ビバ道中記
ロードノベル、という分野の読みものがすきです。
道中記、ともいいます。
ある場所から、ある場所までゆく、移動の物語です。
いちばん幼いころの記憶に残っているのは『母をたずねて三千里』です。
アルゼンチンに出稼ぎにいったまま音信不通になってしまった母アンナ・ロッシをたずねて、イタリアのジェノバにくらす少年マルコが、船にのり、陸路をたどってゆく道中記です。
旅では、いく多の危機や困難に直面しますが、そこで出会った人々の力も借りながら解決して進む。
そんなマルコの成長物語でもある本作品は、テレビドラマ化もされました。
『東海道中膝栗毛』は、運のつきた弥次さん、喜多さんが、厄落としのために、お江戸神田八丁堀からお伊勢参りに出かけ、さらには京都、大阪までをめぐるドタバタ珍道中記です。
『おくのほそ道』は、芭蕉が門人曾良をつれて、江戸深川から奥州、北陸道をめぐり、美濃大垣までの俳句をたずさえた道中記です。
旅は、人生です。
いえ、人生は旅、でしょうか。
15歳のぼくは途方にくれる
この物語の主人公チャーリー・トンプソンは15歳の少年です。
ハイスクールのアメリカンフットボール部で活躍する、快活な毎日をおくっています。
母親は、チャーリーが赤ん坊のころ家を出ていってしまったまま音信不通です。
それでも、父親のレイと仲よくくらしています。
けれど父親はガマンがたらず、仕事を転々としては、引越しをくりかえすありさまです。
こんど連れてこられたのは、誰も知るひともいない西部のポートランド。
レイはそこでトラックの仕事につくと、知りあった恋人のところに外泊したりで、帰らない日もあります。
何日も帰らないとお金もなくなり、チャーリーは空腹のために万引きもする生活です。
それでも新学期がきたら地区の新チームに入り、心機一転のスタートをきるぞと、ランニングをつづけます。
ある日、ランニングの途中、古びた競馬場の前で、チャーリーは老いた調教師のデルと知り合います。
そして、お金欲しさから手伝いをはじめます。
仕事は、デルの所有する馬と厩舎の世話が主なものです。
そこで出会ったのが5歳馬のリーン・オン・ピートでした。
チャーリーは、心のさみしさを、このピートに語りかけることでほっとする自分に気づいてゆきます。
そんななか、非情な事故で、とつぜん父親をなくしてしまいます。
逃げる
住むところも、生活のかても、家族も、いっぺんに失ってしまったチャーリー。
失意のなかで、レースの成績がふるわないピートが処分場に送られることを知ります。
どうしたらいいだろう。
混乱するなか、幼いころ優しくしてくれた叔母のマージーの存在を思い出します。
父親レイの無責任さを叱責もしてくれたマージーを、しかし父親はきらって音信不通になって長くなっていました。
でもたしか、はるか東のワイオミングにすんでいるはず。
いてもたってもいられなくなったチャーリーは、無断でピートをデルのトレーラーに乗せると、自身の運転で東をめざす旅にでます。
ぬすんだ馬、ぬすんだトレーラーによるロードノベルのはじまりです。
とはいっても、手持ちのお金もない、トレーラーにのこるガソリンもたかがしれている。
逃避行が順調にゆくはずがありません。
追っ手から逃れるように必死に東へ東へとすすみますが、まず坂道でおんぼろトレーラーが動かなくなります。
トレーラーをすてて、チャーリーとピートの足ですすむかくれる旅になりました。
旅は道づれ、なんてどこの話だ
オナカはすくし、ノドがかわく。
舞台は、西部劇のイメージ。
どこを見ても、だだっ広いだけの、乾燥した、題名にもなった「荒野」。
(原題は、馬の名をとった『Lean On Pete』)
草木だってろくにはえていない土地を突っきるだけの道路。
たまに境界線をしめす鉄条網。
コンビニ、道の駅、トラックステーションなんて、もちろん皆無です。
四国の巡礼旅のような、お接待の光景なんてありません。
ときおり出会うひとは、無視、あるいはスキあらば悪だくみを考えているような連中。
なぐられる、ふんだくられる、も日常の光景。
チャーリー自身も、生きてゆくために見つけた人家に忍びこんでは食べものを失敬したりと必死です。
世は情けなんて、どこの世界の話でしょうか。
そういう生活はしかし、ピートをかわいがったり、あわれんだりする対象から、いっしょに生きる仲間とみなすようになります。
お互いがおちつける場所はどこにあるのだろう。
チャーリーとピートの本当の目的地さがしが始まります。
とはいえ現実は、うまくすすみません。
愛馬ピートは、とんでもない事故に遭遇します。
チャーリーも警察につかまり、施設にとじこめられようとします。
この先、どうなってゆくのでしょうか。
世の中は、本当にクズでどうしようもないもの、で終わってしまうでしょうか。
まだまだ、ロードはつづきます。
(北田絵里子訳、早川書房)
最後は、マラソンでゴールを踏んだような感動につつまれたい。
そんな感動を味わえる作品です。
マラソンもロードノベル
ロードノベルは、ある場所から、ある場所までゆく移動の物語。
だったら、マラソンはロードノベルそのものじゃないですか。
スタートからゴールまでを自分の足でつむいでゆく、長い物語。
マラソンの物語は、スタート地点から始まるわけではありません。
レースに出るぞ、という決心にいたる心の準備。
走りきるための、日ごろのランニング。
レース申し込みの決心。
レース当日の装備のとりそろえ。
ずっと前から、つづいています。
実際の道中も、そりゃ、高速でビューんと駆けぬけて物語をおえるランナーもおられます。
ただ、おおかたは、この『荒野にて』のチャーリーのように、ときにつらい、ときに理不尽な現実にぶつかり、ときに心おれる場面で立ちどまり、というストーリーをつくってゆくことになりませんか。
決して、楽しいだけじゃない。
でも思うようにいかないストーリーが、物語の重厚さを増してゆくように、試練は貴重なものに変わってゆく。
かけがいのないもの、に変わってゆく。
成長の物語(?)となってゆく。
さあ、新しいロードノベルに、また挑戦だ。
(注:この作品は、映画化されるようです。たしかに、映像が浮かんでくるストーリーです)。
人生の 綾を重ねて 道中記
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