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「張力オモチャ」って、おもしろいです。
って、正式名称は、どういうんでしょうか。
skwish(すくうぃしゅ)?
じつは、知りません。
「張力オモチャ」とは、ボク自身による、勝手な命名です。
写真のとおりの、オモチャなんですが。
メイド イン 外国製。
たしか、2,000円前後です。
みているだけで、おもしろい。
押してみると、さらに、おもしろさが倍増します。
グイグイ押しても、ダイジョーブです。
思う以上に、がんじょうにできています。
実際に、小さな子が、なめたり、ひっぱったり、ふんづけたり。
相当な乱暴攻撃しても、心配ないよう、設計されているようです。
構造は、いたって単純です。
「棒」と「ゴム」のみです。
この両者が、結びつきあっているだけです。
しかも、棒同士がつながっていることはありません。
すべての棒が、独立しあっている。
柱みたいな、中心構造物もありません。
完全に、ゴムの「張力」と、棒の「支持力」のみでつくられています。
電池とか、そういう動力源も、まったく使われていません。
それぞれの棒は、たがいに独立して、くっついていません。
遊びかた
あそびに、ルールや、手順もいりません。
たのしめれば、何でもあり、です。
ためしに、どこかを押してみましょう。
すると、フニャリと、構造が変形します。
はなせば、もとどおりになる。
押さなくても、引いても、同じ変化がみられます。
はなせば、もとどおりになる。
それダケです。
単純すぎて、おもしろみに欠けると思いますか。
でも、じつによく考えられた「しくみ」になっていると思いませんか。
どのようにも、変われるんですから。
小学生時代のボクにもどれたら、さっそく分解したくなると思います。
まず、バラしてみる。
部品さえなくさなければ、ダイジョウブです。
必ず、もとに、もどります。
必ず、うん、必ず。
それが、往々にして、もとにもどってくれない。
そうにして、ずいぶんと、いろんなモノを壊してきました。
目覚まし時計とか。
どこを押しても、引いてもいいです。
ぐいと、つぶしても大丈夫です。
構造の特徴
なので、今回は、オトナの分別。
分解せずに、構造の特徴を、ながめてみます。
大黒柱みたいな「中心」がない。
すべての構造成分が、どこかで、つながっている。
お互いは、「張力」で関係をつくっている。
あとは、柱の支持力で構造をたもつ。
もっとも、支持力も、ひろい意味では、張力になります。
そして、ひとつが動くと、全体が「連動」してくる。
うーん、この構造、何に似ているんでしょう。
この張力オモチャそのままの構造体を、知っていますか。
まず、わたしたちのカラダの基本構造である「細胞」そのままですね。
細胞って、張力オモチャそのもの、じゃないでしょうか。
細胞は、かたい、四角四面のボックスでできている、じゃありません。
張力でかたどられた、柔軟性のたかい、ピチピチ生命単位です。
赤血球なども、張力オモチャ、そのモノです。
そのために、複雑な血管の中を、自在に流れてゆける。
そして、カラダまで
わたしたちを構成する細胞は、張力オモチャ構造。
ならば、その集合体である実際のわたしたちのカラダは、どうでしょうか。
もう、そのまま、張力オモチャ構造だな、って思えてきませんか。
いや、人体は、背骨という大黒柱が支える、強固な構造体だよ。
そういう意見もあります。
ただ、よくみれば、背骨だって、ピンと柱で支えているわけではありません。
互いが、張力で、つりあいをとっている構造。
筋肉関係も。
腱も。
すべてが、互いの張力で、バランスをとりあっている。
ですから、いろんな動きができる、というわけです。
年をとって、カラダがかたくなった。
これは、張力の張り方の問題でしょう。
走りすぎて、ヒザを痛めた。
これは、張力の過負荷が一因になっています。
ですから、かたさも、痛みも、張力という視点を抜きには語れない。
見方を変えれば、張力のうまい利用法が、カラダを変えてゆく可能性をもつ。
つまりは、カラダのパフォーマンスということです。
新しく、力をつけてゆくのではない。
筋肉のボリュームをましてゆくことではない。
張力の使い方に、道を見つけてゆく。
切りこめるたのしみ
「解剖学」という世界があります。
人体を例にとれば、構成する骨の数は、約200こ。
それらをつなぐ筋肉の数は、約600こ。
もはや記憶力は低下の一途をたどるわたしにとって、その数は天文学的です。
知識の伝道。
とても、覚えきれない。
でも、これらを知らずして、人体に介入すべきではない。
なんてなっちゃうと、お手上げです。
ところが、ここで「張力オモチャ」の発想へ転換。
人間のカラダは、張力オモチャ構造。
どこを押すと、どのように変形するか。
変形できないか。
そういうのを、考えてゆく。
自分という「張力オモチャ」を、さぐってみる。
そういう中で、発見を重ねてみませんか。
けっこう、おもしろい。
そして、なにより「学問」という「上からの学び」ではなくなります。
自分で、探す旅。
自分から、自分へ「切りこんで」ゆける道。
これを活用しない手はない、と思います。
トリセツは 使ってつくる カラダ読本
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