底力
つくばマラソン(2018年11月25日)は、昨今の新生マラソン大会に比べ、地味かもしれません(個人的感想)。
大都市マンモスマラソンのような、きらびやかなお祭りムードではありません。
地方都市密着マラソンのような、郷土色で大接待というわけでもありません。
参加したからといって、Tシャツがいただけるわけではありません(希望者は有料)。
ゴールしたからといって、完走メダルやタオルがいただけるわけではありません。
給水所は、豪華食材でもりあがるわけではなく、シンプルです。
ゆるキャラくんも、きていません。
いうなれば、昔カタギの、走りを純粋にきわめてゆきたいランナーのための大会なのかもしれません。
ただし、あくまで個人的な感想ですので、あしからず。
ところで、表舞台に立つことはありませんが、医療支援体制にかんしては、おそらく最もすすんだ大会、といえるのではないでしょうか。
システム、人員、実際の行動、どれをとっても、ひとつの理想形ともいえる運用がなされています。
救護所などは、もはや運動会の救護テントの比ではありません。
プチ病院といっていいほどの、陣容と機能をそなえています。
そこまでそろえちゃえるの、と驚くほどの徹底さです。
しかも、救護所だけで、7ヶ所も設置されているんです。
くわえて、コース上のほぼすべてをカバーするモバイル隊やサイクル隊、現地スタッフが、集中システムで機能しながら、臨機応変に対応してゆきます。
救急車、後方支援病院も、きちんと待機されています。
25ページにおよぶ『医療救護体制マニュアル』は、まさに圧巻です。
すばらしい統制力で機能しています。
ですから、ランナーは思いきり走ってのち、思いきり倒れることができます。
いえ、冗談です。
自己管理は、しっかりおこないましょう。
救護ランナーのきびしいオキテ
不肖、このわたしも救護グループの末席に加えていただいての参加です。
そのため、『救護ナビ』がインストールされた重い予備バッテリー付きのiPhoneを手わたされます。
これで救護本部は、わたしが今どこを走っているか、が把握できます。
近くに何かあれば、依頼もきます。
ただし「至急1キロ先の現場に急行せよ」と連絡が来ても、至急には駆けつけらられる走力はありません、すみません。
ボランティア参加だから、といって甘くはないんです。
とくに、任務をはたすために必ず守らねばならない「オキテ」が課せられています。
ある意味、ランナーにとって大切なモノをガマンできるか、という決断が求められます。
いいのか、それで、と自問することもあります。
それでもなおランナーのため、自分自身の日頃の殺生への罪滅ぼしのため(?)、清水の舞台から飛びおりる覚悟で決意をするのです。
そのきびしいオキテとは、「一番で走ってはならない」。
目は、前についています。
うしろの光景は、振り向かねば、みることはできません。
いわんや、走っている最中に、後ろに注意をむけるなんて至難の技です。
となると、仮に、先頭を走ってしまったらどうなることでしょうか。
救護ランナーの使命は、体調をくずしてしまったランナーへの救護です。
なのに、自分の前を走っているランナーがいない。
これでは、仕事になりません。
任務を全う、無理です。
ですので、マラソン日本新記録を樹立して、賞金1億円をゲットしよう、という目標は断念しなくてはなりません。
ザ、ザンネンです。
だから、わたしたちの仲間には、大迫クンも設楽クンもいないのか。
いえ、理由は別だと思います。
なので、今日は先頭狙いは、清くあきらめています。
いざ出陣。素敵な、お仲間たち
スムースな走りだし
つくばマラソンは、いちはやく時差スタートをとり入れました。
そのため、わたしのような下々のランナーも、号砲からすばやくスタートラインを乗りこえられます。
最初は、筑波大学構内を走ります。
広々とした敷地、周囲の紅葉にいろどられた静寂。
これで3キロも走るのですか。
いったい、どんだけ広い大学なんや、と思わせます。
大学をぬけると、広く明るい空間にとび出します。
道幅もゆるい。
順調な流れが、やがて学園西大通りへと導かれます。
右前方には、名峰筑波山がくっきりと浮かんでいます。
このまま、山のテッペンまで行ってしまいたい、くらいの気持ちのよさ。
くわえて、街路樹や畑が次々と装いを変えてゆくので、本当にあきさせません。
前半は、そんな景色に癒されながら、順調にすすみます。
もちろん、足元はハダシにワラジ。
小マタで足拍数(ピッチ)でかぜぐ力まない飛脚走り走法。
そこでえられるペースが今の自分のベスト、とわりきっています。
ということは、後半の景色はイマイチなのか。
いえいえ、そんなことは決してありません。
だんだんと景色を堪能する余裕がなくなってくる、というもっぱら自分の都合によるものです、すみません。
マラソンは、走りだ
ハーフをすぎると、平らといわれるつくばコースも、丘陵をこえるなだらかなのぼり下りがあらわれてきます。
やがて、つくば市役所のある研究学園駅に通じる広い道筋に入ると、両側にはたくさんの声援が迎える華やか通りとなります。
ここで元気を補充して、さあさあ、30キロ地点へと足をふみ入れてゆきます。
30キロの壁。
しばしばマラソンで語られるコトバです。
ハーフマラソンで語られることはありません(あたりまえか)。
そして、どういうわけか、30キロの壁をこえた先に待っている光景が、なぜか殺風景になるのです。
もちろん、多分に心理的フィルターがそう見せるんでしょうが、やはりさみしい。
くわえて、なんだか向かい風さえふき始めてきた感覚。
きつい。
ところが、つくばマラソンは、ここから歩くランナーが見事に少ない(わたしと同じペースの周辺事情)。
みな、黙々と、足を止めずに、前へ前へと走ってゆきます。
それに引っ張られるように、わたしも足を止めない。
これぞ、つくばマラソン。
多くの自己ベストをねらうランナーが選ぶ理由が、ここにあります。
最後に感動が
残り3キロを割って、ふたたび筑波大学構内へもどってきました。
ここまで走ってきたら、もう歩くまい。
ヘロヘロになりながらも足をすすめてゆくと、なにやらランナーの大集団が前方に。
風船が見える。
そうですか、4時間のペースメーカーランナーと、それを囲むランナーたちでした。
ううん、そうなら越えてゆくしかない。
より小マタに、より足拍数(ピッチ)をあげて、ゆるゆると集団に入ると、クネクネと抜け出してゆきます。
そう飛脚走り(宣伝中)。
そして41キロをこえて最後ののぼり坂。
こ、ここで出会った。
つくばマラソンといえば、『ロッキーのテーマ』を流してくださる方がいるんです。
場所は一定しませんが、「ああ、今年もロッキーが応援してくれる」とうれしくなる瞬間です。
早朝のフィラデルフィアをかけ出してゆくロッキーの姿とかぶって、大きな勇気をいただけるんです。
ところが、今年は耳に入ってこなかったんです。
残念な気持ちになっていましたが、今年はここで出会えたんだね。
最後の坂で、ロッキーのテーマに出会えました
最後のフンバリ。
は、もう効かなくなっていましたが、なんとか坂をよじのぼり、フラフラとゴールへなだれこみました。
3時間57分。
あたたかな、晩秋の日差し。
ゴールすれば、あとは楽しい憩いの空間へ。
なお、今年は温暖な気候にめぐまれ、レース全体も大過なく経過されたようです。
わたし自身も、もう走れなくなって「救護車で回収してほしい」と依頼を受けたランナーを沿道の救護員へバトンタッチした以外は、数名のランナーと走りながら体調の話をうかがうだけでした。
あとは、つくば名物、四六のガマにならって、無事カエルまでがレースです。
あたたかな日射しには、ワラジが一番?
↓ よろしければ、清き1票をお願いします(1日ワンクリック有効)
にほんブログ村