走りだしは、なぜ苦しい?

走りはじめには壁がある

 

走りだします。
すると、カラダはすぐにある感覚を伝えてきます。

ハアハア、ゼイゼイ、ハアハア、ゼイゼイ。

うー、息がきれる。
ちょっと苦しい。

いや、ちょっとだけじゃすまないこともある。
でもこの感覚をつき抜けてゆかないと、走りははじまらない。
走るはじめの、定番の「ガマン」。

走ることは、苦しいこと。
学校での体育の持久走以来、走りからエンを切った方の、走りに対する共通認識みたいなものでしょうか。
なにしろ規則を破った罰が、「校庭10周」なんていう時代さえあったのです。
走りが、罰ゲームになる苦行になっていませんか。

また、オトナになって改めてランニングを趣味にしてみたいな、と思われて走りはじめたランナーの最初にぶつかる山のひとつでもあります。

そればかりか、何年もランニングをつづけていても、走りはじめはガマン、ガマンというランナーもいらっしゃいます。

じゃあ、「なぜ」苦しいんでしょうか。
たとえば、歩きだしたときにも、同じ感覚を味わうものでしょうか。

トイレに行こうとして、あるいはコンビニまで出歩いて、息がきれますか。
もし息がきれるなら、クンレンより、病院へ行ったほうがいいかもしれませんね。

肺の病気、貧血、心不全、腎不全、そんな病気がひそんでいるかもしれません。

ふつう、歩きなんて、意識もしない行為す。
それでは、なぜ走ると息がきれるのでしょうね。
なぜ、走ることは決心が必要になるのでしょうか。


 

おいこむランナー

 

スタートダッシュとともに感じる息苦しさ。
毎日のように訓練をおこたらないランナーでも走りはじめには苦痛を感じておられる方がいらっしゃいます。

マジメなランナーは、考えます。

まだ、クンレンが足りないのかもしれない。
数日走らなかったツケが、まわってきているのかもしれない。
心肺機能が低下しているのかもしれない。
いやいや、この苦痛を乗りこえるのがクンレンの目的だ。

その結果、休むことが怖くなって、ますますクンレンにのめり込んでゆく。

こういう否定的とも思える発想から変わってゆきたいな、というのが本ブログの基本姿勢です。
人生は、ある程度ノー天気な方が、幸せにおくれます、多分。

もちろん、その業界のトップを競おう、とい世界に身をおかれるのも貴重です。
ただし、わたしには無理だし、エンがありません。
その点は、ご承知おきください。

体力なんて、そうそう落ちるものではありません。
心肺機能だって、そんな急落下はしません。

急低下、急落下するとしたら、くり返しますが病気かもしれません。
クンレンよりも診断と治療が大切です。

だって、カラダだって、心肺だって、毎日使っているじゃありませんか。
まったく動かない日がありますか。
心肺を数分間休ませるなんてことができますか。
寿命がつきるまで休まず働いてくれているのがカラダと心肺です。

信じてあげましょう。
信じるものは、救われる。


 

カラダにはギアがある

 

いまの自動車は、ほとんどがオートマチック車です。
エンジンを始動し、アクセルをふむと、車はスタートから時速100キロを超えるところまで、アクセルをふむ操作だけで可能です。

エンジンとタイヤが、ひとの手を介さずにつながっているからです。

その昔、車のエンジンとタイヤは、ギアという装置でつながっていました。
一般に、マニュアル車とよばれています。

スタート時は「低速(ロー)」というギアで、重い車体を動かしはじめます。
スピードは出ませんが、一番の力を伝えるギアです。

車体が動きはじめると「中速(セカンド)」というギアに切りかえてゆきます。
スピードが、さらに加速されてゆきます。

スピードに十分のってきたら、ギアは「高速(トップ)」に入れて、高速走行をつづけてゆきます。
このギアは、力強さはおとりますが、回転速度を一番に伝えるのです。

このようなギア操作をつづけながら、スタートから通常走行まで、あるいは上り坂、下り坂、長いカーブなどを越えてきました。
文字通りの「ギアチェンジ」です。

今はギアの概念がなくても、車を走らせることは可能です。
オートマチック車にも、ギアの名残のシフトバーがついていますが、まあ、そこんところはいじらなくても支障はありません。

ところが、このシフトチェンジという考えは、人生の至るところで役に立つ概念です。
はい、わたくし、人生のシフトチェンジ中です。
別名、終活。


 

走りは、シフトチェンジが必要

 

歩きと走りの最大の違いは、シフトチェンジを要するか否か、にないでしょうか。

歩きは、シフトチェンジしなくてもつづけられる行為です。
ひとつのギアで、すみます。

ところが、走りには、シフトチェンジが必要なんです。
とくに大人の走りには。

小さい子にシフトチェンジは必要ない、という理由は、苦しくならないように走るし、苦しく感じたら走らないからです。

なぜ、シフトチェンジが必要となるんでしょうか。
その理由は、体を流れる血流量がおおきく変える必要があるからです。

非常にわりきって、血流量を心拍数で考えてみます。

立っているときの心拍数が、70だったとします。

すると歩きだすと、少し心拍数が上昇しますが、せいぜい2ケタ止まりです。
血流に、おおきな変化は生じません。

ところが走りだすと、心拍数は一気に2倍をこえてゆきます。
2倍をこえる、ということは、血の巡りが倍ほしい、ということです。

急にそんな大型発注が入ったって、そうすぐ対応できないよ。
結果、しばらくはカラダのほうぼうで血流不足が生じるはめになってしまいます。
その血流不足の訴えが「息苦しい」という感覚でした。

じゃあ、どうしたら走りだしの苦しさを軽減できるでしょうか。
切り替えの工夫へ。


 

走りはじめの工夫

 

車を例にとりながら、考えてみます。

ひとつめは、いきなりモーレツダッシュで走りださないことです。
スタートから、トップギアでアクセルを踏まない。
すぐにエンストしてしまいます。

少しずつ、血流をあげてゆくことです。
それだけで、息苦しさはわいてきません。

テレビ中継されるような大きなマラソン大会は先頭集団のスタートダッシュで始まりますが、あれはすでに他の場所で血流をあげる練習をしてからの待機、ということを勘違いしないでください。

ふたつめは、エンジンの回転数をあげることです。
そう、自分で調整できる「ふくらはぎのエンジン」回転数をあげるということです。

つまり最初は意識して、足拍数(ピッチ)を多くする。
そうすれば本家心臓とふくらはぎの心臓が強力タッグを組んで、すばやい血流増加をはじめてくれます。
暖機運転完了。

みっつめは、吹かしすぎないことです。
つまり、歩幅を欲張らない。

大マタ行為は、アシの筋肉がになっています。
まだアシの筋肉に十分な血流も回っていないのに、ガシガシ走りだしたら、酸欠になってしまいます。
くわえて、大マタは足拍数をあげるのに大変です。
省エネ走法にしてゆきましょう、世の流れでもあります。

つまり、小マタで、シャカシャカ足拍数だけ多く歩きだして、そのままのリズムで走りのスピードにのってゆく。
そうすれば、走るときにも、特別な準備運動なんていらないんじゃないでしょうか。
くわえて、走りはじめの息苦しさからも解放されます。

歩くように走る、というのはこういうことです。
これが、飛脚の走りだしです(推定)。
いろんな工夫も、楽しみましょう。

たーさん
歩くよう  走る苦しさ  サヨウナラ👋


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