ふり返って
走るときのエンジンとなるチカラを、3つにわけてみましょう。
「すすむチカラ」
「着地のチカラ」
「支えるチカラ」
3つにわけるウンチクは「生きるチカラ」編で、前への進み方は「すすむチカラ」編で触れてきました。
今回は、「着地のチカラ」のうち、現代版について考えてみます。
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着地には、2つの意味がある
歩いたり、走ったり、という「移動時」の状態を「アシ」からながめてみます。
そうすると、2つに分けてみられませんか。すなわち、
地面に着くときのアシ
地面から離れるときのアシ
着地というと、アシが地面に着くことですが、それだけでは移動になりません。
着いたアシは、すぐさま地面から離れてゆく。
このくり返しが、移動となります。
ですので、「着く」と「離れる」をセットにして着地にふくませたいと思います。
そもそも、なぜ「着く」と「離れる」を分けるのでしょうか?
それは機能がちがうからです。
人間関係だって、付くのと離れるのはちがいますもんね。
アシを着くときのカラダのしくみ
アシを離すときのカラダのしくみ
それを、どこから見たらよいでしょうか。
ここでは、「足ウラ」から眺めてみたいと思います。
はっきりとした違いがあらわれてくるからです。
おっと、ここでいきなる「足ウラ」というコトバを使わさせていただきました。
「足ウラ」
この先も大切な場所なので、ひとまず足ウラ地図の話をさせてください。
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足ウラ地図をもっていますか
名前がないと、愛着もわいてこないものです。
関心のあるものには、名前がついてゆきます。
定年退職を境に家に引きこもってしまったオヤジにとって「乃木坂46」なんて名前を聞いても、フーン、何ソレ、でおしまいです。
ところが、アイドルオタクは、メンバーの一人ひとりの名前までスラスラでてきます。
どんだけ、そのギョーカイ用語にくわしいか、が関係の深さとしばしば相関します。
ランナーにとって、足ウラは、カラダの中でもひときわ大切なところです。
なぜなら、地面と接する唯一の場所だからです。
では、どれだけ足ウラのコトバをもっているでしょうか。
しかも、走り方は、しばしば足ウラと地面との接点に反映されてきます。
どういう足ウラの使い方をされているか、で走り方まで想像できちゃうんです。
つまり、足ウラのどの場所を、どのように使っているか、をみるだけで走り方が思い描けるほどなんです。
手相見は、手のひらの様子から、そのひとの人生をうらなってゆきます。
ランナーにとって、足ウラ情報は、手相見の手相と同じようなものです。
ところが、現実には足ウラへの関心は高いとはいえません。
足ウラの名前が「土踏まず」くらいしか出てこないのが現状です。
ということで、ここで足ウラの地図をまとめておきます。
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足ウラには、3つの山がある
足ウラをながめてみてください。
イテテテテ。
カラダがかたくで、自分の足ウラをながめられない方。
重症です。
ぜひ、じっくりと観察ができるよう、毎日少しずつトライしてみてください。
正座で食事がとれるくらいになりますと、余裕でできるようになります。
足ウラには、3つの山がありました。それを、以下のように名付けます。
親ユビにつらなる足ウラ部分(親ユビ山)
小ユビからなだらかに下ってゆく足ウラ部分(小ユビ山)
文字通りのカカト部分(カカト)
親ユビ山、小ユビ山は、わたしの造語です。
カカトは、そのまんまカカト。山ははぶきました。
この3つの名前は、覚えておいてください。ソンはしません、多分。
さあ、立ってみましょう。
カラダは、この3つの山で支えていることがおわかりですか。
そうです、足ウラは三脚構造でした。
ここに、足のユビが補助的にのびています。
意識していると、3つの山の感覚が生まれてきます。
カラダを動かして、それぞれの山にかかる体重移動感覚を味わっておいてください。
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現代人の着地
わたしの観察という、たよりない根拠で申しわけございませんが、現代人の移動の際の地面への着き方、地面からの離れ方には、共通性がみられます。
地面への着き方は「カカト」からが圧倒的です。
それは、歩いているときも、走っているときも、です。
現象だけではなく、たとえば厚労省の歩き方指導でも、カカト着地が推奨されています。
ウデをふって、足を大きく開いて、カカトから力強く着地しましょう、と。
次に、地面から離れるとき。
多くは、親ユビ山にチカラをこめて、地面を蹴り出しています。
さきほどの力強い歩き方をしようとしても、そうなります。
その結果、長くはいた靴底は、「カカト」と「親ユビ山」がすり減っています。
一度、観察しておいてください。
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歩き方、走る方は、普遍的か
流行は、回ります。
スカートの丈は、短くなったり、長くなったり。
季節も、クルクル。
でも、ひとの歩き方や走る方に流行はないだろう。
100年前のひとと、1000年前のひとの歩き方や走り方がちがうなんて、ありえないだろう。
みたことはないけど、同じ2本足だろうし。
そうでしょうか。
それを、次回で検証してみたいと思います。
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2018/09/e1356beed7cd47a7ebbc9695cdc949e6_m-1024x768.jpg)
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