羊飼い猫の日記、スザンナ・クランプトン著。幸せとは?

幸せな生き方、とは

 

どんな生き方が、幸せでしょうか?

こたえは、10人いれば、10通りかもしれません。
感じ方というのは、ひとさまざま。

でも、自分が中心となって、世界が回ってくれる。
こういう状況になれば、だれでも幸せを感じるかもしれません。
だって、自分が世界の中心でっせ。

もっとも、こういうことは、現実にはおこりません。
少なくとも、わたしには、絶対におこりません。
ふだん使うことがない「絶対」というコトバも、使えます。
絶対に、おこりえない。

それは、国のトップに登りつめても、無理かもしれません。
むしろ、登りつめればつめるほど、逆の立場になってしまうかも。

ともあれ、銀河系宇宙の、太陽の位置になるのは、むつかしい。

 



 

アイルランド版、吾輩は猫である

 

この本の主人公は、ボデイシャスといいます。
一匹の、ニャンコです。

褐色の体に、エメラルドグリーンに輝くまなこ。
せいかんな目つきです。
ときに、カリスマ性がある、なんていわれます。

そうです。
ニャンコの存在を忘れていました。
ご存知ですね。
猫はだれも、「我こそは世界の中心人物」と思い込んで生きています。
自分が中心になって、世界は回るもんだと信じて疑っていません。
そういう、生き方をしています。
わたしには、そう見えます。

ボデイシャス、くらす場所はイングランドです。
日本でも、物語の主人公になった猫はいます。
漱石先生の家にくらしていましたね。
しかし、残念なことに、名前はつけてもらえませんでした。

このイングランドの猫は、ボデイシャスという立派な名前をいただきました。
血統、というのは、不詳です。
以前、だれかに飼われていた、とおい記憶はあります。
でも迷子になったのか、その後、野良猫生活です。
変わった便器を売っているお店に、居ついたところです。

そんな我輩をひきとってくれたのが、羊飼いの女主人様です。
めっぽうな、動物好き。
物語は、ここからスタートします。

 



写真のニャンコは、ボデイシャスではありません。

 

わが家

 

羊飼の主人の住む場所。
そこはアイルランドの小高い丘に広がる、小さなブラックシープ牧場です。
羊牧場です。

しかしそこは、主人の趣味がこうじて、動物園みたいになっていました。
もちろん、先住民の猫もいました。
その先輩からは、くらしの仕方をいろいろと教わりました。

犬たちもいました。
とくにアインシュタインに似たペッパーは、大の親友になりました。

どちらも、やがて亡くなり、また新入りがやってくる。
羊だけではなく、にぎやかな牧場です。
そう、羊だけがくらす場所ではないのです。

干し草や穀物をねらい、電線をかみつらかすネズミもいます。
増えすぎるとウイルス病がはやり、減りすぎると狐が飢えるウサギもいます。
樹皮を食い散らかしてしまうリスもいます。

いろんなやつがいて、自然界のバランスをとっている。
それが必要なのかな。

 



 

1年中、休むヒマもない

 

たとえば、
雪がとけると、泥だらけの中で、草木が芽ぶいてきます。
冬に生まれた子羊は、大地をふみしめて、スクスクと育ってゆきます。
すべてに生命力が宿る季節。
注意して見守る犬を、きちんと監視しておかなくてはなりません。
おっと、寄生虫もはびこりだすので注意です。

は、日がのびても、大忙し。
子羊は、乳離れしてゆく季節。
のびた草を刈っては、干し草作りにもいそしむ。
羊の毛も、刈らねばならない。
忙しく働く人間たちも、しっかり監視しなくてはなりません。

強い風がふいて、雨が冷たくなると
羊は、神経質になってゆく。
そうそう、その毛でつくったご主人の毛布が、高評価をもらう。

に入ると、マキの準備、エサの用意、新しい作業がはじまる。
そして、出産の時期。
母子ともに、命をかけた日々がつづく。
その合間に、クリスマスそして年明け。

 



 

幸せだよ

 

くるくると、めぐる季節
ご主人様は、毎日、羊と格闘。
犬たちも、ぐるぐる。

それを高みから統括するもの。
それが、我輩、ボデイシャスの役目。
すべての中心に存在するものの使命です。
(どう見ても、一番ながめのいい場所から、見下ろしているだけみたいですけど)。

それだけではない。
すべての活動のみなもと、大地の見張りも仕事。

土を濫用し、悪用し、略奪し、汚染していっていいのか。
土から育つものを食べないで、どう生きてゆけるというのか。
この青くて丸い惑星は、土あっての存在ではないのか。

しかし、ある冬の日。
どうも我輩のオナカに不調がでてきました。
日々、弱ってゆくのが、わかる。
この牧場に来て、14年。

女主人と一緒に、雨の日も、雪の日も、牧場をさまよったなあ。
たくさんのものを、従えてきたなあ。
思い出は、つきない。

我輩がいなくなった春。
ご主人は、牧場のどこにいても、我輩との思い出や記憶をあふれさせ、涙ぐんでいてくれる。

そうそう、これなんです。
相棒が天国にいっても、相棒とすごした場所は、なくならない。
記憶は、なくならない。
そこにゆくと、相棒がよみがえってくるようで。
これが、うれしいやら、切ないやら。

ほんとうに、いい人生、いや猫生を送れたものだ。
こういう生き方もある。

 



 

 

たーさん
わがはいこそ 世界の中心 ひかえおろう

 

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