あとひとつ
あと一歩が足りない。
そんなこと、ありませんですか。
あと1点あれば、合格できたのに。
あと1秒あれば、関門を通過できたのに。
あと1円あれば、コロッケ買えたのに。
たかが1点、1秒、1円。
なのに、人生では、しばしばわずか「1」でくやしい思いをすることもあります。
毎日は平凡、といわれます。
きのうと変わらない今日がくる。
明日だって、そんな劇的なことはこない。
それを「食っちゃ」「寝て」の日々とあらわすことがあります。
いいえ、バカにしているんじゃありません。
どっちも、とても大切です。
食べること、寝ること。
大切な楽しみであり、なくてはならないものですから。
そして、もうひとつ大切なものを持っていますか?
「食う」ことと「寝る」ことのほかに。
それを意識するだけ、あるいは持つだけで、人生が変わる。
そんなことを教えてくれる本に出会いました。
横尾成吾、50歳
作家、横尾成吾、50歳。
学生時代にかいた作品が採用されて以来、作家生活ひとすじ。
いまだ独身。
郊外のワンルームのアパートに、ずっと住む。
作品は、いくつも出している。
そのうちのひとつは映画化され、ひととき、大金が入る。
いまは、その貯金を切りくずしながらの生活。
そのため、今回の作品は、気合をいれた。
編集さんと協力して、400枚をこえる長編小説に着手。
おおきな書きなおしを2回、をふくめて、推敲に推敲をかさねる。
そして形になったところで、カフェのテーブル席で、編集さんと向き合う。
結論。
「ほかの題材を考えてみるべきかもしれませんね」
ボツ。
季節は、桜の開花をまつばかり。
路端には、ランニングのするランナーも。
肩をすぼめて、電車を乗りつぎ、だれも待つひとのないアパートに帰る。
その後、担当の変更が伝えられる。
井草菜種、30歳
編集者、井草菜種、30歳。
性別のつきかねる名前だが、れっきとした男。
開業医の長男として育ち、高校までは順調なあゆみ。
そして、大学受験。
当然のように受けたすべての医学部に不合格。
そのあいだに、何気にうけた文学部に合格すると、浪人は選択せずに入学。
大学にはいると、突如、ボクシングジムに通いだす。
やがて、ボクシングも足をあらって卒業。
ボクシング経験をもつ文学部卒、というのが受けたのか、出版社に就職。
編集者の仕事をあてがわれているものの、いまだヒット作はなし。
下に妹がいて、いまその妹は専攻医となり、やがて実家をつぐという。
こんど横尾成吾の編集担当になるようにとの通達がくる。
紹介されて、はじめての対面。
お互いがギクシャク、というところから新たなコンビの誕生へ。
新構想
2人の会話は、ポツリポツリ。
なにしろ、どちらも社会とのつながりは多くはない。
おおやけの場など、とんと無縁で生きてきた売れない作家。
まだツボをこころえていない編集者。
せまい世界しか知らない2人。
あるとき、作家がひらめく。
そうだ、編集さんの半生をえがいたらどうだろうか。
開業医の息子。
文学部卒。
ボクシング経験者。
立場が、逆転してゆく。
作家が、編集者に、生い立ちをたずねてゆく。
それに脚色をくわえて、物語をふくらます。
波乱万丈なことなど、何もない。
ヘタをすれば、公民館の自分史で終わりかねない。
しかし日常のこまやかな描写こそは、この作家の得意技。
どこにでもある、といっていいような平凡な半生。
だと、思っていたものが、徐々に色彩をましてゆく。
そして表紙もマッチングして、1冊の本になってゆく。
同じようには
片凡な日々。
単調な毎日。
こんな表現が、あります。
かわったことなんか、何もないよ。
でも、今日もくる生活って、本当にそうなんでしょうか。
もしかしたら、気がついていないだけ、なのかもしれません。
じつは1日1日は、とってもダイナミックに動いているのかも。
いえ、動いています。
その動きに、気がつければ。
つまり、目を向けられれば。
食べることだって、ダイナミックです。
とくに食べられなくなったら、そのありがたさがわかります。
寝ることだって、奇跡です。
とくに寝られなくなったら、そのありがたさがわかります。
そこに、もうひとつ「何か」が加わってきたとしたら。
今日もまた、ウキウキ、新しい日のはじまりになるんですね。
「何か」を何にしましょうか。
横尾成吾は、ペンをはしらせること。
井草菜種は、編集すること。
それでは、わたしは?
あさ1番に、走ってくること?
草を100本、抜くこと?
食っちゃ、寝て、あとひとつ。
ただ、気づけば、ハリもでてくる。
気づけますか?
そんなことを教えてくれる、すてきな本です。
ココロおどらされます。
食っちゃ寝て 気づいてみれば いい人生
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