さよなら、クンレン

走りの花を咲かせるには

 

「どう咲きゃいいのさ、この私」。
はい、ピンとこられた方、立派な中高年です。
これは「圭子の夢は夜ひらく」の一節。1970年発売。宇多田ママの名曲です。
 
梅も桜も、春になれば勝手に競って花を咲かせます。
 
それでは、走りの花はどのように咲かせましょうか。
勝手に花をつけてくれるでしょうか。
いいえ、勝手には咲きません。

走りの花を咲かすためには、何らかの行動が必要です。道はひとつではありません。
たくさんの方法があることでしょう。
ですから、いろんな方が、いろんなアドバイスをされ、いろんな花の咲かせ方の実践をされています。

その結果は、悲喜こもごも。
見事に満開にひらく木もあれば、残念ながらツボミさえつかずに終わってしまう木があり。

それでは、わたしのようにな枯れ始めた老木に花はつくでしょうか。

いました、花咲か爺さん。「枯れ木に花を咲かせましょう」。
うれしい、うれしい昔話です。

今回は、花の咲かせ方を考えてみます。

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さらば、クンレン

 

クンレン、というコトバは、血と汗と涙の結晶的な光景が連想されます。

校庭10週。
うさぎ跳び。
夕陽。

いえいえ、クンレンをちゃかしているわけではありません。クンレンは大切です。
クンレンを甘くみてはいけません。


走りの基礎は、クンレン

クンレンなくして、走りなし。
クンレンは、ウソつかない。
クンレンこそが、人間の尊厳だ。

今の世から失われつつある、清く、正しく、美しい精神です。
「努力して、さらなる高みを目指す」。

倒れるまで、どこまでも突っ走ってゆこうぜ。
かつての青春ど根性ドラマのワンシーンがかぶってきます。


ここで「よっしゃ」とモチベーションのスイッチが入り、急いで外へ駆け出してゆける方には何も申しません。幸せな回路をおもちです。

天性の回路。
どうか、がんばってください。

わたしは、クンレンは苦手です。

できれば、遠慮させていただきたい。 
もっとハッキリいえば、苦手というよりキライです。そもそも、続いたためしがありません。ああ。

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何のためのクンレンですか

 

目的を、はっきりさせておきましょう。
なんのために、クンレンをするのですか。

体力を向上させるためでしょうか?

まず考えつくクンレンの目的です。
走るためには、体力がなくては始まりません。
そのための基礎づくりがクンレンです。

それでは「体力の向上」のためには、クンレンが必須項目でしょうか。

なんでこんなことをいうのかというと、走りのクンレン途中で、故障を経験してしまうランナーの方が少なくないという現実があるからです。

走りをめざすためのクンレンが、逆に走りから遠ざける結果を生みかねない。
故障で、走りから離れてしまった。これは、さみしいことです。残念。

でも、よくよく考えてみれば、体力とクンレンの関係は「イコール」で結ばれているわけでありませんね。

クンレン以外に道はない、というわけではないということです。

くらしの中で、体力を養う道があるはずです。そういう道もあるのか、と考えられるだけでココロの余裕も生まれてきませんか

根性を養うために、クンレンはあるのでしょうか?

第二のクンレンの意義。
根性の鍛錬。よくでる精神論。

ここは、断言させていただきます。「根性」は、クンレンでは変わりません。
クンレンくらいで、人格が形成されるなら、だれも苦労はいたしません。

よりはやく、より長く走れるために、クンレンが必要ですか?

走りたい、と願ったとき、今よりはやく、今より長く走れるようになったらうれしい、という思いは共通です。
わたしも、あこがれます。

あこがれますが、クンレンでは成就できない人もいます。
たとえば、わたし。

だって、続かないんですから。
そこで、別の地図をさがしていたわけです。別のルートはないものか。

飛脚走りの道が、そのひとつだったわけです。

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なぜクンレンが走りに登場するんでしょうか


世の中には、さまざまな「オタク」の世界があります。

乗り物、ペット、秘境巡り、フィギュア、駄菓子をめぐる世界。
ちょっと覗かせていただくと、アッと驚く生き方に、人生観まで変えられそうです。

ところで、オタク世界の人は、日々をクンレンの中で過ごしているでしょうか。
どうみたって、楽しんでいるようにしか見えません。

そりゃ、いろんなものを犠牲にして、その道を極めようとしている求道者的オタクだっています。でも、そういう方は、例外的じゃありませんか。

楽しめればいい、というのが一般オタクです。

いつから走りがクンレンを必要とするオタク行為と思われるようになってしまったのでしょうか。
多分、記録や自己ベストオタクの体育会系ランナーが流布した思想ではないかと思えます。

でも、あらためて考えてみましょう。

走ることなんて、幼いころは「だれもが」「自然に」「楽しんでいた」行為でしかありません。特別なものじゃありませんでした。

もちろん、クンレンを通して、走りにミガキをかけてゆくことはできます。
クンレンを否定するものではありません。

でも、そんな道ばっかりじゃない、ということはもっと大切なことだと考えています。

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田植えと麦の秋

 

わたしの住む地域は、夏は米、冬は麦、の二毛作地帯でした。
わたしも昔、北風をあびながら、一歩一歩、麦踏みをした記憶があります。

過去形でいうのは、今では麦をつくる方がいなくなり、耕地面積がぐっと減ってしまったからです。

それでも、田植えをむかえるこの時期、同時に、黄金色にかがやく麦畑の横を走るのは最高の気分です。

初夏の陽をいっぱいに浴びながら、風にないで揺れる麦の穂は、広大な海の上に漕ぎ出しているかのような錯覚までおこさせてくるんです。気持ちが大きくなります。

両手をめいっぱい広げて、大きく舵をきりながら進みます。

さあ、出航。


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ランニングコースの麦秋

 

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