「よい」を目指そう
コレは、よくないですねえ。
コレを放置しちゃあ、まずいんじゃないですか。
コレは、今すぐなおすべきです。
よくないものを、見つける。
それを「よい」方向へ導こうとするヒトがいる。
従うヒトがいる。
従えないヒトがいる(たとえば、わたくし)。
こういった構図は、社会のいたるところに、見られます。
とくに象徴的、とでもいえる場所はどこが思いあたるでしょうか。
たとえば、学校はどうでしょう。
成績とか、素行とか、完璧な子はいないものですから。
ランニング界でも、ときどき、お見受けしませんか。
まこと社会には、道をはずれそうになると、ありがたき誘導をいただける方がおられます。
自称「社会改善実行委員」みたいな方。
個人的に、わたしは苦手ですが。
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病気になったら
身近な例を紹介させていただきます。
「血圧がたかいですねえ」
はい、血圧は、高いのはよくありません。
高血圧症、なんて名前もありますから。
そこで、望ましい導きは、血圧をさげてあげることです。
「さあ、今日から、この薬をお飲みなさい」
結果、血圧がちょっと、さがってくる。
薬を出す方は「いいおこないをしたなあ」
さがった方は「カラダにいいことになった」
こういうのを「ウイン・ウイン」の関係、ともいいます。
お互いが勝つ、お互いがいい思いをする。
世の中、すべてがこんな風にすすめば、平和になってくれるのでしょうか。
なんだか、思いは地球規模にまで発展しそうです。
ところが、そうにはゆかないのが、世の深さです。
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そう単純じゃなかった
血圧が高いのは、よくないコトです。
たしかに、一理あります。
たとえば、血圧が200だったら、2,6メートルも吹き上がる圧が動脈にかかっているわけですから。
でも、ここで一歩、立ち止まってしまいます。
「血圧が高くなる」にも、意味があったんじゃないか。
そもそも血圧は、血液をカラダのすみずみにまで運ぶためのものです。
この圧力のおかげで、カラダはどこも新鮮な血液がめぐってもらえる。
水道管の水圧みたいなもの。
ですから、何らかの原因で、巡れなくなったとしたら。
その部分は、最悪、死んでしまいます。
そうしたら、少し「圧」をあげなくてはなりません。
そうしないと、血液がとどかない部分は機能が果たせなくなってしまうんです。
カラダは、つねにそういう監視がいきとどいています。
たとえば、血管の中が狭くなって、血が流れにくくなった(動脈硬化)。
たとえば、酸素が慢性的に不足してきた(睡眠時無呼吸)。
たとえば、貧血が進んできた。
たとえば、担当する部署が広がってきた(肥満化)。
こんなときは、血圧をあげてやらないと、カラダ中に必要な血液が回らなくなる。
ここを考えないで、「血圧の基準値」を目標に突っ走ると、こける。
ほんとうに、頭に血が回らなくなって、こける。
あるいは、ぼける。
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クセも要求から
走り方のクセ、を指摘されることがあります。
走り方ひとつにも、個性満杯ですから。
どうして、走りに個性やクセが生まれてくるのでしょうか。
カラダの構造や使い方が、ちがうからなんじゃないでしょうか。
そのちがいに合わせて、一番あう走り方になってくる。
ちがいが増えるほど、個性やクセが育ちはじめます。
つまり、成長すればするほど。
年をとればとるほど。
ですから、保育器のなかの乳児は、見分けがつきにくい。
まだ、個性のとぼしい時代。
そんな「クセ」を持ち出されて、いきなり「こう治しなさい」といわれましてもねえ。
必要性が、それを作っていったのでしょうから。
なので、一呼吸。
その必要性は、どこから生じたのか?
その必要性は、本当に必要なのか?
必要性をかえる方が、いいのか?
こんな知的な会話を、自分とするのも楽しいかも。
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自分で一歩を
いつの間にか、世の中には「目標」や「お手本」があふれています。
それは、イイことです。
目指すべきものですし。
ただし、万人にとっていいか、は別問題じゃないでしょうか。
自分には合わないものもある。
自分には、かえって害になるようなことまである。
ですから、合わないからただちに「バツ」じゃありません。
自分にとっては、必要だったのでしょうから。
そういうところから、本当の「目標」や「お手本」が見えてきませんか。
だから、自分は今の自分を大切にして変えないよ。
それも参考にはして、ちょっと考えてみるよ。
ここは、思い切って大胆なイメチェンにチャレンジしてみようか。
いろんな可能性を目指して、いいんじゃないでしょうか。
ひとつのワクに押し込めない。
たくさんの選択肢を用意しておく。
選択肢がある、というのはシアワセなことです。
あるいは、余裕を産む。
うまくゆかなかったら、別の道があるじゃないか、ということですから。
みんなが同じ道を通らなくっても、ね。
そうそう、だから「走り方」も選択肢をふやしたい。
どう考えたら、ふやせるでしょうか。
その一助にと、考えているのがランニングモデル。
次回、紹介させていただきます。
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