レース後日談
マラソンは、ゴールしておしまい、ではありません。
レース中だって、大変な思いをします。
でも、ピカイチにしんどくなるのは、走った後ではないでしょうか。
とくに翌日からの数日間。
長い距離を走れば走ったほど、その影響力はおおきく出てきます。
レース翌日、目がさめると、自分のカラダじゃなくなっていることに気づきます。
寝がえりをしようとするだけで、イテテてて。
フトンから起きあがる、それは無理かもしれない。
トイレに腰かける、手すりがないと、よろけてしまう。
これを「要支援」状態といいます。
さらに前日レース中、制限時間をカン違いして関門閉鎖にあたってしもうた、なんてポカをしようものなら、認知機能の低下状態が加味されて「要介護1」判定になってしまいます。
生きた老人体験とは、こういうことです。
動くことがシンドくなったお年よりに「リハビリがんばって」なんて安易な声かけはできません。
カラダがいうこと、聞かないんだってば。
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2019/05/21327010fc258db5c72515729262a8f9_m-1024x768.jpg)
痛みは、最大の先生
イテテてて、昨日は大変だったな、で終わってしまては宝物をドブにすてるようなものです。
レース後の痛みこそ、最大の教科書。
自分のカラダの使い方を、もっとも忠実に教えてくれるメッセージに他ならないからです。
自分のカラダにおこっている変化と、じっくり対話してゆきましょう。
わたしの場合は、
起きあがるのに、力が入りにくくなる。
オナカに力を入れようとすると痛む。
立ちあがるのは、さらにしんどい。
歩くのは、小マタなら、歩ける。
しかし職場の90段ある階段は、のぼることはできるけど、おりるときはモモに力が入らなくて痛い。
走る気にはならない。
しゃがむのも、モモ前面の痛みで、ぎこちない。
正座は、モモがつっぱり膝がまがらず、イテテててといいつつようやく可能。
いろんな動作を、確認してゆきます。
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2019/05/5badb626b3ce2a27e7820a37b19681ce_m-1024x683.jpg)
カラダの部分からも観察
アシの下から、ながめてみます。
アシのウラは、少しほてる感じはあるけど、痛みはないし、やわらか。
傷もない。
足首、なんともない。
下腿は、シン(骨)が少しはっている感じ。
フクラハギは、特別なことはない。
ヒザも、変わったことはない。
太モモ全面が、多いにはっていて、押しても伸ばしても痛い。
ここが、痛みの中心かな。
うしろ側(ハムストリングス)は、そうでもない。
オナカの筋肉も、笑うと、痛い。
全体として、カラダのシンが、ジーンと疲れている感じになっています。
動作時は、モモの前面に力や緊張がかかるとき、痛みでぎこちなくなります。
ふくめて、カラダの前面に疲れがきているのかな。
後面は、そうでもない。
ハダシにワラジ。
いわゆる飛脚走りで100キロをいった後日談は、こんな感じになりました。
カラダの前面、後面で、感覚や疲れの差がでています。
蹴るのがすくないためでしょうか。
小マタのスタスタ走りの結果でしょうか。
アシ自体は、ワラジなので汚れますが、洗えば元どおり。
キズひとつ、ありません。
ただし、ワラジのヒモで足の甲と足首が擦れることがありますので、ハーフ以上の距離ではその部分にテーピングする習慣になっています。
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2019/05/937c5d9f2fb441a906381aa724cab291_m-1024x765.jpg)
力は、どこまで必要か
わたしのふだんの走りは、たいしたものではありません。
ウイークデイは2日、朝に6キロから8キロほどを、気持ちのいいペースで走る。
週末に1回、22キロが基準の1周コースを、やはり気持ちのいいペースで走る。
いずれも、タイムは気にせず、「気持ちのいいペース」で走ってくるだけです。
気持ちのいいペースなので、痛みや故障とも無縁で走れます。
あとで記録はつけたいので、GPS腕時計はしていますが、走っているときには気にかけません。
結果として、ウイークデイの短距離の方が、早めのスピードになっています。
ペース走とか、だんだんスピードをあげるとか、そういう上等なものはしません。
そもそも、坂も多いし、ペースを保つこと自体、なかなかむつかしい土地柄。
ガンバっていらっしゃるランナーの方からみれば、相当にユルいし、甘いかもしれません。
でも、いまの自分に合っているようには思っています。
これぞ、マイスタイルですよ、と。
何より、続いているわけですから。
20年以上。
そして感じていること。
長距離走は、力仕事ではない、のかもしれない。
歩くのが、力仕事でないのと同じように。
ガンバって力をつけないといけない、のではない。
もっと、別の次元のカラダ使いがあるはず。
その検証も、つづけています。
週に3日しか走らないの?といわれることもありますが、「走った翌日に走らないのも稽古のひとつ」なんて都合のいい考え方をしています。
そうしたら、週に6日の稽古(笑)。
走らない日は、朝散歩。
あるいは、草むしり。
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2019/05/b83d0f440c56ad60a5a091733f2ed14b_m-1024x678.jpg)
和の生活
わたしの走りは、「疲れ方」からみると、カラダの前面が主体のようです。
前にすすむのだから、カラダの前面が主体になる。
とくに着地のさいの、足ウラやヒザや太モモの使い方が。
あとは、ここにカラダ後面の使い方が加わることで、すすみ方がどう変化してゆけるか。
課題は、つきません。
そして、このカラダ使いは、そのまま和の生活にあてはまってゆきます。
和の生活というのは、単純化してしまうと、上下動作の繰り返し。
バリアアリーの場が、そうです。
和式トイレでの、立ちしゃがみ。
食事での、正座。
火起こしで、しゃがむ。
入り口、上がりはななどの大段差。
こういった行為で活躍するのは、カラダの前面部です。
後面部は、どちらかというと、支え役。
いまだに、こういう生活をしている田舎のジジババ様たち。
やっぱ、強いなと思います。
そこで、お手軽、和式行為。
おすすめが、草むしりです。
しゃがんで、前傾姿勢で草をむしったり、刈る。
そのままの姿勢で、少しずつ、周囲に移動。
しゃがんでおこなうカラダ使いと、長距離走のカラダ使いが、だんだんとオーバーラップしてきます。
和のくらしが、ひとつの走り方に重なってくる。
畑で汗を流しているジー様たちを、一度走らせてみたいな。
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2018/11/76f3e759415ad1690bfae003ac05144c-e1542443258483.jpg)
畑こそ 田舎のトラック 草がまつ
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2019/05/ad4483104aae64bbb83cc48f3fd301f5_m-1024x768.jpg)
↓ よろしければ、清き1票をお願いします(1日ワンクリック有効)
![にほんブログ村 その他スポーツブログ マラソンへ](https://b.blogmura.com/sports/marathon/88_31.gif)
にほんブログ村