常識を身につけなさい
常識というのは「世間一般のひとが、共通してもっている(べき)知識や判断」のことをいいます。
だれも、かれも、まあ、みんなということです。
そして、共通しているものです。
ふつう、そうだよね、ということ。
クラスの常識といったら、「みんな、こうだよね」と受け入れていること。
整理整頓(いあや、苦手だな)
授業中は、静かに(寝てんじゃねえ)
忘れものをしない(清潔なハンカチ)
一日一善(無理かも)
学級会のときにとりあげる「今月の目標」みたいになっちゃいますか。
常識が大切なことは、入社試験に「常識問題」が出されることからも、うかがえます。
社会人たるもの、ジョーシキをもとう。
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2019/10/0db048322406acb3c631aeeed97e7002_m-1024x768.jpg)
常識ハズレ
一方で、十分な常識を身につけないまま、オトナになってしまった人間もいます。
たぶん、このワタクシもそのひとり。
とうぜん、世間の風当たりは、強まります。
異端者
ハズレ者
いかにもコマッタちゃん、といったニュアンスの伝わるレッテルです。
ところが、時代が変わってきました。
常識を欠く人間も、少なくはないようだ。
それどころか、常識がない人間の方が多数なのかも。
大は、ノーベル賞をもらうような大先生。
常識にとらわれない発想から、新しい発明が生まれました。
小は、あっちにも、こっちにもいる、ちょっと変わったひとたち。
たとえば、昨今流行中といってもいい、人格障害なんてよばれちゃう方々。
ADHDとか、ASDとか。
引きこもっちゃう人格障害。
社会を動かしている人格障害。
犬も歩けば、人格障害に当たる。
常識って、何なのでしょう。
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2019/10/bd0b4428a85baca2df93fe25a86e1c76_m-1024x768.jpg)
常識シバリ
ふつう、こうだよね。
そう思いこんでしまったものは、なかなか変えられません。
自分から動けなくなってしまったひとは、ダッコして移す。
ある介護現場の、おフロ場での一場面。
赤ちゃんは、そうやって育てたんだもの、という常識的な発想。
イエイエ、10キロ以上のものを、もち上げてはいけません。
自分のカラダをこわすでしょ。
ある北欧の介護現場での常識、というのもあります。
ところ変われば。
どちらに身をおくか、で常識も変わってきます。
ともあれ、60kgの人間をもち上げるのは、大変です。
話はかわりますが、昔のお米は、タワラに入っていました。
タワラの重さは、1俵で60kgです。
全国統一、単位の常識。
人間を基準においたのでしょうか。
たぶん、ワタクシ、決して、もち上げられません。
ところが、これを5つも担いじゃうオバチャマがおったそうな。
5つといったら、300kgですよ、シェー。
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2019/10/yjimage.jpeg)
『物流史談 物流の歴史に学ぶ人間の知恵』平原直著、流通研究社
疑うこと
1俵60kgの米俵を、5つも担いじゃうオバチャマ。
この古い写真は、いろんな場面や書物で紹介されています。
お目にされた方も、おられるかもしれません。
紹介者のコメントも、かなり似かよっています。
現代人は、1俵60kgの米俵さえ、もち上げられない。
ところが、かつては60kgの米俵なんて、だれもがアタリマエにもち運んでいたんだよ。
そういうもの、と思っていれば、みんなとはいわないけれど、ふつうにもち上げられたのさ。
ジョーシキ、にしばられない発想をもとう。
みよ、この鉄人オバチャマ。
そうか、人間の可能性は、はかり知れないものなんだな。
単純に、感動した覚えがあります。
ところが、歳とともに、そんな単純にみられなくなってきました。
あらためて、5つのタワラを担ぐオバチャマに注目。
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2019/10/52fcb1f2aefd2545b82b6a029ff7f1bc_m-1024x683.jpg)
迷探偵たーさん
わたしは、タワラをかつぐオバチャマの写真のなかに、2つの違和感をもちました。
ひとつは、オバチャマの背にのった5つの米俵の積まれ方。
ひとつが60kgもあるタワラを、写真のように積めますか。
ヘコミやシナリがまったくありません。
しかも重心の位置が、300kgとしては定まっていない。
それをまた1本のヒモで支えられますか。
もうひとつは、背景にうつるタワラの置かれ方。
フォークリフトもない時代に、1個が60kgもするタワラを、あんなに無造作に積み上げられますか。
写真だけでも、少なくとも9段はあるんですから。
タワラのシナリ具合も、重さの割には不自然さを感じます。
本物の米俵を9段以上につみ上げるなら、もうすこしつみ方をしっかりしないと。
以上の根拠から、これは60kgの米俵を背負った写真ではない、というのが不肖このワタクシの珍説です。
すいません、まったくの独断。
まちがっている、かもしれません。
ま、ここは、そんなことを考えるアホもいるのか、とスルーしてください。
たとえていえば、これは「炭俵」みたいなもの、ではないかと。
炭俵みたいなものなら、写真のように積んだり、背負ったりもできるのじゃないかと。
なにより、オバチャマのホッペ、炭がついているようです、笑。
それにしたって、炭俵5つをかつげる身体能力といったら、真似のできるワザではありません。
すばらしいことには、変わりはありません。
繰り返しますが、あくまで、ワタクシ個人の見解です。
まちがっていたら、ごめんなさい。
というように、「常識」に、いろんな立場から向かってみる。
ふーん、そうなのか、で終わりにしない。
すなおに、信じるだけにしない。
ランニング界にも、さまざまな「常識」が流布しています。
さあ、どれを信じるか。
ランニングは、自分のカラダで、直接判断できるところが、ありがたいですね。
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2019/10/c455f47436258fdc8156eca18f69d402_m-1024x683.jpg)
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2018/11/76f3e759415ad1690bfae003ac05144c-e1542443258483.jpg)
ジョーシキを 欠く人間の 世迷い言
↓ よろしければ、清き1票をお願いします(1日ワンクリック有効)
![にほんブログ村 その他スポーツブログ マラソンへ](https://b.blogmura.com/sports/marathon/88_31.gif)
にほんブログ村