚走り』です。
いえ、失礼しました。
そんな、大それたことは申しません。
ランニングでいいんです。
だから、生涯ランニング。

ランニングは、趣味だけじゃなく、生きる基礎にもなるということね。

はい、ちょっと気はずかしいですが、そう思ってもらえるとウレシい。

ヒメも、走ってみたくなってきたわ。
そしてヒメだけじゃなく、母上も誘ってみようかしら。
そしてヒメだけじゃなく、母上も誘ってみようかしら。

ぜひ、走りを全世代の楽しみに。

それなら、ドーンとPRしたらどうなの。

うーん、それが苦手なもので。

でも、ひとこと。

吉野源三郎さんの『君たちは、どう生きるか』という本がベストセラーになっていますね。

ヒメも、マンガ版で読んで、感動したわ。

自分の考えをもって生きてゆこうよ、という熱いメッセージ本です。

そうよね。

あの本が最初に世にでたのは、昭和12年です。
日中戦争開戦の年で、「お国のために死ぬこと」が美化される時代の幕開けです。
日中戦争開戦の年で、「お国のために死ぬこと」が美化される時代の幕開けです。

そんな時代背景もあったのね。

そんな時代に、自分の考えをもとう、と。
勇気ある発言です。
勇気ある発言です。

時代の流れにあがなえずに、多くの命が失われましたものね。

その勇気にあやかってみます。

はい。

君たちは、どう走るか。

…………。