「型」から入るか、作ろうか

「型」文化の伝統

 

わが国の教育水準の高さは、世界でも有名です。
昨今は、同じ問題を国別に出題して、その得点比較から、国ごとの教育比較の試みもされています。
それによると、北欧やシンガポールなどにはかなわないようですが、腐ってもタイ

まだまだ、基盤の識字率や計算力は、しっかり身についています。

この基礎として、江戸時代よりひろまった「型教育」がはずせません。
型教育というのは、「」をお手本にして、ならい覚えてゆく教育です。

掛け算九九しかり。
そろばんしかり。
漢字習得しかり。
数々のドリルしかり。
そして、クモン。

学業のみならず、運動や武術でも「」の重要性はかわりません。

くり返すことで、「」にあったカラダの使い方を習得する。
テニスの素振り。
竹刀の素振り。
柔道の型稽古。

 


「型」に沿った繰り返しが、上達の道

 

ランニングも「型」稽古

 

」教育になれ親しんだわたしたちは、新しい習得に「」を求めるのも自然です。
指導者側も、お手本としての「」を大事にします。

ランニングにおいても、例外ではありません。

立ち方、足の出し方、ウデのふり方。
これらを、「理想の型」をお手本に、それに近づけようとするのが、日々のクンレン。
ひとつの、効率的な習得法です。

その一方で、これが最も効率的、とはいえないことがあるのも事実です。
だって、理想の「」をめざした結果、カラダを痛めたり、かえってギクシャクしたり、ということもあるからです。
なぜでしょうか。

 


 

オトナの型訓練の特徴

 

成人期以降、ひとは「型」にはまりにくくなる傾向があります。
長い歳月につちかわれたカラダの特徴やクセが、百花繚乱さき乱れてくるからです。
2つの理由をあげておきます。

(1)型にはまりにくいカラダになってくる

オトナになると、カラダは成長を止めるとともに、やがて老いを内包した変化もみせはじめます。
実際の動きに、個人差が大きくなってゆきます。
そのため、一定の「」にはめにくくなります。
」にはめることで、それまでの「自由な動き」にブレーキをかけてしまうことだってあります。

(2)時間が足りない

どんなものでも、新しい「」の習得には、一定時間以上の時が必要です。
いっぱしの基礎を身につけるためには、どんな分野でも1万時間は必要、なんていわれることもあります。
もう、そんな時間はないってば、笑。
ピアノを弾きたいからといって、バイエルから入っていたら、いつ自分の演奏ができるようになるでしょうか。

 


コドモの正道、必ずしもオトナには当てはまらず

 

オトナには、オトナの道がある

 

だからといって、悲観する必要はありません。
オトナになったら、「」に振りまわされない生き方ができるんですから。
オトナの特権を利用することです。
特権を利用できる、2つの理由をあげておきます。

(1)大きな経験値をもっている

こうすれば、あーなる。
自分のカラダのことは、自分で見つめられる。
これは自分にあう、これは自分にはあわない。
そういった自分なりの判断力をもてるのは、長く生きた特権です。

(2)大局的な見方ができる

足の出し方、ウデのふり方、息つぎの方法。
そういった部分、部分のこだわりより、どうしたらカラダを目的地まで走らせられるか、といったような大局的な見方ができるようになるのも歳月がはぐくんだ恩恵です。
カラダの動かし方を、アタマの工夫で制御できる。
オトナのスポーツは、知的な行動です。

 


鳥になって眺められるのがオトナ

 

オトナの「型」は、作ってゆくもの

いま、おいくつですか?

1日が365回もくり返して、1年です。
その1年をくり返した回数が、いまの自分の年齢です。

思えば遠くにきたものだ。

たとえば、自動車は、10年ものっていると、ソレなりにガタがきます。
20年のっていたら、驚かれます。
わたしと同い年の車なんて、もう公道を走ってはいません。

そんだけ長く使ったカラダで、走っています。
そこにお手本の「」なんて、あるんでしょうか。
そこに万人向けの「」を、はめてゆけるでしょうか。

」がまずあり、そこに自分を押しこんでゆくものではないはずです、それがオトナの流儀

今の自分にあうスタイルが、自分だけの「」です。
そういう独自の「」づくりこそが、日々の走りの楽しみの原動力になってゆかないでしょうか。
受け身じゃなく、創造。
新しく創ってゆくこと。
失敗することもある。
イライラすることもある。
でも、やりがいは、十分過ぎるほどある。

ランニングというのは、非常に単純な行為のくり返しです。
足が、交互に出てゆくだけ。
誰でも、できます。
むつかしいことではありません。
でも、そこは工夫の宝庫。

日々、新しい発見新しい感覚を求めて大地を蹴る。
今日こそはお宝に出会ってやるぞ、と埋蔵金探しをしているような気分になれるのがランニングです。
走るって、ワクワクするもんですね。

 

たーさん
ワクワクと 型づくり楽しむ ランニング

 


自分の「型」をつくってゆく楽しみ

 

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