地球がアブナイ
地球にキキが切迫中。こういう事態になったとしたら、どうしますか?
今や、地球規模の情報化社会。SNSも花盛りです。
いろんな声が、飛びかうでしょう。
パニックが発生してしまうかも。
アインシュタインだったら、こういう事態に、どういった行動をとるでしょうか。
こう答えたそうです。
「私は、地球を救うために1時間の時間を与えられたら、59分を問題の定義に使うだろう。そして1分を解決策のために使う」。
アーしよう、コーしよう、というノウハウは最後の最後。
その前に、「キキとはどういうことか?」の理解や解明に与えられた時間を最大限に利用する。
そこに切りこまずして、真の「どうしたらいいか」はだせないだろう。
そこがわかれば、本質的な「どうしたらいいか」への方向性はだせるだろう。
より本質に目をむける姿勢。
やっぱ、発想法がちがいます。
モノゴトの外面と内面
地球の危機からの脱出法、だけではなく、わたしたちは多くの場合、問題に直面した場合、目の前の課題に目がいってしまいます。
目の前の事態の解決に、つくそうとします。
だって、目の前に見えているわけですから。
見えてるものに立ち向かうのは、自然な対応です。
とってもスナオで良い子の行動ですが、現実的には、しばしば良い解決法にむすびつかないこともあります。
なぜなんでしょうか。
そこで、アインシュタインの発想法がピンときたのでした。
より、本質的なところへ、目をむけてみよう。
目の前の問題は、いうなれば、問題の見てくれ、外面です。
もっと、根っ子の本質は何か?
本質に触れずして、上っ面だけでは、十分な思考もままならない。
本質は、もっと内面に潜んでいるかもしれない。
走りの外面
走りの外面、とはなんでしょうか。
走り方です。ノウハウ。
月に何キロ走ったかです。結果。
キロ何分で走れるかです。記録。
指導される部分です。指導しやすい。
業績として、数値として、示しやすい部分です。
とっつきやすい。
目にしやすい。
比較しやすい。
アインシュタインは、走っていたでしょうか。
多分、走る人ではありません。
でも、走っていたら、どんなことを考えながら走ったでしょうか。
地球の危機問題と同じようなコトを考えたでしょうか。
走りの内面
走りの、内面とは何でしょうか。
文字通り、外からは直接はうかがいがたい、世界。
たとえば、例をあげます。
カラダは、どういうように動くと、走りになってゆくのか?
走るカラダは、どんな連携で結ばれてゆくのか?
走ったときの感覚は、どうなっているのか?
うーん、どうしても抽象的に傾いてしまいます。
コトバでの表現が、むつかしい世界です。
なにより、自分で走って、自分で感じてみないと、はじまらなそうです。
そして何より「意識を向けてみないかぎり、わからない世界」だということです。
でました、「意識」です。
自分を変えてゆく第一歩が「意識」でした。
「意識」は、内面に向かうことで、生じてくるものなんですね。
はい、「意識」は、内に宿るのです。
アッカンベー
アインシュタインの肖像というと、アッカンベーしたポーズが有名です。いえ、アッカンベーというより、ミルキーのペコちゃんポーズというべきでしょうか。
テヘッという表情です。
ペコちゃん風に、テヘッとベロを出したことはありますか?
してみませんか。
ただし、アイドルがやるとカワイイけれど、わたしのような中高年には注意が必要です。イテテてて、とベロをかんでしまいかねません。注意してください。
テヘッ。
肩の力が、すっと抜けませんか?
そう、リラックス。
意識は、リラックスしたときに、生まれやすい。
走っているとき、リラックスしてますか。
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