さえ子、浮いてる26歳
渋谷医療福祉専門学校。
略そうとすれば、「シブイフ」となるけど、口がもとらなくなる。
だから、いつのまにか「シブイク」。
この方が、スイと出てきます。
とはいえ、渋谷とは名ばかりの、ちょっとはずれにたつ学校。
3年制の専門学校です。
ここの義肢装具科の2年生、二階堂さえ子が、本書の主人公です。
めざすは、義肢装具士。
26歳というのが、すこし浮いているらしい。
なにしろ、まわりは19か20の子ばかり。
でも、さえ子は真剣です。
なにしろ、内装会社に勤務すること7年。
そこで、突如、生き方変更。
コツコツとためた貯金を全部つぎこんで、ここの3年間にかけているわけですから。
もう、あとには引けない。
ときどき、悔やんだりはするようですが。
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いざ、2年生
義肢装具士をめざす毎日です。
知識やウンチクだけで、通用する世界ではありません。
ちゃんとした義肢が作れること。
技術と実践なしに、卒業はありえません。
シブイクも、2年生になると、実技が本格化します。
学生3人でチームとなり、本物の義肢を作ってゆく。
そのためには、実際に義肢をつかっているひとのボランティアが必要です。
好意のボランティア。
なにしろ、貴重な時間を提供して、支給されるのは交通費だけですから。
さえ子のチームに来てくれるのは、穂高勇太さん32歳。
大学時代に、飲酒運転車の事故にまきこまれて、右足を切断。
写真館の2代目。
明るくて、気さくな青年。
でもここまでに、たくさんの紆余曲折があったと知るのは、もう少しあとになります。
いまは、さまざまな写真撮影にもチャレンジ中。
ウエブ関係にも、積極的にかかわっています。
義肢の啓蒙になれば、ということでの、ボランティア参加です。
たえ子とタッグを組む同級生の2人は、ややクセがあります。
ヤンキー感丸出しの、永井真純(ますみ)。
いじめられっ子だったという、暗い戸樫裕文。
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神様
さえ子の義肢制作技術は、どの程度でしょうか。
はっきりいって、不器用。
年齢のため、ではありません。
もって、生まれたもののようです。
なかなか、ピッタリとした装着感が出せません。
合わない義肢は、痛い。
まい義肢は、床面にピタリとおさまるそうです。
つま先からも、右側、左側からも、紙を入れようとしても、入らない。
床面とのあいだに、むだなスキ間ができないからです。
また、そうでないと、安定できない。
これは、ハダシの足なら、当たり前のことです。
アシ裏が、床面に、すいつくように接しています。
人間のカラダの構造の完璧さでもあります。
それをつくったのは「神様の力」でしょうか。
さすが、神様。
だからといって、妥協していいわけではありません。
神様にだって、負けていいわけではない。
神様には、負けられない。
このくらいの気概が必要な世界です。
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義肢の世界
義肢ですから、とうぜん、切断肢をかかえたひとが相手になります。
切断というように、生後の事故や病気がキッカケとして多い。
いままで、当たり前にあった自分のカラダが、なくなる。
そう簡単には、事実をうけ入れることすら容易ではありません。
そこに、自分の分身を作ってゆく。
熟練のプロでさえ、難易度の高い仕事です。
さいしょに、切断面をさわらせてもらいます。
そして、寸法をとる。
そして、コツコツと、切断面にあう義肢制作に入ってゆく。
量産ができるような仕事ではありません。
過程の一歩一歩が、貴重な経験となってゆきます。
また、使う側からも、使いこなしのワザが求められます。
さえ子も、擬似下肢装具をはめられて、立ってみます。
バランスが、ぜんぜんとれない。
自分の足が、どれだけ完璧なものだったか、あらためて思い知らされます。
そして、歩行に挑戦。
みごとに転倒して、アザまでつくってしまいました。
作る側も、使う側も、真剣に向き合わねば成り立たない世界。
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導かれて
不器用さを、どう乗り越えてゆくか。
技術の習得を、どのようにこなしてゆくか。
勉強する以外に、方法はないでしょうか。
失敗をくり返してゆくしか、ないでしょうか。
さえ子をおおきく飛躍させていったもの。
それは、「出会い」にあったかもしれません。
最初の義肢制作に協力してくれた、写真館の穂高優太。
実習メンバーの戸樫の母親も、義肢で苦労していた話を聞かせてくれます。
夏季実習の出向先で出会った、義肢の元ボクサー。
その実習先の指導者は、二分脊椎症の車椅子技師。
一人ひとりの人生の中に、喪失の物語があります。
そして、その事実を受け入れる過程、いや受け入れなんて、いまだにできていないかも。
そして、装具を使い始めての苦労話。
具体的なノウハウではない、出会ったひとの「ココロ」が、さえ子を変えてゆきます。
それは、さえ子だけではありませんでした。
同じチームの2人も、いつの間にか。変わりはじめている。
感動の、成長物語です。
「よおし、自分も」という力がわいてくる小説です。
そして、自分の体の完璧さの再認識。
神様にだって、負けてはいられない。
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つづくのは 失敗ばかり でもめげない
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