走れる人になりたい
ある状態から、別の状態に変わる、ということ。
これを「変身」といいます。
今はまだ楽しく走れずにキツさが強いけど、いずれ実のある走りで、人生を楽しみたい。
ピアノがひけるようになりたい。
お花が、すてきに活けられるようになりたい。
微分積分の問題が、とけるようになりたい。
明日はヒノキになりたい。
みな、変身です。
「A」という状態から「B」という状態に変わってゆくということです。
変身は、仮面ライダーやカフカの専売特許ではありません。
それでは、どうしたら、変身してゆけるでしょうか。
変身の道すじとして、4つの島をめぐって目的地に向かう、という方法を紹介させていただきます。わたしの愛用する地図です。
名付けて「島めぐりの地図」。そのマンマの命名。
走りへの変身を主題にしていますので、走りを例にとって、出発してみます。
これが「走り版」島めぐりの地図
意識の島(第1の島)
走るとき、カラダはどのように動いているでしょうか。
足は、オシリは、手は、重心は。
ひとつひとつに意識を向けるところから、島めぐりはスタートします。
意識をむけられるように、人にはアタマがついています。
カラダだけじゃなく、アタマも使おう。
くりかえしの島(第2の島)
意識しながら、くりかえす。
ああ、そういうことか。
あれ、こうなっているのか。
カラダは、こんなふうに動くのか、動きたがるのか。
くりかえすことで、仕組みがわかってきます。
くりかえすことで、ギコチなさが、スムースさに変わってゆきます。
無意識の島(第3の島)
くりかえしていると、意識がむいていなくても、同じ行為ができていることに気がついてゆきます。
いつの間にか、意識をむける必要がなくなっている。
これを、無意識といいます。
いつのまにか、意識していたことが、無意識の行為になっていた。
ふりかえりの島(第4の島)
無意識にカラダがうごき始めると、カラダの動きは、以前とは別の次元に入っています。
スムースさ。自然さ。
ところが、カラダは永遠のものではありません。変化し続けています。
その場でも、その日でも、長い年月の中でも変わってゆく。
つまり、つねに変わり続けている。川の流れのようです。
この変化に合わせられるように、また振り出しの意識に戻ってゆく。
4つの島めぐりで着く先は
4つの島をめぐっていると、いつのまにか変身しています。
たとえば、車を運転したことがないけれど、運転できるように「変身」したい、というときはどのような行程をたどりましたか。
最初は、動作のひとつひとつに意識をむけます
。
運転席にすわる→シートベルトをしまる→ブレーキをふむ→エンジンをかける→ギアを入れる→ブレーキをはなす、以下略。
最初は、「ええとまず座席をあわせて」「そうしたらシートベルトだったかな」とひとつひとつの行為を意識し、くりかえしてゆきます。
やがて特別な意識がなくても、運転行為が身についてくる。
変身しました。
でも、時々は「初心」にかえり、注意を思いだす。
そうだ、ケイコさん
4つの島めぐりは、血と汗と涙でおこなってゆくものではありません。
知的な遊び感覚があります。
ですので、わたし個人の感想ですが、これを「クンレン」といいたくはありません。
イメージがちがいすぎます。
ココはしっかり区別しておきたい、という思いがあります。
では、どのような表現が似合うでしょうか。
わたしは「ケイコ」。
漢字でかくと「稽古」というコトバがピッタリのように感じます。
「圭子の夢は夜ひらく」と歌ったのは、宇多田ママでした。
「稽古の夢は、意識からはじまる」です。そして、
「稽古の夢は、無意識下でひらく」につづきます。
(うーん、わたしは作詞家にはなれませんね)。
結果、新しい自分がそこにいる。
変身。
すてきじゃありませんか。
ああ、稽古って楽しい。
意識さえもつことができれば、人は変身の第1歩を踏みだせるのです。
あとは、くりかえすだけ。
稽古のキモは、「意識化」→「無意識化」です。
そこに歳や状況は関係ありません。
すてきな地図だとは思いませんか?
さあ、どこに意識をもってゆけますか?
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