『水車小屋のネネ』津村記久子著、つながり

スタート、1981年

 

物語のはじまりは、1981年の春。
8歳の小学生の、そして10歳年上の姉理佐の2人姉妹が、山あいの小さな町に引っこしてゆくところから。

父と別れた母は、2人の姉妹をやしなうために仕事にはげんでいます。
しかし、やがて恋人ができると、少しずつ変わってゆく。

高3だった理佐は、好きな縫いものを学ぼうと、短大の被服学科の入学がきまります。
ところが、その入学金を、母の恋人の都合で流用され、入学手続きができなくなってしまいます。
小学生の律は、母の恋人に邪険にされ、夜の公園でひとりポツンと時間をすごしています。

「よし、それなら」

理佐は、山あいのそば屋住み込みの働き手を募集しているのを知り、そこで働くことを決心します。
そして、小学生の律をつれて転校させ、姉妹でくらしはじめます。

そのそば屋は、となりに小さな水車小屋がならんでいます。
水車小屋でひいた新鮮なそば粉でうつそば、のにこだわった店でした。
そば屋は、53歳となる同い年の夫婦がいとなんでいます。

水車小屋の中には、亡くなったそば屋の先代が飼いはじめたオウムに似たヨウムが住んでいました。
ヨウムは、寿命が50年ほどという人間にちかい長寿な鳥です。
コトバもたくみ。

名前をネネとよび、10歳ほどだといいます。
律と近い年。

ネネは、水車小屋の中でまわる石臼をじっと見つめ、そば粉がひきおわってくると「からっぽ」と大きな声でさけぶかしこい働き手でもあります。
理佐の仕事は、そば屋の手伝い。
それに加えて、午後は水車小屋でそばをひくことと、ネネの世話というのが、ちょっと他ではないものです。

理佐は水車小屋の仕事にもなれ、ネネとも親しくなってゆきます。
妹の律も、すっかりネネと友だちになってゆきました。

最初はどうなるか、不安の多かった姉妹の生活。
しかし、まわりの人にささえられ、少しずつ軌道にのってゆきます。

 



 

10年後

 

第2章は、10年先にとびます。
8歳の小学生だった律は、18歳になり、高校の卒業をむかえます。

本好きで、勉強もできる。
自身も、もっと勉強したい。
姉をはじめ、いろんな人から援助をするからといわれ大学進学も夢みます。
でも、もう姉にも面倒をかけたくない。

大学なら、自分で貯金をためてから考えよう。
そして地元の農産物をあつかう商社の小さな支所ではたらきはじめます。

水車小屋では、画家の杉子さんに出会います。
もう高齢だったけど、なにかと姉妹に手をやいてくれるかけがいのない人になってゆきます。
その杉子さんも、なくなる。

姉の理佐は、少しずつ手がけていた手芸の腕をみとめられて、手芸店の装飾部門へと移る決心をします。
それでも、ネネの世話には顔をだす。
律はもっと熱心にネネのもとに通い、ネネのかかせない友人になってゆく。
りっちゃん」とネネはおおきく叫ぶ。

そば屋さんの、もっといえば水車小屋とネネの面倒をみるため、理佐の後がまにすこし暗い影をもつ聡さんが手をあげてくれる。
少しずつ、時間は動いてゆく。

 



 

20年後

 

第3章は、20年後にとびます。
8歳の小学生だった律は、28歳になりました。
貯金をため、念願だった大学生生活をおくったあと、第二の就職生活をおくっています。

ともに73歳になったそば屋の夫婦は、いよいよ店をたたむ決心をします。
あとになって、この夫婦には、ずいぶん前に息子を病気でなくしていたことを知ります。
跡継ぎのいない夫婦の決断。
律は、自分が継げばよかった、と思うこともあります。

そば粉をひく仕事がなくなった水車小屋
幸いにも、近くの製薬会社が借り入れ、薬をひく仕事や、見学者ツアーにつかってくれることになりました。
くわえて、ネネがそこにくらすことも許されました。
ネネも、もう30歳くらい。

姉の理佐は、水車小屋の後がまにきた聡さんと結婚して、杉子さんの家を買いとって新しいくらしへ。
ネネは、羽を切ってとべなくしていたのをやめたため、を舞えるようになっています。

あいかわらず、水車小屋をひとつの中心点としてまわるくらし。
小さな事件もみられます。
やくざれた中学生の研二との出会い。
水車小屋の奥の沢で、危機一髪となった遭難事故。

やがて、そこに関わった人たちが、不思議なでつながってゆきます。
勉強の苦手だった研二に、律が相手をしてあげます。
なんと、ネネさえも、研二の勉強相手になってゆきます。
そして、ついに希望の高校へ合格。

 



 

30年後

 

第4章は、30年後にとびます。
2011年、律は38歳。
大きな地震がおそいます。
大きな揺れがつづきましたが、直接の災害がおよぶことはありませんでした。

そば屋のおかみであった浪子さんは、83歳。
夫に先立たれ、いまは施設でくらしています。

理佐が10年働いたそば屋は解体されて、いまは1階がカフェ、2階が自習室になっています。
経営者は、浪子さんで、律が共同経営者です。

1階のカフェは、水車小屋のつながりもあった地元の女の子にまかせています。
律は、2階の自習室で、子どもたちの勉強をみるようになりました。

中3だった研二は、工業高校を卒業すると、電気工事の仕事について6年目となっています。
そして、ネネの面倒をみる仲間にもなっています。

研二は、東北への転勤を志望して、ついに地元を離れる日がきました。
震災の町の復興にかかわりたいという希望からです。
「自分のもっているものなんかない。
いろんなひとに、いいものを分けてもらった部分で生きている。
だから、それを次につなげたい」

カフェの女の子が、そばをメニューに加えたいといいだします。
久しぶりに、水車小屋の石臼で、そば粉がひかれます。
ネネはやや興奮気味。
石臼の操作は、姉の理佐がみごとにおこなっています。

そして、浪子さんの登場。
そば屋さんのおかみさんの腕はおとろえていません。
的確な指導
すばらしいそばが、できあがりました。

 



 

40年後、終章

 

10年ごとにとぶ場面。
40年後。
8歳だった律も、48歳。
ヨウムのネネも、50歳くらい。
一般的なヨウムの平均寿命に入ってきています。

少しずつ、しかし確実に生活がかわってゆきます。
出会い、別れ。
そしてさらに、物語はつづきます。

10年の区切りって、大きいな、とあらためて思います。

そして、ふと感じませんか?
これって、フルマラソン、まんまじゃないのかって。

10年後の物語は、10キロ地点の自分。
20キロ地点の自分。
30キロ地点の自分。
そして、40キロ地点。

いえ、フルマラソンって、老いてゆく競技じゃありませんよ。
ただ、レース中だけでも、大きな変化がありますね。
なんだか、人生の半分(40年)を、ひとつのレースの中で体感できちゃうのじゃないかという思い。

ああ、いまの自分、30キロ地点かな。
そしてやがて、40キロ地点がやってくる。

そんなこと考えると、マラソンの別の楽しみをみつけられませんか。
単なる記録の競技じゃなくてね。

そしてマラソン気分で読んでみると、この物語のおもしろさが変わってきそうです。
マラソンでは、いろんな出会いがあります。
くわえて、ひとレース中に、さまざまなつづいてゆく変化。
この物語も、そうです。

大きな事件なんか、ありません。
ただただ、ひととひととの営み。
それがつむがれてゆく時間の流れ。

そんな中、そこかしこに、ジーンとくる場面が顔をだします。
しみじみと、いい本です。
走るだけが、マラソンじゃありません。

 



 

たーさん
年ごとの 変化をむすぶ つながりよ

 

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