おり返し
おり返して、一番の急坂にかかります。
昨年までは、ここでは、それなりのランナーの中のひとりでした。
それなのに、今年は、やけにさみしい。
ずっと先に、ひとり。
参加人数が少なかったのかもしれない。
それとも、遅すぎて、みんな先に行っちゃっているのかな。
(たぶん、後者のほうです)
前を走るランナーがいれば、少しは、追いかけようとします。
後ろにせまるランナーがいれば、そうそう歩いてばかりはいられません。
それが、ひとりだと、この緊張感のなさよ。
いえ、まわりのせいにしちゃ、いけません。
遅いのは、遅い。
ハイキングに来ているんじゃないんだから。
つくづく、追いこめない性格。
ハングリー精神、完全消滅。
あのロッキースピリッツは、いまいずこ。
せめて、おじいさんは山に芝刈りに、くらいの気持ちは忘れないでゆこう。
だんだん、支離滅裂。
それにしても、この部分も、すこし道筋が変わってきたような。
直線化の波。
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急に、ランナーの姿が減ってきました。
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コース脇の小屋。こういうところで思索もいいかも。
至福
午後の日差しが、頭上から差しこんできます。
赤城高原といっても、夏。
光線の勢いは、まだまだあなどれない。
ところが、その光線が、周囲の高い木立ちでさえぎらます。
コース上には、木漏れ日として、届くばかり。
ギラギラとした光も、葉を通って、緑色に変えられてしまっています。
葉緑素がシャワーのように、降り注ぐ。
世界が、一面のグリーンワールド。
それが、目にも、肌にも、なぜかココロにも、心地よい。
コースも、なだらかな上下だけ。
人の気配も消えています(苦笑)。
セミの声が、入ってくるばかり。
ああ、なんて幸せな空間。
一歩ごとに、感嘆のため息がもれてしまいます。
レース途中ですが、レース気分も、消えていってしまいます。
走ることが、ただ楽しい。
いいのか、こんな感慨に浸ってしまっていて。
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コース上、唯一のエイド。シンプルですがあたたかい。
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やさしく木立が、日差しをさえぎってくれています。
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ただ、静かに走る、何もいらない。
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静けさにつつまれた空間。
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前方が明るくなってきました。次の局面へ。
会場だけは、別世界
最後の直線道路。
ここは、しっかりとした山道です。
道幅も、やや広くなっています。
軽トラじゃなく、大型でも走れます。
そして、見事に、大小の砕石がばらまかれています。
今日は、山道なので、地下タビで走っています。
しっかり足をガードしてくれますが、それでも、底はゴム1枚。
砕石は、苦手です。
もともと、地下タビは、走るのじゃなく、歩くのが目的ですから。
あのカドを曲がると、ゴール会場。
いつもは、ここにも最後の声援をくださる方がいますが、きょうはひっそり。
それでも、ゴール場面では、いたわりの言葉で祝福。
そして、朝採りの地元レタスをいただく。
大会案内。
測定値34キロ、GPS実測値26キロという奇妙なコース。
マイGPS時計では、26,2キロでした。
そしてこの計測値は、なんと昨年と変わっていませんでした。
3時間55分11秒。
昨年より、21分42秒、余計に走りを楽しめました。
うーん、ほんの負け惜しみです。
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ランナーより、スタッフの方が多い状況でも、シャワー付きで、待っていただけます。
トレランという深み
山の中を走る。
かつては、信じられないことでした。
山は、歩くもんでしょ、ふつうは。
意識は、変わるものです。
もっと昔は、さらにちがっていました。
足は、歩くためのもんでしょ。
走っていると、脳ミソがゆすれて、バカになる。
そう信じていました。
ま、これは、自分の場合、半分当てはまっていますけど。
それが、こんな歳になって、リュックを背負って山を走るとは。
いえもとい、のぼり坂は、歩いていますが。
疲れると、くだりも歩いていますが。
このあたりの、こまかな事情は、スルーしておきます。
トレランの世界は、まだまだ未知です。
そんな中で、今の関心は、傾斜角問題です。
どこまで、平地の感覚でのぼれるか。
急だと思うだけで、行動にブレーキがかかるみたい。
思わなければ、なんとかゆける。
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最近はやりの、最終確認隊、お世話になります。
体力か、ノット体力か
体力は、歳とともに、どう変化するか。
なんてことは、考えなくなりました。
世間のジョーシキには、染まるまい。
いわゆる、ジョーシキのこわさ。
さまざまな場面で、いやというほど、味わってきました。
だって、ジョーシキというのは、人間の作った一つの仮説にすぎませんから。
そして、ジョーシキは、しばしば多分に恣意的です。
思い込み、ともいう。
だから、ジョーシキの強要はこわい。
ジョーシキといいながら、「現実」や「実態」とちがうことなんて、ザラにあります。
だから、「現実」や「実態」の方を見てゆこう。
ジョーシキからは、キッパリと距離をおいて。
坂をのぼっていると、息苦しくなる。
これを、体力の問題として、とらえない。
のぼり方の「工夫」が、まだまだ、足りないのじゃないか。
「工夫」というのは、ふつう「10個」単位で構成されています。
いえ、そう思っています。
いましめている、といってもいいかも。
10個くらいのアレコレを試してみないと、工夫にはなりません。
10個、あるいは20個、30個の視点をかえてチャレンジしてみる。
まだまだ、知らないことばかり。
ゴールは遠いね。
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今回も、山道ということで、地下タビ。
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ゴール後、レタスをいただきましたが、会場を出ると、こんなに(笑)。
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モクモクと、入道雲が湧き上がってきました。
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緑陰に すっかり染まって ペースダウン(いいわけ)
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