レースの活用法

レース後日談

 

マラソンは、ゴールしておしまい、ではありません。
レース中だって、大変な思いをします。
でも、ピカイチにしんどくなるのは、走った後ではないでしょうか。
とくに翌日からの数日間。
長い距離を走れば走ったほど、その影響力はおおきく出てきます。

レース翌日、目がさめると、自分のカラダじゃなくなっていることに気づきます。
寝がえりをしようとするだけで、イテテてて。
フトンから起きあがる、それは無理かもしれない。
トイレに腰かける、手すりがないと、よろけてしまう。

これを「要支援」状態といいます。
さらに前日レース中、制限時間をカン違いして関門閉鎖にあたってしもうた、なんてポカをしようものなら、認知機能の低下状態が加味されて「要介護1」判定になってしまいます。

生きた老人体験とは、こういうことです。

動くことがシンドくなったお年よりに「リハビリがんばって」なんて安易な声かけはできません。
カラダがいうこと、聞かないんだってば。

 


 

痛みは、最大の先生

 

イテテてて、昨日は大変だったな、で終わってしまては宝物をドブにすてるようなものです。
レース後の痛みこそ、最大の教科書。
自分のカラダの使い方を、もっとも忠実に教えてくれるメッセージに他ならないからです。

自分のカラダにおこっている変化と、じっくり対話してゆきましょう。

わたしの場合は、
起きあがるのに、力が入りにくくなる。
オナカに力を入れようとすると痛む。
立ちあがるのは、さらにしんどい。
歩くのは、小マタなら、歩ける。
しかし職場の90段ある階段は、のぼることはできるけど、おりるときはモモに力が入らなくて痛い。
走る気にはならない。
しゃがむのも、モモ前面の痛みで、ぎこちない。
正座は、モモがつっぱり膝がまがらず、イテテててといいつつようやく可能。

いろんな動作を、確認してゆきます。

 


 

カラダの部分からも観察

 

アシの下から、ながめてみます。

アシのウラは、少しほてる感じはあるけど、痛みはないし、やわらか。
傷もない。
足首、なんともない。
下腿は、シン(骨)が少しはっている感じ。
フクラハギは、特別なことはない。
ヒザも、変わったことはない。
太モモ全面が、多いにはっていて、押しても伸ばしても痛い。
ここが、痛みの中心かな。
うしろ側(ハムストリングス)は、そうでもない。
オナカの筋肉も、笑うと、痛い。

全体として、カラダのシンが、ジーンと疲れている感じになっています。
動作時は、モモの前面に力や緊張がかかるとき、痛みでぎこちなくなります。

ふくめて、カラダの前面に疲れがきているのかな。
後面は、そうでもない。

ハダシにワラジ。
いわゆる飛脚走りで100キロをいった後日談は、こんな感じになりました。

カラダの前面後面で、感覚や疲れの差がでています。
蹴るのがすくないためでしょうか。
小マタのスタスタ走りの結果でしょうか。

アシ自体は、ワラジなので汚れますが、洗えば元どおり。
キズひとつ、ありません。
ただし、ワラジのヒモで足の甲と足首が擦れることがありますので、ハーフ以上の距離ではその部分にテーピングする習慣になっています。

 


 

力は、どこまで必要か

 

わたしのふだんの走りは、たいしたものではありません。

ウイークデイは2日、朝に6キロから8キロほどを、気持ちのいいペースで走る。
週末に1回、22キロが基準の1周コースを、やはり気持ちのいいペースで走る。

いずれも、タイムは気にせず、「気持ちのいいペース」で走ってくるだけです。
気持ちのいいペースなので、痛みや故障とも無縁で走れます。

あとで記録はつけたいので、GPS腕時計はしていますが、走っているときには気にかけません。
結果として、ウイークデイの短距離の方が、早めのスピードになっています。

ペース走とか、だんだんスピードをあげるとか、そういう上等なものはしません。
そもそも、坂も多いし、ペースを保つこと自体、なかなかむつかしい土地柄。

ガンバっていらっしゃるランナーの方からみれば、相当にユルいし、甘いかもしれません。
でも、いまの自分に合っているようには思っています。
これぞ、マイスタイルですよ、と。
何より、続いているわけですから。
20年以上。

そして感じていること。
長距離走は、力仕事ではない、のかもしれない。
歩くのが、力仕事でないのと同じように。
ガンバって力をつけないといけない、のではない。
もっと、別の次元のカラダ使いがあるはず。
その検証も、つづけています。

週に3日しか走らないの?といわれることもありますが、「走った翌日に走らないのも稽古のひとつ」なんて都合のいい考え方をしています。
そうしたら、週に6日の稽古(笑)。

走らない日は、朝散歩。
あるいは、草むしり。

 


 

 

和の生活

 

わたしの走りは、「疲れ方」からみると、カラダの前面が主体のようです。

前にすすむのだから、カラダの前面が主体になる。
とくに着地のさいの、足ウラやヒザや太モモの使い方が。
あとは、ここにカラダ後面の使い方が加わることで、すすみ方がどう変化してゆけるか。
課題は、つきません。

そして、このカラダ使いは、そのまま和の生活にあてはまってゆきます。
和の生活というのは、単純化してしまうと、上下動作の繰り返し。
バリアアリーの場が、そうです。

和式トイレでの、立ちしゃがみ。
食事での、正座。
火起こしで、しゃがむ。
入り口、上がりはななどの大段差。

こういった行為で活躍するのは、カラダの前面部です。
後面部は、どちらかというと、支え役。
いまだに、こういう生活をしている田舎のジジババ様たち。
やっぱ、強いなと思います。

そこで、お手軽、和式行為。
おすすめが、草むしりです。
しゃがんで、前傾姿勢で草をむしったり、刈る。
そのままの姿勢で、少しずつ、周囲に移動。

しゃがんでおこなうカラダ使いと、長距離走のカラダ使いが、だんだんとオーバーラップしてきます。

和のくらしが、ひとつの走り方に重なってくる。

畑で汗を流しているジー様たちを、一度走らせてみたいな。

 

たーさん
畑こそ 田舎のトラック 草がまつ

 


 

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