おばあちゃんのごめんねリスト(フレドリック・バックマン著)

フルマラソン中の思考変化

 

フルマラソンの舞台。
わたしにとっては、スタートからゴールまでは、長い道のりです。

その長い時間のなかで、アタマのなかでは、いろんな思いが去来します。
多くはボンヤリしたもので、内容は足あとと同じように、その場に置いてゆくばかりで記憶に残るものはそうありません。

そしてマラソン中にアタマに浮かぶことは、マラソンの行程とよく相関してきます。
ザックリ切ってしまうと、おおきく4つに分けられます。

 


 

最初は、スタート時点
これからはじまるマラソンという物語の期待と不安の思い。
まだ、あたたまっていないカラダの感覚。

レース前半部に入ってゆくと、気もココロも走りモードになってゆきます。
疲れも、たまっていない。
周囲のペースにのってズンズンゆきます。

ところが後半部に入るにつれ、シンドさが出現。
視界がせまくなり、景色が入ってこなくなる。
ちょっとモウロウとした走りへ。

ゴールの前後は、また世界が変わってゆきます。
つらさを、充実感に変えてしまう魔法のライン。
42キロを走ったあとでしか味わえない独特の感慨

わたしは、そんな思いの変化をマラソンレースで感じます。
そして、マラソンと同じような感覚の本に出会いました。
それがこの「おばあちゃんのごめんねリスト」です。
フィレドリック・バックマン著、坂本あおい訳、早川書房。

おばあちゃんは、どんな「ごめんね」をするのでしょうか。

 


 

マラソンとは、関係のない物語ですが

 

この作品は、スウェーデン作家の、スウェーデンが舞台の小説です。
マラソンの話は、どこにもでてきません
ご注意ください

主人公は、エルサ、7歳になった女の子です。

お友だちは、となりに住む、おばあちゃん、ただひとり
ませていて、人と合わせるのがきらいで、そのため学校ではいじめられてばかりです。

住まいは、9家族がくらす5階建ての集合住宅です。
1番上のひとつに、ママと、新しいパパ(本当のパパじゃない)とくらしています。
ママのおなかには「半分ちゃん」とよんでいる子ができましたが、まだ会っていません。
そのとなりに、おばあちゃんが、1人でくらしています。

 


 

おばあちゃんの思考は、とんでもありませんが、行動もすっ飛んでいます。
エルサが学校でいじめられた日の夜、エルサをつれて動物園にしのびこむと、見つけたおまわりさんには、フンをなげつけます。
そして、エルサにこういいます。
悪い思い出を消せないときは、べつの思い出を上からたんまりかぶせればいいのよ」。
そうすると、特別な日になれる。

物語は、そんな天才で、ずれていて、かわっていて、人命を救うことと、人を怒らせることにたけた、もと外科医のおばあちゃんがガンでなくなるところからはじまります。

え、いきなりのスタートのアクシデント
そうしたら、エルサには、友だちがいなくなってしまうじゃない。

 


 

マラソン前半部のダッシュ

 

おばあちゃんが唯一のお友だちだったエルサに、突然のおばあちゃんとの別れ。
しかも、まだ7歳。
学校へゆけば、いじめられる。

ところが、ここで思わぬミッションがエルサに待っていました。
おばあちゃんは、自分の死後、生前にあやまってやれなかった人への手紙を届けてほしいという役目を、アリサに残していたのです。

どんなところに、届けるの?
じつは同じ集合住宅にすむ住人あてでした。

エルサは、まず、その1人に手紙をもってゆきます。
そこでエルサは、アナタはおばあちゃんと、とんなつながりがあったのか、手紙に何て書いてあるのかと、聞いてゆきます。
エルサには、おばあちゃんのお節介な性分が似ていました。

エルサの住む住宅には、ほかに6家族が住んでいます。
いままでは、ほとんで交流ももたなかったその中に、おばあちゃんの手紙をたずさえて入ってゆきます。
物語が、一気に動き始めます。

 


 

マラソン後半部のヨレヨレ

 

エルサの住む住宅にすむ面々は、みな個性的です。
愛想がいいわけじゃない。
いままで、近づけなかったひともいる。
いえ、ウルスという、人間じゃないのが住む部屋もある。

このあたりから、物語はだんだんと現実とファンタジーの世界を行きつ戻りつしはじめます。
生前おばあちゃんがエルサに語った、おばあちゃん作のハリーポッターのような物語の世界と重なりはじめます。

つまり、スジを追うのに、ちょっと混乱も生じはじめる。
そのなかで、ひとりひとりの住人の個性の意味が、そのひとの過去とともに、少しずつひもとかれ始めます。

家族でくらしていたところを津波で1人だけ生きのこったひと。
戦争で、身も心も、ズタズタに傷ついてしまったひと。
なんとか症候群という病気をかかえた男の子と、そのお母さん。
真っ黒な犬。

なんで、こんなバラバラな住人が、エルサの住む住宅にはいるんだろう。
マラソン後半部の、少しモウロウとした話がつづきます。

 


 

ゴールを踏んで

 

幸せだけで生きている住人なんていない。
というより、人一倍の悲しみや不幸の過去をかかえている。
今のエルサと同じ、かな。

と、そこにおばあちゃんの影がみえてきました。
世界のいろんなところで、つらい思いをつくってきた住人たち。

注意:ここから先、ネタばれかもしれません

じつは、みな、かつておばあちゃんが世界をまたにかけて働いた場所で会ったひとたちでした。
そう、おばあちゃんは、むかし、外科医として、世界の大変な場所で働いて、ひとを助けていたのです。

命は、助けた。
でも、つらい思いすべてを救えたわけではない。
おばあちゃんの「ごめんね」という手紙の意味が、エルサにも少しずつわかってきました。

でもエルサがおばあちゃんの手紙をたずさえて、この中に入っていったとき、住人たちとの新しいつながりが生まれてきます。
エルサは、手紙の配達人ではなく、心までいやすことができなかったおばあちゃんの気持ちを託された大切な孫になったのです。
エルサが、この輪に入ってゆくことで、何かが変わってゆく。
つながりが、いやしをつむぎはじめる。

どう変わってゆくか、は本の中におさめられています。
いえることは、とってもステキに変わりはじめます。
アツくなってゆきます。
そうか、マラソンのゴールを踏んだあの瞬間と同じじゃないか。

マラソンを楽しめる方は、マラソンのように読んでゆけます。
マラソンをまだ走ったことのない方は、マラソンを走るのってこういう気持ちになれるのかな、とマラソンをイメージできる本です。

すてきなファンタジー小説
そう、マラソンも、ファンタジーです。
ただし、マラソンの話は出てきませんよ、重ねて、申し上げておきます。

 


 

たーさん
マラソンを 走った気持ちに なる小説

 
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