幸子
自己ベスト 話したら 5分あれば足りる
ペースダウン 話したら 一晩でも足りない
って、ばんばひろふみさんの『幸子』の2番うたってる場合じゃありません。
たしかに現実は、なかなか会心のレースとの出会いはありません(個人的感想)。
思い通りにならないレースの積み重ね、笑。
なぜ、なんでしょうか。
原因を、ふりかえってみました。
走っている途中から力つきた(よくある)
体力が足りなかった(もって生まれたもの)
練習不足(慢性)
前半とばしすぎた(お調子者)
けっこう、肉体的、体力的問題に、帰着しがちです。
なにしろ、ランニングはカラダが資本ですから。
そこでだされる名言が「練習はウソつかない」
でも、これって、走りおえたあとの発想じゃありませんか。
いま、まさに走っている最中にブレーキをかけてくるのは、コレですか?
ほんとうに、カラダは限界に達していましたか?
気持ち、で参っていませんか。
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走りのブレーキ
走っている最中は、いろんな思いがアタマの中を去来しませんか。
今日は、調子イイな(おもに、ゆったりランのとき)
うう、きつい、このペース維持は無理だ(ガンバリすぎているとき)
あしたの会議に用意する資料は(まったく関係のない内容)
こういうなかで、ボクは『悪魔のササヤキ』とよんでいるコトバが、舞いおりてくることがあります。
いや、よくある。
悪魔のササヤキです。
オメデタイ内容じゃありません。
「疲れが、たまってきたようだね。
カラダが動かなくなってきたね。
いつもペースを落とすところにきたよ。
ここから、よく足がつってくるね。
いよいよエネルギーが切れる距離に入ったね。
暑さが、こたえてきたね。
そろそろ限界に突入するころだね」
いやはや、いやはや、悪魔は足を引っぱるのが、お好きのようです。
そして、この悪魔のササヤキに同調してしまうと、ササヤキは現実化してゆきます。
まさに、走りのブレーキ。
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ココロが先か、カラダが先か
人間は、いがいに単純じゃありません。
ねー、そこのキミも。
ココロとカラダ、ときれいに分けることはできません。
表裏一体、切りはなすことはできません。
ですから、ココロが終わると、カラダは動かなくなってゆきます。
動きの低下を自覚すると、さらにココロが折れてゆきます。
逆も、また、しかり。
カラダに無理がかさなってゆくと、ココロはヘコみはじめます。
ココロがヘコむと、もうカラダは動かなくなります。
ですから、どっちが先か、どっちがエライか、という議論はあまり現実的ではありません。
片方だけですまないのが、現実。
でも、ここで、せめてココロが折れなかったらどうでしょうか。
そういえば、うまくいったレースは、ココロが折れなかったときだったかも。
ココロが走りについてきてくれていたとき。
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ココロの集中の先にあるもの
ココロの集中とは、何でしょうか。
むつかしい問題です。
むつかしい問題、苦手です。
ですので、ちょっと手をにぃて、いえ、とっても手をぬいて考えてみます。
ヨブンなことを考えていないのが、集中!
ヨブンなことって、何ですか。
「悪魔のササヤキ」です。
呼吸のことだけに目をむけて、一歩一歩をふみ出してみる。
呼吸だけは、走りにいっしょについてきますから。
苦しくなるから、よくばって、大マタにしない。
そして、いつも走っている『マイコース』を思いだしてみる。
ボクの場合、6(8)キロコースがウイークデーの定番コース。
その中に、入ってゆく。
そうです、物語の中にわけ入る。
さあ、いつものコースのまず1キロだ。
いつもの1キロの光景に、入ってゆく。
最初は、ムリせず、体調アップで入ろう。
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さよなら、悪魔のササヤキ
呼吸だけに、意識をむけてみる。
いつものコースに、とびこんでゆく。
他は、考えない。
タイムも、気にしない(いつものランで、気にしますか?)
それを、ここでは「集中」とよんでしまう。
ずいぶんと、たよりない集中。
なんだか、やすっぽい集中。
ところが、だんだんと走るだけ、になってきませんか。
アタマに浮かぶことが、なくなってくる。
現実に走っているレースコースが、いつものコースに変わってくる。
ひとつの、物語の中のランへ。
こんなのを集中とよぶのは、おかしくありませんか?
そんな声が聞こえてきそうです。
たしかに、おかしいですか。
じゃあ、何てよびましょうか。
それを「無心」としたら、どうでしょうか。
いつものコースを、いつものように走っている感覚。
それを、レース中に、とくにレース後半に味わってゆく。
いつもの走りには「悪魔のササヤキ」はないはず。
こんな無心さが舞いおりたら、きっといい思い出にむすびつくものがあるかも。
『催眠ガール』という本をよんで、こんな感想をもちました。
主人公夏目明日香ちゃんが走ったら、こう走るようになるはず。
物語では、催眠に入ると、気持ちよく眠っちゃう。
走っていて、こんな気持ちになれないかな。
そして、本の中の話、だけにしておくにはもったいない。
物語の催眠ガールは、現実の催眠ランナーに変身できるはずです。
だって、走るのって楽しいことだから。
えっ、ボッチの発想ですか?
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