さよなら「体育の日」、でいいですか?

体育はどこへゆく

 

2020年から、「体育の日」が、消えてなくなります。

体育の日は、1964年の東京オリンピックの開催を記念して設立されました。
東京オリンピック開会式が10月10日。
なので、10月10日を「体育の日」に制定しよう。

10月10日というのは、晴れの特異日です。
だいたい、いい天気にめぐまれる。
しかも、晴れれば、さわやかな秋空がおおう季節です。
空気はどこまでもすんで、透明。
日差しもやわらか。

まさに体育には、うってつけの季節です。
当時のひとの、カシコサがしのばれます。

2020年の10月からは、「体育の日」は10月の第2月曜日に移動させられました。
連休をふやしたい、という思惑だったようです。
歴史を知らぬヒトは、こういうことが平気でできるんですね。

 



 

さよなら体育の日

 

2020年、体育の日が亡くなりました。
かわりにやってきたのが、「スポーツの日」です。

体育から、スポーツへ。
いまや、トレンドなのかもしれません。

日本体育協会は、2018年より、日本スポーツ協会になりました。
国民体育大会は、2023年より、国民スポーツ大会になるそうです。

こぞって、スポーツ化
カラダを動かすなら、スポーツ。
だって、このほうが、オシャレでカッコいいイメージになりますし。
するなら、体育より、スポーツ。

体育というコトバ自体も、木造校舎とともに、消えてゆくのかな。

 



 

「3育」という、育ち

 

古来、人間を育てる3本の柱がありました。

体育
知育
徳育

知育は、「」を育てる、ということです。
学校では、漢字書取りに、四苦八苦しました。
鴎外、中島敦、魯迅などの文章も、学校で学びました。

いまや、ゆとりの延長時代。
くわえて、検索すれば、だいたいが出てくる世の中。
カットアンドペーストにたけることが、まず第一歩だなんて。

無理に自分のアタマにつめ込まなくても、クラウドに何でも入っているんだから。
そういえば、暗唱文化、なんて聞かなくなっています。

知育は、おおきな変貌をむかえています。

徳育は、「ヒトの痛み」を知ることです。
世の中は、必ずしも、自分を中心に回っているわけじゃありません。
自分の主張、だけでは、回りません。
だけど、そうではなくなってきているのでしょうか。
自己主張しないと、ソン、不利、になる世の中になっているのかな。

徳育は、おおきな変貌をむかえています。

 



 

中年体育

 

知育、徳育は、変貌しつづけています。
では体育は、どうなっているのでしょうか。
もしかして、滅亡に向かっているのかな?

はい、わたくし、体育は好きじゃありませんでした。

川でおよぐ。
魚をつる。
ガケをよじのぼる。
そういう、野生生活は、ふつうにありましたが。

決して、すばしっこい方ではありません。
運動会で、リレー選手、したことありません。

部活動。
なんで学校が終わったのに、同じ運動を毎日やらなきゃならんのや。
もっと、自由を。

とうぜん、体育の授業がなくなると、体育とはムエンになります。
そして、仕事をもつようになる。
不規則な仕事。
そのなかで育っていったのは、オナカの脂肪さんたちだけですね。
いわゆる、メタボ街道。

で、息切れをおぼえた中年世代。
だんだんとランニングを通して、カラダの動きに関心をもつようになりました。

おもしろい。
世の中、なーんも、自分の思うようにはなりません。
ゆいいつ、自分のカラダだけは、自分の思いが伝わってゆく。
トホホ、ですけど。

 



 

スポーツではなく

 

スポーツの本来の語源は「日常からの脱出」です。

日常とちがう、という意味。
転じて、気晴らし、休養、楽しみ、遊び、なんて意味が加わっていったようです。

さらに転じて、今日では、「競技」という意味が強まってきました。
競い合い。
ですから、オリンピックがスポーツ、というのは理にかなっています。
イッショケンメイの競い合いですから。

よおし、自分も。
というふうには、しかし、なりません
そんなこと、なかなかできません
下り坂ですし。

で、体育にもどるんです。
文字通り、カラダを育てる。
つまり、カラダをはぐくむ。

日々、変化している自分のカラダ。
このさい、上むき、下むきは問いません。

そんな自分の変化をみつめて、変化にあわせて、自分のカラダを育てる
はぐくむ。
どっちの方向を向いていても、そのとき、そのときの自分のカラダにあわせて育ててみる。
育てるという自分の意思の道ですから、一生可能です。

自分のカラダをみてみること。
そんなカラダを、自分なりに育ててみようとすること。
これこそが、自分の「体育」。

ああ、体育って、おもしろいじゃないですか。

体育は、学校で方法を教わったあとは、自分で活用してゆく。
(だから、そういう体育があって欲しい)。
そうすれば、一生モンの楽しみになってゆきます。
そういう体育を目指してみませんか。

そんな体育ランニングをめざしています。
ぼくは「体育派」です。

 



 

たーさん
学校を 出てからたのしむ 中年体育

 

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