ご隠居生活
この夏は、世間の情報から、離れてくらそう。
もともと、世間との接点は、あまりない生活です。
いまさら宣言するほどのことなのか。
ですが、さらに一歩進めてみよう。
テレビは、ふだんから見ないけど、決してスイッチは入れない。
新聞からも、遠ざかろう。
そもそも、情報とは、「情」に「報いる」と書かれます。
情に、触れていますか?
報われていますか?
それなら、すばらしいことです。
では、情のないものは、どうなんでしょうか。
報われないものは、何者なんでしょうか。
はい、これらは「情報」ではありません(キッパリ)。
現代が情報化社会だなんて、だれがいったのやら。
ウソでしょ。
情も、報いもない怪物が、ノッシノッシと暴れているだけじゃないですか。
だから、疲れるんです。
そんなものに、振り回されても、ソンなだけ。
そういう怪物からは、距離をおきたい。
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決心
そこで、中高年の2大決心をしてみました。
ひとつは、静かにくらす。
もちろん、テレビには、一切、近づきません。
新聞とも、距離をおく。
ということで、4年に一度という国際運動会も、まったくのスルー。
いっさい、見ない、読まない、聞かない。
ニュースも、同様。
例の感染症の話題からも、離れてのくらし。
要するに、単なる、ひきこもりですか。
そうとも、いえます。
でも不思議なことに、本当に必要な情報というのは、そういうのを介さなくても、伝わってくるんですね。
それこそ、情をもって。
報われる内容で。
心配いりませんでした。
そして、もうひとつ。
今年は、夏の自由研究にとり組んでみよう。
怪物に振り回されないぶん、時間がつくれる。
本当は、「夏休みの」自由研究としたかったんですが。
学生時代や、欧州とちがって、夏休みというのがなかなかとれない。
仕事中に、休んでばかりのむくいなんでしょうか。
残念ですか、そのため「夏休みの」自由研究ではありません。
「夏の」自由研究です。
かくして、世間のテンヤワンヤから離れて、研究に没頭。
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テーマは「つながり」
カラダのつながり、ということに興味をもってきました。
もちろん、つながりはカラダだけじゃありません。
住んでいる地域も、国も、世界も、ひとつの地球という上で、みんなつながっています。
あいかわらず、分断といっていい状況がつづいていますが。
カラダだって、すべてが、つながっています。
ドコソコが痛い、というときに、痛いところを指で指し示していただくことがあります。
そういう目線は、大切ですから。
同時に、カラダは、手の先から足の先まで、つながっています。
同じ血がながれています。
決して、一部分の問題ではありません。
カラダに、国境線はありません。
たとえば、足のウラが痛い。
場所をしらべると、足底筋あたり。
ところが、肩甲骨のこわばりだとか、胸のこわばりを癒すと、足ウラの痛みが消えてゆく。
そんなこともあります。
つながりの、不思議。
そういった「つながり」をどう見ていったら、いったらいいだろう。
どう理解してゆこう。
どう活用できるだろう。
はい、わたくし、だれかの話をソノママ受け売り、というのがなかなかできません。
そんなに器用じゃない。
自分の中で、いちど組み立てなおさないと、納得できません。
ビンボー症です。
そこで、あらためて「つながり」を考えなおそう。
うーん、なんだか青春のにおいもするし。
だんだん、夏の宿題みたいになってきたでしょ。
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材料は、無尽蔵
自分のオツムの中に、イメージをつくってゆく。
といって、何もないところでは、なかなか形になりません。
先人の智恵も拝借。
いろんなカラダの世界を、「つながり」という目で再探訪してみました。
解剖生理学的な面から。
古代身体操法といった面から。
身体施術の面から。
医療の面から。
ふだんの走りや、お散歩時の感覚から。
汗をかきかき、あらためて、集中読破してみる。
関連図を、白紙に自由に書きなぐってみる。
すると、だんだんと、「つながり」の姿が見えはじめてきました。
それを、再構築してみよう。
たしかに、身体はつながっています。
それを活用している世界があります。。
古くは、経絡やツボなんかも、つながりに着目した証でしょう。
そのつながりの活用が、今のカラダ使いの参考になればいいな。
見方を変えると、つながりの不十分さが、パフォーマンスの低下に結びつくのかも。
そして、つながりの支障が、カラダの不調や故障の原因にもなるのではないか。
古代から、現代まで、アプローチの仕方はさまざまです。
でも、そこに共通の視点が見えてきました。
方法はちがっても、目的は案外、共有しあっているのじゃないかな、と。
カラダのしくみや動きは、昔から現在まで、同じなんですから。
ただし、使い方が、変わってきているのが問題なんです。
(つづく)
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おとなこそ 夏の楽しみ 自由研究
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