どこでもドアで、江戸時代へゴー
江戸時代の歩きや走りは、現代人と同じだったでしょうか。
残念ながら、江戸時代を生きたひとに直接話を聞くことはできません。
江戸時代の往来の動画も、残されていません。
どこかに、監視カメラ映像でもいいからないものでしょうか。
ありません。
どうしたら、よいでしょうか。
むつかしく考えない(わたしの限界)。
自分が、江戸人になっちゃえばいいんです。
すると、どんな歩き方になるでしょうか。
そして、走り方は?
はたして、変わらないものかどうか。
理論より、実践を楽しんでみましょう。
江戸人への変身
風よ、光よ、忍法七変化。
いえ、この呪文じゃ、江戸人には変身できません。
怪傑ライオン丸になっちゃいます。
ヘンシーン。
単純でいいけど、これじゃ仮面ライダーです。
コトバでは、無理です。
カタチから入る。
ゾーリにキモノ姿に変身してみましょう。
ゾーリは、ビーサンでけっこうです。
キモノは、ゆかたでかまいません。
腰に帯をキュッとまくのを忘れないでください。
時代劇の、江戸の町人スタイル、が目標です。
いっぱい走るんだったら、ゾーリだとペタペタしてしまいますね。
ハダシかワラジ、現代なら地下タビの借用もありです。
走るさいのハキモノは、カカトで固定しましょう。ハキモノは、本来カカトで履く道具です。
そうすれば、ハナオはそえるだけとなって、痛みません。
歩いてみる
ゾーリとキモノで、思う存分歩きまわってみましょう。
いつもとはちがった感覚に、驚きと新鮮さが味わえることでしょう。
それでも、まず最初に感じるのは、歩きにくさでしょうか。
アシが前に出しにくいんです。
だって、モモがつかえる。
キモノのスソがジャマをするからです。
いきおい、歩幅はグンと小マタになります。
これが江戸歩きの1番の特徴かな、とわたしは思っています。
小マタ歩き。
チョコチョコ歩き。
キモノ歩き。
でも、できれば小マタ歩きが自然に感じられるようになるまで、歩きなれてみてください。
決して苦行ではなくなってゆくはずです。
むしろ、歩くことが楽しくなってくる。
気持ちよくなってくる。
キモノ歩きの不自然さが消えてきたら、足ウラに意識を向けてみてください。
いままでと変わってきたことに気がつきますか?
足ウラの変化
ゾーリにキモノ歩きが様になってくると、着地が変わっていました。着地の中心部位が、カカトではなくなってきていました。
小ユビ山に移ってきていませんか。
力強い大マタ歩きでなくなっていたからです。
床面を離れる際の中心部位が、親ユビ山から変わってきていました。
小ユビ山に移ってきていませんか。
地面を蹴り出せなくなってきたからです。
だって、アシに力が入らなくなっていたんです。
ですから、小ユビ山の感覚は、蹴るではなく、離れるだけ。
アレアレ、お江戸装束になると「小ユビ山」から着地して、「小ユビ山」が最後まで残って床面から離れるようになってしまうのです。
カカトからドンと着地して、親ユビ山で蹴り出す現代人歩きと、こうも勝手がちがってくるものなのでしょうか。
おもしろいと、思いませんか。
そして、この感覚は、そのまま走っても同じです。
むしろ、その感覚は強まってきます。
そして、この感覚が馴染んできませんと、ゾーリやワラジは「足が痛くなるハキモノ」としか思えなくなってしまうのです。
その場とびジャンプの体験
その場とびジャンプをしてみましょう。
どこから離れ、どこから着地するのか、足ウラに意識をむけて観察してみてください。
離れる中心は、小ユビ山になっていませんか。
親ユビ山で蹴ると、力強さは生じるかもしれませんが、力が必要でつづきません。無理につづけると、足ウラが痛くなってくる。足底筋とよばれるあたり。
カカトから、とびはねる、無理です。
着地の中心は、小ユビ山になっていませんか。
カカトで着いたら、脳天までズキーンと衝撃が響きわたります。
親ユビ山から着いても、痛い。
カラダの離着陸時の衝撃システムは、小ユビ山で受けるようにできているのかな、と思えませんか。
小ユビ山は、アシを通してカラダとつながる足ウラ部位だったんですね。
バイクにたとえてみます。
地面をすすむ車輪は、小ユビ山。
ハンドルは、親ユビ山。
立てかけるスタンドは、カカト。
そして、エンジンは、オシリ。
ふーん、理屈はおいおい考えましょう。
江戸の人は、カラダの使い方が、今とはちがっていたようだ。
もちろん、わたしの勝手な想像です。
それに対して、現代人はどうでしょうか。
足ウラ地図を意識するだけで、歩きも走りも、ずっと世界が深まるような気がします。
なにより、おもしろい、と思いませんか。
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