アシの長さ
日本人のアシの長さは、そうそう長い方ではありません。
とくに、わたくしの世代の人間は。
とくに、わたくしの場合は。
いまの若いヒトは、そうでもなくなっています。
どこで変化が生じたのでしょうか。
という話題をだすとき、まず「アシの長さ」の定義をはっきりさせておく必要があります。
自分でも感心するくらいの、学術的な出足ですね、今回は。
では、アシの長さの定義をはっきりさせます。
それは「おマタより下」をいいます。
おマタって、何よ。
定義なんて持ちだしながら、ぜんぜん学術的っぽくありません。
どうやら、このあたりが、わたくしの限界です。
なので、このあたりで、手をうってください。
シャンシャン。
でもこれで、いちおうの共通の視点をもてるようになりました。
だいだい、わかればいいんです。
ここで立ち往生していたって、進みませんから。
短い、長い
さて、アシの長さを「おマタから下」と決めました。
そこで、アシの長さの比較が、容易になってきました。
さて、アシの長さには、ずいぶんと個人差があることに気がついていましたか。
アシの長いヒト。
アシの長くないヒト。
アシの長さが測れると、身長との比較もできるようになります。
身長の高いヒトは、一般に、アシも長い。
ジャイアント馬場の身長は、209センチだったといわれています。
すごい、富士山よりも高い。
とうぜん、アシも長くなります。
その長いアシからくり出される十六文キックの破壊力よ。
それに比べれば、さくら保育園年中組のマコトくんの身長は、110センチです。
まだまだ、アシの長さは、ジャイアント馬場にはおよばない。
でも、これから伸びる身長にあわせて、アシの長さも変わってゆくことでしょう。
いえ、ヒトとの比較が、今回の主題ではありません。
自分のアシの長さです。
これは、自分でも、だいたいはかれます。
この計測値は、これから長くなることはないでしょう。
成長は、10歳台ですでに止まっている可能性が高いからです。
というより、徐々に縮まってきています。
いと、悲し。
歩幅
自分のアシの長さは、もう変えられない。
少なくとも、伸びてゆくことはありません。
おマタがさける、なんて事件がおこらなければ。
と、するとです。
歩行のときの歩幅は、おのずと、アシの長さで規程されてきます。
いくら、大マタがいい、といっても限度があります。
とはいえ、現代は、大マタはやりです。
効率がいいんだそうです。
単純に考えても、1歩ですすむ距離が、かせげるんですから。
そのための、コツもありそうです。
胸をはる。
腕をしっかり振る。
力強く踏みだす。
みんな、わたくしのしていないことです。
一方、ウオーキングをされておられる方は、これできまっています。
厚労省、その他、多くの推薦をとりつけています。
カサを、かつぐ
再び、折りたたみでないカサを肩にかついで歩いてみます。
肩になじんだ歩き方。
すると、歩幅は、どうなってゆくでしょうか。
「短くなる」
いやあ、という感じです。
ますますの、小マタ歩行。
ということは、多数派の大マタ歩行の逆でしたね。
逆で、悪いのか。
悪いんだよ。
そう、はっきり断言させる学者さんもおられます。
小マタは、よくない。
小マタになるほど、歩けなくなる。
小マタになるほど、死亡率があがるよ、とまで。
統計をとった結果、なんだそうです。
余計なお世話じゃねえか。
かように思うのですが、ここだけの話にしておきます。
なにせ、小心者なもので。
そして、統計というのを好いてないもんで。
だって、肩にかつぐ歩き方、好きですから。
気持ちよくなりますから。
結果、小マタになって、悪いか。
自分の中の、アシ感覚
ウデを振って、大マタで歩くと、アシの長さを最大限利用できます。
と、いわれています。
このとき、自覚できるアシは、おマタから下の部分です。
あたりまえです。
それが、アシの定義でした。
ところがです。
肩にカサをかついでいると、アシの感覚が変わってきてしまいます。
アシがアシとして、独立しなくなっちゃう感じです。
胴体と、一体化してきます。
胴体と、アシが、1本につながってくる。
すると、アシは、どこから始まっているでしょうか。
レレれ。
肩の下から、じゃないですか。
肩から、アシが伸びて、地面までが「アシ」。
そんな不思議な解剖感覚になりませんか。
もう、アシと体幹なんて、区別している場合じゃありません。
えっ、自分、アシ、チョー長い。
自分のカラダは、アタマとアシからできている、移動中は。
はたから見れば、小マタとなって、歩幅はせまくなっているかもしれません。
でも、本人の感覚としては、アシが伸びている。
しかも、ちょっと伸びる、なんてもんじゃありません。
肩から下が、アシ感覚ですよ。
単純にみつもっても、倍以上。
歩幅は、実際の1歩の長さで計算、という学問世界のヒトには理解できないでしょうね。
そしてこれは、自分の内なる感覚ですから、数値化できない。
なので、統計をとるなんて無理。
統計で、人体感覚は、語れないんですよ。
本質のところは。
不思議な気持ちになれます。
それが、けっこう、心地よい。
ああ、歩く肩たたき感覚、っていってもいいでしょうか。
タントン、タントン、タントントン。
かついだら 肩からはじまる アシ感覚
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