ガンバルことは、とっても貴重
ランニングは、ひととオシャベリができるくらいのスピードで楽しみましょう。
山歩きは、ゆっくりと息がきれないように、のぼってゆきましょう。
ときに、おそらくは初心者向けに、こんなメーセージを目にします。
でも、いつもオシャベリ、ゆっくりでいいのか、といえば現実的ではないでしょう。
たのしいオシャベリランだけでしたら、時間内にレースのゴールをふむのがむつかしくなることだってありえます。
いつまでも息がきれないように山道とたわむれていたら、途中で日がくれて、目的地につなかい事態だって起こりえます。
苦しめ、というつもりはありませんが、力をふりしぼってゴールに飛ぼこんでいったり、ハアハアと息をはずませて頂きに立つ、という体験だってとっても貴重だし、すばらしいものと思います。
世の中には、ガンバってきたからこそみえる風景、というのもあるんです。
努力は、悪くない。
気持ちいいガンバリ
息苦しさの本当の理由は、カラダをめぐる血液循環がアップアップからおこってくるものでした。
アップアップがつづくと、体力の消耗もはげしくなります。
消耗がすすめば、走ってゆくのがつらくなります。
では、アップアップしないために、お手軽にできることは何だろうか。
そのひとつに、足拍数、つまり小マタにしてピッチをあげてゆく、というのはどうでしょうか、という流れでやってまいりました。
数多ある考えの中から、わたしの個人的な感想です。
それでは、どのくらいまで足拍数を上げていったらいいのかな、ということを「数値化」を通して考えてみたいと思います。
マイ・足拍数決定の方法です。
血液循環の中心は、本家心臓
カラダの中を、速く、強くまわっている血流を支える中心が心臓のドッキンドッキンにあることにまちがいはありません。
本家心臓は、つねにカラダ全体からの情報を反映して、カラダのどこにも過不足なく血液をいきわたらせられるように、主に心拍数を調整して血液循環を支えてくれています。
走っているときだって、もちろん例外ではありません。
現在は、走りながら自分の心拍数を腕時計やスマホで比較的容易にモニターできるめぐまれた時代です。
そういう機器をおもちでしたら、ぜひ、スタート前からランニング中の心拍数の変化に改めて着目してみてください。
スタート前は、ふだんの安静時の心拍数からちょっと多いかな、くらいです。
走りはじめると、心拍数は一気に上昇してゆきます。
カラダが走りに慣れるまでは、一方的上昇をつづけていた心拍数は、やがて呼吸が落ち着くのにあわせて、高めの安定値でおおきな動きをみせなくなります。
そこにスピードダッシュを加えると、息苦しさとあわせて、心拍数もグイグイと上昇をみせます。
もうダメ、苦しい、というのをさらに力をふり絞って走る最中が、おそらく心拍数の最大値かもしれません。
ガクッとスピードを落とすと、呼吸感覚とともに、心拍数はゆるく下降線を歩みはじめます。
さあ、自分の心拍数は、どう答えているでしょうか。
わたしの心拍数は、気持ちよく走りつづけている最中は、120〜140台くらいです。
少し息をはずませると、150台くらい。
上り坂がつづいたり、スピードアップしてゆくと、160台。
ときに、170台に入るか、入らないか。
歳のせいか、180台までは入ってゆかない(ゆけない)。
さらにいったら、心室細動でコテン?
そんな、マイ心拍数。
心拍数は、めまぐるしい
体験していだだければ一目瞭然ですが、心拍数を一定にして走るつづけるということは容易ではありません。
同じペースで走っても、同じリズムで走っても、同じ息づかいで走っても、心拍数は微妙に上下動をくりかえします。
ペースを一定にして走る、というのは長距離を走るのに効率的なカラダの使い方です。
カラダの代謝や消費が、落ち着いて働けるから、でしょう。
そのために、心拍数の情報はどのくらい役に立つでしょうか。
というか、心拍数を一定にして走れるでしょうか。
実は、新婚時代みたいに、あまりに心拍数を見つめ合っていると、その上下動の激しさから疲れてしまいかねません。
ということで、わたしは、もう何年も心拍数をはかることをしなくなっています。
実は、胸に計測器をつけてGPS時計で心拍数を見ていたのですが、それが壊れちゃっているだけですが。
でも、大丈夫です。
第2の心臓、足拍数があるんです。
エンの下の力持ち
本家心臓は、カラダ全体への血液循環を過不足なくおこなう中心人物です。
そのセンサーは、全身に張りめぐらされていて、あらゆる情報をもとに、心拍数の調整をおこなっています。
走っている最中だからといって、下半身の循環を優先するわけではなく、きちんとアタマにもウデにも目を光らせています。
なにしろ、脳ミソだって、1日に500キロカロリーを消費しているんです。
そんなに使ってない、と思っていても、消費はされています。
アタマにもつねに十分な血流が必要です。
カラダの中に、放っておいていい部位はありません。
一方、第2の心臓たるフクラハギの収縮は、もっぱら下半身にたまる血液を本家心臓まで持ち上げるためのポンプです。
下半身専従。
脳ミソや上半身の血流に、直接のかかわりはもっていません。
でも、一生懸命に一番大変な部分の血流を支える縁の下の力持ちです。
そんな第2の心臓、フクラハギくんの足拍数は、どのくらいが本家心臓、ひいてはカラダにとってありがたいでしょうか。
足拍数優先の法則
そこで提唱させていただくのが、「本家心臓より、少し多めの足拍数」という走り方です。
フクラハギくんが、本家心臓に負担をかけないように、心拍数を上回る援助をつづけていますよ、という走り方です。
これを「足拍数優先の法則」と名づけさせていただきました。
はい、いつものように、賛同されません。
でもいいんだ、もう慣れっこ。
本家心拍数は、自分から調節することは困難です。
しかも上下動がめまぐるしい。
でも、足拍数は、意識してゆけば徐々に自分で決定させ安定させてゆくことができます。
わたしの場合、走行時の最大心拍数は、ま、170くらいと考えています。
だから、ふだんのランニング時は、足拍数170位、という感じで楽しんでいます。
実際に、足拍数170前後だと、楽に走れるようになっています。
しつこいですが、ランニング中、つねに自分の心拍数をこえる力で第2の心臓がバックアップしつづけていますよ、というイメージです。
ああ、あたたかな協力体制。
休みの朝は一周22キロの一部山ありコースをグルリしてくることからはじまることが多いのですが、だいたい170前後です。
平日の6〜8キロコースも、そんなものですが、少しスピードを上げると、170をこえて帰ってきます。
直近の、古河はなももマラソン(フル)は、レースということもあって、179でした。
そうです、今では「タイム」より「足拍数」を大切な記録として、毎回、ノートに残しています。
で、質問です。
日常の足拍数は、どのくらいで走っていますか?
レースのときは、どのくらいの足拍数になっていますか?
もちろん、本家心臓のバックアップという意味から、足拍数をもっと上げる走り方という考えもあるでしょう。
情報源を忘れてしまいましたが、瀬古選手の足拍数は240だったと記憶しています。
ただし、これも上げすぎれば、カラダの負担になることもあるでしょう。
アシが、もつれちゃうって。
ゆっくりジョギングを楽しみたい、というなら150とか、140という数字だっていいじゃありませんか。
実践。
できるだけ、一定化した足拍数で走ることの感覚チェック。
ためしてみませんか。
足拍数に着目すること。
足拍数を記録すること。
タイムより、足拍数。
自分の「マイ足拍数」ができてくると、走りの楽しみと安定感がましてくる気がします。
新しい発見があるといいな、と願っています。
一句 ふりかえり タイムみるより 足拍数
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