キャベツの用意
さて、キャベツの千切りをつくってみましょう。
ご存知ですね、キャベツの千切り。
トンカツ屋さんでたのむトンカツ定食に添えられてくる、キャベツを細長く切った盛り合わせをつくる切り方が千切りです。
ここは盛大にキャベツを丸々一個用意してみましょう。
本ブログ頭にかかげさせていただいたキャベツは、我が家の畑での写真です。虫との共存というか、虫食いだらけです。
まずは、大きなキャベツをザックリと切り分けます。
それをまな板の上にのせたら、あとはハシから包丁でサクサクと細く切りすすむだけです。
口でいうだけなら、たやすい。
実際は、同じ細さで切り刻むのって意外にむつかしい。
ばらけないで、同じ細さを保てるかどうか。
ふわっと、空気をふくんだ柔らかさを出してゆけるか。
料理というのは、どれをとっても、奥の深いものですね。
でもここはお料理教室ではありませんので、できあがり方にはこだわりません。
いっぱい切ってみる、が主題となります。
サクサクサクサク、もったいないほどに切ってみましょう。
一個丸々、切っちゃうんです。
だんだんと調子が上がってきたでしょうか。
包丁をもつ手に着目
すみません。
キャベツをサクサク切っていただきましたが、この度のテーマは「包丁をもつ手」です。
サクサクと切りすすむ感触が残るうちに、どんな風に包丁を握っていたかを思い起こしてみてください。
アイドルと握手をするような握り方でしたか。
水をはったバケツを下げるときみたいな握り方でしたか。
鉄棒にぶら下がるときみたいな握り方でしたか。
それぞれの場面で、わたしたちは握り方をビミューに変えていることに気がつきます。
その違いに着目です。
キャベツをサクサクと軽快に切れるようになってくると、つまりは包丁をもつ手に余分な力が入らなくなってくると、包丁の握り方にある共通点が生まれてきませんか。
まず、握り方は、そんなにギュッと力が入らなくなってきます。
そして一番の特徴にあげたいのは、握りの中心部は小指から薬指のつけねにかけて、なっていませんか。
アシでいった、「小ユビ山」ということです。
親ユビ側に力が入ると、軽快さにブレーキがかかってしまいますもんね。
小ユビ山の秘密
小ユビ山の根元を中心に包丁を握ると、なぜキャベツの千切りがしやすくなるのでしょうか。
それは、千切りは手の力だけでは大変だからじゃありませんか?
ウデの力を使う。
つまりは、上半身の力を使う。
結局は、カラダ全体の力を利用することで、大きな力を包丁に伝えられるから、というのがわたくしの見解です。
そのためには、小ユビ山に活躍の中心をになってもらう。
ウデの力、しいてはカラダの力は、手のひらのなかで「小ユビ山」にダイレクトに伝わるようにできている、ということに気がついていましたか。
手のヒラをひろげて、じっと眺めてみてください。
肩からつづく上腕、肘、前腕つまりはウデは、小ユビ山にすっと連なっていませんか。
親ユビ山は、その流れから90度、直角に外を向いていませか。
独立峰です。
ですから、カラダの力を手のひらに伝えたいときには、無意識に小ユビ山と一体になっています。
草かき、野球のバット、竹刀、どれも小ユビ山が中心となった握り方になっていませんでしたか。
親ユビ山は、そこからちょっと独自性を出したいときに活躍。
たとえば、リンゴの皮むきとか。
いろんな繋がり方がある。
じっと手をみる。
アシも同じ、と感じますか?
上半身から腰で2つにわかれて伸びる2本のアシ。
太モモからヒザをへて下腿、足首をへて、地面につながるアシ裏はどこが担っているでしょうか。
そんなこと、考えたことネーヨ。
はい、それでもふつうに生きてゆけます。
でも、そんなコトを意識してみる、っていうのもおもしろいですよ。
「着地のチカラ」のところで考察したように、現代人の多くは「カカト着地」「親ユビ山離れ」になっています。
では、はじめて歩きはじめた幼い子はどうでしょうか。
ハダシで育ったヒトはどうでしょうか。
なぜか「小ユビ山着地」「小ユビ山離れ」になっていませんか?
そして、飛脚も多分そうだった、と確信しています。
なぜなのかな?
手と同じ構造だからなのかな。
素足で、ゆっくり、小マタで歩いてみてください。
してみれば、わかる。
歩いてみれば、わかる。
走ってみれば、確信にかわる、かもしれない。
かわらない、かもしれない(笑い)。
不思議な、カラダの繋がり方。
道具とつながる、地面とつながる
ヒトは4本足から2本足になり、手と足の使い分けを始めました。
モノをつかう中心は手。
移動の中心は足。
外界とつながるカラダの手足は、どちらも「小ユビ山」から。
なぜなら、カラダの構造が、そうになっているから。
とっても、キテレツな発想ですね。
いいです、信用しなくても。
ですが、自分はどこで道具とつながっているか、どこで地面とつながっているか、と意識してみるのは楽しいことです。
無理なくつながっていたい。
無理がつづくと、カラダの力も道具に、そして地面に伝わりにくくなるかも。
無理がつづくと、故障につながってしまうかも。
故障修復の第一歩は、無理なくつながるカラダ使いから、かな?
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