リクツより実践
カラダをたくさん使わなくては、くらせなかった江戸時代。
なのに、身につけているのは、動きにくいキモノ。
つりあっていない。
もっと活動しやすい衣装は、いくらでもあったはず。
なのに、なぜキモノをつらぬいたのか。
幕府は、キモノの着用を強要いたしません。
ならば自分だけ、キモノじゃないのが恥ずかしかったのでしょうか。
それとも、ガマン強かったのでしょうか。
そういえば、ボクの幼少期には、まだキモノが普段着のひとが普通にいました。
聞いておけばよかったなあ。
「どうして、キモノなの?」
ということで、なんちゃってキモノを身につけてみる。
リクツじゃなくて、実践です。
すると、新しいことがわかってきました。
立ち姿のキュークツ
キモノを着こなすには、背すじが伸びていないとイケません。
ねこ背では、さまにならないからです。
スマホを見ている姿勢は、キモノに合いません。
えり元が、開いてしまいます。
なぜなら、キモノは背中で着るものだったのです。
衣紋掛けにかける姿勢でないと、キモノになりません。
それは、ランドセル筋の緊張あっての姿勢です。
ランドセル筋というのは、ランドセルを背負ったときにあたる背中の筋群をさします。
ここが、ピンと緊張している姿勢。
その姿勢だと、キモノをすっと自然体にはおれる。
そうしないと、サマになりません。
ということは、さぞやキュークツ。
ところが、どうでしょう。
いろんな動作が、スムースになってきました。
パソコンをうっていても、そうです。
おフロそうじも、すいすい。
カラダを動かしやすい。
なんだか、疲れにくくなる。
走りのキュークツ
キモノをはおると、腰がキュッとしめられます。
くわえて、歩幅を広げられなくなります。
そんな状態で、走れるものか。
キュークツすぎる。
ところが、です。
速く走る、というのはやはり無理かもしれません。
いわゆる100メートル全力疾走。
でも、チョロチョロとなら、走れる。
チョロチョロといったのは、歩幅が広くとれないからです。
キモノのスソが、モモ上げをさせてくれない。
いきおい、小マタにならざるをえません。
足が出せないので、推進力をうむのは、腰の前進力です。
結果として、オナカから前にすすむ感じになります。
それにしても、どのくらいの速さになるでしょうか。
自分の感覚でいうと、長距離走の感じ。
そして、ここでも新たな発見。
疲れにくい。
もちろん、走りじゃなくて、歩きでも同じ感覚を味わえます。
ただ、感覚の強さでいえば、走りほどにはダイナミックに感じませんが。
江戸時代が求めたもの
江戸のくらしに思いをはせてみます。
ライフラインのない生活。
交通機関のない生活。
コンビニ、スーパー、食堂のない生活。
つまり、何をするにしても、自分のカラダを使わないことには、はじまらなかった生活。
それが、江戸の生活スタイルでした。
水1杯を飲むにしても、井戸までいって、くまねばなりません。
朝から、晩まで、カラダを動かす。
バリアフリーなんて無縁な生活。
そんななかで求められるのは、活動しやすい衣装。
江戸の庶民の活動をささえてくれたのが、キモノでした。
カラダは、どのように使いなさい。
そんな屁理屈から、入らない。
キモノを、着てみてみなさい。
キモノにあった、カラダの使い方をしてみてごらんなさい。
1日中、働きつづけられますよ。
ちょっとしたところまでなら、さっさか行けますよ。
なぜなら、キモノはカラダの自然な動きをサポートしてくれるからです。
キモノは、何もいいません。
ただただ、キモノの形が、それをはおるカラダに独特の動きを求めてくるだけです。
ひょっとして、キモノの考案者、ノーベル賞をもらっていませんか。
和の文化
キモノという和服、だけでしたら、深さは何もうまれません。
単なる、昔の衣装のひとつ、くらいになってしまいます。
キモノで動くしぐさ。
そうなったとき、和のココロ、和の生き方が息づいてきます。
いまの私たちに、江戸の身体活動は求められません。
というより、ほとんど動かなくてもくらせる毎日。
ですから、どんな格好でも、おもて向きこまることはありません。
ところで、話はぐっと変わって、ランニング。
ここは、しっかりカラダが資本の世界です。
走れて、ナンボ。
動けて、ナンボ。
ならば、江戸の知恵を拝借できはしますまいか。
キモノ感覚で、立ってみる。
キモノ感覚で、走ってみる。
カラダの動きが、変わってきます。
新しい発見が、できるかもしれません。
キモノ文化、あなどるべからず、です。
今ではマラソンレースといえば、ランパン、ランシャツが定番です。
キモノ姿で走ったら、仮装ですか、と思われるだけです。
ところが、これこそ究極のラン衣装なのかもしれません。
そういえば、江戸時代と同じ身体活動性が求められなくなったのは、まだ、たかだか数十年前です。
昭和の中ごろまで、ライフラインはまだ未発達。
交通機関も、一部のみ。
1日中カラダを使ってくらす生活が、ちゃんと残っていました。
そして同時に、キモノ文化も、根づいていました。
まだ、ふつうにキモノでくらす人がいました。
それが、急速に身体活動から解放されてゆくライフスタイルの変遷。
そこに時を合わせて、キモノ文化が消えていったように思えます。
カラダの不調を覚えたら、キモノ姿でくらしてみる。
案外、それだけでカラダがよみがえるかもしれません。
動きやすくなるんだってば。
願わくば キモノ文化よ よみがえれ
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