ふんどしニッポン、井上章一著、そうかコレを忘れていた

同世代の発想

 

朝日新書から、おもしろい新刊がでました。
その名も『ふんどしニッポン』です。
「下着をめぐる魂の風俗史」とかかれています。

著者は、井上章一さん、わたくしとほぼ同世代です。
なので、おなじ世間、おなじ子供時代をみていたようです。

すなわり、自分自身では、「ふんどし」をしめたことはない。
しかし、子供時代には、「ふんどし」が消えさってはいない。
そうです、「ふんどし」をしめた大人は、まだふつうにいました。
洗濯もの干し場に、ふんどしが風に揺らめいている光景があった時代です。

そして、いまはもう「ふんどし」は消えさっています。
現役でつけているひとを、知っていますか。
たとえば、うちのオジイちゃんは、まだふんどしだとか。

はっきりいいまして、今や過去の遺物です。
歴史的遺産。
ま、遺産かどうかは、わかりませんが。
それを映像をふまえて、めぐる旅、それが本書です。

 



ねるときふんどし(プレマ株式会社様)

 

ふんどしのリアル

 

本書で特筆すべきは、ふんどし写真が、これでもかと出てくることです。
もちろん、絵画の描写も多数あります。
それにしても、あまたの写真の数。これだけでも、立派な資料集です。

じつに多彩な場面での、ふんどし光景
考えてみれば、それも、当たり前でしょう。

だって、その時代は、みんながふんどしだったのですから。
ふんどしが消えていったのは、昭和も中ごろからです。

明治に入ると、国是として、衣装の西洋かもすすめられました。
脱キモノ。
脱チョンマゲ。

文化は、ときに、一方的に転換をせまられることがあります。
そこに、「いい」「わるい」の論議はありません。

いつの時代だって、同じくり返し。
いまだって、おこっています。
例の感染症対策しかり。

ともあれ、衣装の西洋化です。
キッパリと、江戸文化への決別
そして、この流れは、男女間で、おもしろいちがいを生みだしました。

 



しかし、神事ではまだまだ生きています。

 

男は外、女は内から

 

衣装の西洋化。
はためには、男の方からすすみました。

いわゆる、シャツにズボン姿です。
バイバイ、キモノ、こんにちわ、洋服。
普段着から、キモノはどんどんと消え去ってゆきます。

一方で、女性の西洋化は、遅れました。
モダンな仕事着として、西洋スタイルは出現しています。
典型例は、デパートの店員さんです。
売り場では、みな、洋装です。

ところが、女性の洋服は、あくまで仕事着でした。
出社する前は、キモノ姿。
仕事がはけると、ふたたびキモノに着替えて帰宅。
日常着はキモノ生活

男は、洋装文化を、先取り。
女は、洋服化をしぶり、キモノに固執。
こういう図式が、みられていたようです。

著者は、たくさんの写真類をもとに、そういう流れを解説してゆきます。
なるほどな、と納得させる写真の数々。
労作です。

 



 

しかし、中身は逆

 

ところが、実はおもしろい実情がありました。

男は、どんどんと洋装化にすすむ。
なのに、その下は、あくまで「ふんどし」スタイルなんです。
つまり、ふんどしをしめて、ズボンをはく。

兵隊さんは、バリバリ洋式です。
それも、最先端の洋装化。
なにしろ、列強に加わってゆかねばなりません。
なのに、その下は、ふんどし。

一方で、洋装化の流れに、なかなか乗らない女性たち。
でも、下着は、襦袢から洋装へと進化していました。
パンツ形式、水着形式。

つまり、上にはおる衣装と、下着は、まったくの逆の展開だったようです。
その現象を、さまざまな資料をもとに説明してゆきます。
うーん、勉強になる。

しかし、なぜそうなっていったのでしょうか。
この部分についての考察は、深入りされていきません。
あくまで、現象の記述です。

それで、です。
不肖このわたくしに、ひとことコメントを許していただきたい。
身体論の展開です。

 



そうだ、ふんどしは、身体感覚で考えよう。

 

走ればわかる

 

なぜ、男は、ズボンにしながら、ふんどしを手放さなかったのか。
なぜ、女は、下着は洋装にしながら、キモノを手放さなかったのか。

それは、走っていれば、わかる気がします。
カラダが、それを求めていたのではないか、ということです。

男は、活動するのに、ふんどしがカラダにあう。
活動しやすいんです。
というより、こうでなくちゃ、力を発揮できない。

女は、活動するのに、キモノと帯が欠けると、やはり動きにくい。
カラダの緊張感が、うすれてしまう。

では、なぜ男はキモノを、先に手放せたのか。
たぶん、キモノの帯感覚が、女性キモノより弱かったからなのでは。
そして、キモノ感覚より、キリリとしたふんどし感覚を求めた。

つまりどちらも身体感覚が、ふんどしを、キモノを捨てられなかった結果なのではないでしょうか。
見た目では、ありません。
世間の流れでは、ありません。
実をとった結果です。

男の、ふんどし感覚
女の、キモノ感覚
これをいま、あらためて実感しても、おもしろいかもしれません。

カラダが、かわるかも。
感覚が、かわるかも。

男性は、ランパンの下に、ふんどし。
女性は、ランパンの上に、帯締め。
これで走りが変わったら、どうしますか?
もしも、ゴーカイな新記録達成したよ、という結果が得られたら、教えてください。

となったら、ふんどしは、どのように手にいれてみようか。
あるいは、手作りか。
ちなみに、六尺ふんどしと、越中ふんどしのちがいが、わかりますか。
(本書の56ページに、図解入りで、解説されています)。

次のマラソンシーズンは、ふんどしで、記録更新だ。
(皮算用)。