「気」を味方につける

「気」の3分類

 

気のせい」とか「気のもちよう」とかでかたられる「」の正体。
それは、自律神経ネットワークである。
わたくしの妄想です。
教科書にかかれていませんし、世間に認められてもいません。
さいしょに、おことわりしておきます。

と開きなおったら、自律神経ネットワークを4つに分類してみました。
真実は、ふつう、単純で美しいですから。

 
  副交感神経  回復  ねむれること
 たべられること
  交感神経  活動  向かうこと
 さけること
 

この4つの「行為」には、優先順位があります。
生命の優先順位とでいえるものです。

1番目:ねむれること
2番目:たべられること
3番目:さけること
4番目:向かうこと

以上です。
この4つが、うまくめぐっていれば、「気」はたしかです。
まあ強引なまとめ方ですけど。

 



 

東洋の「気」

 

東洋医学には、「」という概念がちゃんとあります。
西洋医学は、あまり注目されていませんけど。
精神だとか、心というものになっているようです。

「気」の乱れた状態を、3つに大別しています。
気虚
気鬱
気滞
むかしは、この分類って何者?と思っていました。

まずは「気虚」です。
これは副交感神経の低下状態ではないでしょうか。
つまりは、回復力が機能できない。
具体的には、ちゃんとねむれていない。
ちゃんと、たべられれていない。
その結果、身も心もフラフラ。

そして「気鬱」。
向かって、向かって、向かうことばかりの状態。
そのほかの「行為」をとる余裕がもてない。
なので、休めない。
突っ走って、ボロボロにっているいる状態です。
オーバーヒート。

そして「気滞」。
回復と活動のスイッチが、うまく切り替えられない状態です。
回復が不十分、活動も不十分。
ぜんぜん、うまくまわってゆかない。
スマホ始めちゃうと、やめられなくなって、睡眠モードに入れないとか。

漢方の世界は、きちんとそれに対する基本処方を考えてくれています。
気虚には、四君子湯をベースにしましょう。
気鬱には、半夏厚朴湯をベースにしましょう。
気滞には、四逆散をベースにしましょう。
中身は、なるほど、理にかなっています。

 



 

例の後遺症

 

〇〇ナ後遺症
〇〇ナ〇〇チン後遺症
こういうものに苦しんでおられる方が、います。

ただ、みなさんが同じじゃありません。
ひとりひとり、特徴はちがいます。
だけど、おおまかには、いくつかのグループに収まってくるようです。

もう身も心もつかれはてて、ぼろぼろにつらい。
疲れ果てて、なのにねむれない。
ゴハンも、ハシをつけたくない。
体力も、落ちてしまった。
うーん、「気虚」っぽいです。
つまり、ちゃんとした回復がとれない。

あんなモノにかかってしまうなんて。
あんなモノを受けいれてしまうなんて。
もう、許せない何もかもが。
そういう気持ちの空回りで、結果ヘロヘロに疲れ果ててしまう。
これはどうやら「気鬱」っぽくないですか。
やり場のない怒りみたいなもの。

ああ、きつい、つらい、落ち着かない。
生活リズムもズタズタ。
だから、起きられない。
太陽とは、まったく縁のない生活。
生活の切り替えができていません。
どうも「気滞」そう。
休むときは休み、活動時には活動、と切り替えられない。

 



 

ランとの付き合い方

 

ランの目標って、何でしょうか。
そりゃ、人さまざまでしょう。
ランナーの数だけある、かもです。

わたくしの場合、「いつまで走れるか」というのがおおきい。
走れる、ということは、カラダがついてきてくれる、ということです。
あわせて、ランが好きでいつづけることです。
この両輪のどちらかが欠けてしまったら、たぶん走りはストップしてしまうでしょう。

そうかんがえると、「」の教えがいがいに貴重。

まず「睡眠」は大切にしたいな。
ちゃんと、寝ていないと。
何より、ちゃんと寝られたら気持ちいいですし。

そして「食事」を大切に。
なにしろ、カラダはたべたモノでできてゆくわけですし。
くわえて、走るエネルギーは、たべたモノからつくられるわけですし。

といって、毎日「睡眠」「食事」を万全に、なんて無理です。
充分なねむりがとれない日もある。
ゆっくりたべられないときもある。
できないときは、穴埋めを考えてゆけばいいだけ。
肝心なのは、「回復」の生活基盤を失わないこと。

そして「さける」活動を忘れない。
つきすすむだけが、エライわけじゃありませんから。
時間だって、有限ですから。
対象も、人間関係も、距離感覚を忘れたくない。
ランでいったら、休むということ。

それらあっての「むかう」活動でしょ。
走るだけが、走りの目標みたいにしない。
といって、手をぬくというわけではありません。
はじめたら、もちろんむかう。

たとえば走りはじめたら。
手をぬかない。
ガンバる。
で、思うようにいかなくても、学びは忘れない。
失敗からのほうが、学びは多いですから。

こういう流れがうまくゆかないと「気虚」「気鬱」「気滞」がありますよ。

 



 

見えるということ

 

とんでもな不調の中に落ちてしまうことがあります。
出口がない。
絶望。

そういうとき、「」の状態を考えてみる、という道もありかなと思います。

回復がままならなくて、ヨレヨレ不調なのか(気虚)。
馬車馬のまま走りすぎて、限界点にきているのか(気鬱)。
切り替えができなくて、どっちつかずなのか(気滞)。

いまの追いこまれた状況を、みつめてみる。
なにごとも、夢中になりすぎると、いわゆる「気鬱」の溝に入りこんでいたなんてことは少なくないように思えます。
つまりは、「むかう」ことだけに疲れた状態。

くらしの振り返りも、「気」の分類で考えてみる。

今週は、チョー忙しくて走れなかったなあ。
あるいは、今週は走る気持ちがわかなかったなあ。
そういうときです。

だから、これから走りにゆこう(むかう)。
気持ちを切り替えて、来週から再スタートしよう(さける)。
別の意味で疲れがあるんだから、はやくねよう。
ねるのも、クンレンだから(回復)。

どれもアリ、でいいかなと思います。
そしてわたくし、最近は、回復を優先している気がしています。

こんなこと、若いころには、たぶん考えつかなかったかもしれません。
それだけ、枯れてきた証拠でしょうか。

まあ、枯れたぶん、新しい景色も見られるようになったもんだ。
そうなぐさめて、いまの走りとつき合っています。

 



 

たーさん
気の方向 かえるだけで 世界もかわる

 

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