生き方の基本
生き方の基本をつかさどるもの。
それを「本能」としておきます。
もう一歩、具体的につっこんでゆきます。
本能というのは、本来そなわっている生きるスベのモロモロ、ということです。
DNAの具現したありさま。
つまり、生きるためのプログラミングそのもの、をさします。
わたしたちは、本能の指示によって、生きてきています。
そして、この指示に従うことで、本来の寿命を送ってゆきます。
いやはや、神サマの能力、たいしたものです。
ほぼ完璧なまでに到達しているプログラミング。
ま、ときどき、バグってることもありますけれど。
もちろん、このしくみは、人間だけのもでではありません。
イヌ、ネコ、からカラス、ミミズ、アメンボまで。
生きとし生けるものすべて、に固有のプログラミングがそなわっています。
それが「本能」です。
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本能 さまさま
ちょっと、本能をもち上げすぎていないか。
そんな完璧なものが、そもそも、存在するのか。
どこかに致命的な欠陥をもつことはないのか。
もちろん、過去には、そういうことも多々あったことでしょう。
でも、その場合は、ミスを背負ったゆえに、滅亡しています。
つまりは、生存に適応しえずに。
これこそが、厳粛なる生きものの宿命、なんだと思います。
ですから「本能」がどんだけ精巧なのか。
それは「今も生きつづけられている」という事実が証明しているんですね。
もちろん、次の世代へとバトンタッチをしながら、ですけど。
たとえば、ヒトの寿命は、時代でたいへんな差があります。
太古は、20歳台の時代もありました。
江戸時代でさえ、40歳台が平均寿命でした。
しかし、それだけの寿命があれば、ヒトはほろびない。
だって、今につながっているわけですから。
まこと、感嘆すべきプログラミングじゃありませんか。
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本能さんに、聞いてますか
ですから、くらしのモロモロについて、なやんだとき。
本能には、どんなプログラミングがされているのか、と振りかえれば、一番マットウな答えが用意されているはずです。
ところが、人生相談は、まったく別のかたちで展開されています。
新聞での人生相談。
ラジオでつづく人生相談。
雑誌の人生相談。
最近では、ネットを介しての人生相談。
なやみ多きヒトの世ですから、人生相談のタネは尽きません。
これらの人生相談。
共通するのは「自分以外のヒトの意見」ということです。
多くは、自分より人生経験の長い方。
そのスジの経験をつんだ方。
有名人。
神の啓示を受けられた方?
まだ「本能にきいてみましょう」というスタイルはありません。
「本能人生相談」とか。
わたしが知らない、だけでしょうか。
まよったとき、こまったとき、自分の本能に聞いてみませんか。
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本能なら、こういうね
年をとって、変わってきたな、と自覚できることのひとつ。
それは「ヒトの話を聞かなくなった」ということです(苦笑)。
これって、ボクの個人的変化なんでしょうか。
それとも、昔からそうだったものを、自覚できるようになっただけ、でしょうか。
とくに、テレビから流れてくる話。
もう、聞くに耐えない、という感じです。
ですから、まったく近づかなくなってしまいました。
人の話を聞かない。
だから、ヒトとの距離をおくようになった、というわけではありません。
話のかわりに、行動に目がいくようになった気がします。
行動を導いているのは、「本能」です。
本能の声、を聞きたくって、仕方がありません。
本能の声は、おもしろい、深い。
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本能のよろめき
ヒトは、もともと、どのように生き、動くようにプログラミングされているのか。
そうです、わたしたちの「動き」も、本能にくみこまれています。
本能は、どのように指示しているのか。
たとえば、どのように、起きあがるか。
どのように、2本足で立つのか。
どのように、移動するのか。
そして、急ぐときは、どのような動作になるのか。
急ぐときの動作を、「走り」といっていますね。
とはいえ、生まれたときのプログラミングです。
その後の生きかたで、それは、さまざまな修飾がなされてゆきます。
サバンナの大地の中で、ハダシで育ったこども。
そして、毎日、何キロも水を運ぶ生活。
かたや、生まれたときから抗菌世界で、土を直接踏んだコトのないこども。
移動は、立派なクツをはいて、車や電車。
この2人が、同じ「本能」をそなえていたとしても、プログラミングの発現方法は、そうとうに違ってくることでしょう。
本能といえども、終生の行動の規程するわけではありませんから。
本来の本能は、どういうものなの?
本能がいちばん自然に発現される環境というのは、どんなものなのか?
環境によって、本能はどんな変化をきたしてゆくのか?
丸いスイカも、四角い箱の中で育てると、四角いスイカになってゆきます。
現代人の本能の変化。
その中で聴こえてくる、本能の声。
本能に耳をかたむけると、興味が尽きません。
(つづく)
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車社会 何をか語る 本能は
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