話題は運動器へ
カラダは、すべて「包膜」と名づけた膜で包まれている。
小は、細胞のひとつひとつから。
中は、すべての臓器を包む膜。
そして、最大の包む膜である皮膚まで。
人体は、かように「膜」単位の集合体になっています。
(わたくしの、今回の結論)
その中でも、運動器系の包む構造に、目をむけてみます。
運動器とは、わたしたちの動きを直接に担当する部署のことです。
具体的には、バッサリと3つに切ってしまいます。
筋肉
腱
骨
以上です。
動くことは、生きること。
ですから、本来は、全身があってこその働きです。
ですから、本来はこれだけで動きなんて、かないません。
神経系も、循環器も、呼吸器も、みんなみんな必要です。
ただ、そうすると結局は全身か、ということで焦点がぼやけてしまいます。
なので、シンプルに特化してみました。
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運動器と骨は一体
運動器系といっても、筋肉だけでは何も語れません。
筋肉は、骨についているからこそ、働けるからです。
筋肉単独でしたら、焼肉屋さんのメニューでしかありません。
ミノとか、ロースか。
そして、筋肉と骨をつなぐ部分が、腱です。
ですから、筋肉と腱と骨は、三位一体。
運動器3兄弟。
この3者が主体となって、カラダの構造と動きをつくりあげてゆきます。
足の先から、アタマのテッペンまで。
ほかの臓器は、この中に要領よくおさめられているだけす。
そこを、最後に、皮膚がおおう。
本来は、筋肉と腱と骨は、別々のパーツにわけられています。
ですから、それぞれが、固有の包膜で包まれています。
はい、もうおわかりですね。
筋膜
腱膜
骨膜
まとめて、包膜。
そして、3者はまた、一体化した包膜に包まれています。
だって、つながっているのですから。
では、どのようにつながっているのでしょうか。
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2021/09/22303139_m-1024x668.jpg)
ソーセージだ
筋肉と、健と、骨は、どのようにつながっているか。
うーん。
ふつうだったら、腱が骨に付着、っていうんだろうな。
でも、本当にそれでいいんだろうか。
しばらく、コレを考えていました。
ある日、朝散歩の途中で、ひらめいたのです。
そうです、朝散歩は、ひらめきの場にもなります。
ソーセージじゃないか。
元祖ソーセージのもとは、腸管です。
ホースのような腸管という膜に、お肉をつめていって、つくります。
お肉を一定量いれたら、ねじって、くびれをつくって、またお肉をいれる。
これをくり返して、いくつもつながるソーセージの原型ができてゆきます。
そこに熱をくわえて、できあがり。
わたしたちの運動器のつながり。
それは、まさにソーセージ構造じゃないか。
筋肉は、太っている。
腱でくびれをつくる。
骨は骨で、またガッチリとした太さ。
ソーセージが、縦横無尽にはしる構造。
それが、わたしたち人体の、基本骨格をつくっていました。
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2021/09/22022524_m-1024x683.jpg)
ソーセージ理論
足のウラから、アタマまで。
あるいは、足の先から、手の指さきまで。
すべては、ソーセージ様のつながりで、連結している。
その数は、何本でも。
あるものは、1本のソーセージとして、カラダを支える。
あるものは、途中で分岐して、何方向にもつながりをつくりあげる。
ソーセージ1切れ、という単独なものはない。
人体をつくる筋肉の総数は、約200個といわれています。
みなが、ソレゾレにつながって、カラダとなっています。
どうでしょうか。
人体の基本骨格のイメージとして、ソーセージを連想、っていけませんでしょうか。
これを称して、「ソーセージ理論」って名前をつけたい。
人体をとらえる、新しい発想法。
あいも変わらず、センスのない命名ですいません。
このあたりは、わたくしの限界ですね。
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なんで、ソーセージですか?
人体をみているのに、ソーセージの出現。
しかも、ソーセージ理論なんて、あやしい提案。
なんで、ここでソーセージをだす必要があるのでしょうか。
それは、カラダのイロイロを考えるのに、利点があるから、です。
理由もわからずに、新しいことにチャレンジはしたくありません。
意味もわからずに、ピタゴラスの定理を覚えされたような。
カラダを、ソーセージにたとえて見てみる。
すると、カラダの状態が、新しい目で見えてくると思ったからです。
たとえば、カラダは、だんだんと硬くなってゆきます。
わたくしの場合、小さいころから硬かったですが、さらに進行しています。
立ったままお辞儀をグウっとしていって、指が床につかない。
座って長脚をググッと開脚しようとしても、90度も開かない。
さらには病気や障害で、折れ曲がるほどに関節がかたくなってしまうこともあります。
これを、「拘縮」といいます。
なかなか、癒すことは困難です。
またランナーの中には、長びく筋肉痛で悩まれる方がいらっしゃいます。
ふつう、筋肉痛は期間限定、数日で軽快してくれるものですけど。
走るたびに、同じところを痛める、という方もいらっしゃいます。
これらは、いずれも厄介です。
しばしば、年のせい、で片づけられます。
むつかしいですね、でアキラメることもある。
ところが、ソーセージ理論を紐解いてゆくと、硬さも痛みも、同じ発想でアプローチができそうなんです。
少し、明るい先が見えてきました。
(つづく)
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カラダの基本構造 ソーセージには 見えないか
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