新しいとびら
アルフォンス・デーケンさんを、ご存じでしょうか。
1932年にドイツで生まれ、その後、日本に帰化されています。
イエスズ会の司祭ですが、日本では、上智大学で長く教鞭をとられました。
「死生学」をひとつの専門にされていました。
かつて日本では、ガン患者に、本当の病名を伝えるのはタブーでした。
かつて、といっても、はるか昔のことではありません。
ぼくの若いころも、アタリマエにウソ病名をつたえるべき、とされていたんです。
白血病のひとには、骨髄症とか。
そんなときから、デーケンさんは「本当のことを伝えるべき」と孤軍奮闘されていました。
そのデーケンさんが、よく口にされていたコトバ。
それが「にもかかわらず」。
わたしたちは、日常、そんなに使うことはないかもしれません。
ぼくだって、そうです。
でも、このコトバを使っていると、新しいとびらが開く。
そんな経験を、よくします。
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にもかかわらず、の毎日
がんばって、月間走行距離をのばしてみた。
にもかかわらず、記録はのびない(よくあります)。
寝る時間までけずって、筋トレにはげんでみた。
にもかかわらず、カラダは故障するばかり。
準備万端、レースの申し込みから、宿の手配まですんだ。
にもかかわらず、レース自体が中止になってしまった。
なにかと、思うようにはならない世の中です。
そして、ことはランニングの世界だけではありません。
休みを使ってまで全身全霊でつくりあげた会議の資料。
にもかかわらず、一瞥のうちに、ボツにされた。
誠意をもって、目一杯の譲歩で望んだ会談。
にもかかわらず、逆手にとられて、うらみまで買ってしまった。
ガマンにガマンを重ねてすすめたダイエット計画。
にもかかわらず、体重計のハリは、逆に向かってゆく。
ふりかえってみれば、「にもかかわらず」の何とおおいことか。
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にもかかわらず、笑う
死生学、という重いテーマに向き合ってきたデーケンさん。
どうしても、話題は、暗くなりがちです。
そのデーケンさんの、もうひとつの専門が「ユーモア学」。
あらためて、ユーモアって何なんでしょうか。
デーケンさんは、ユーモアをこんなふうに定義していました。
ユーモアとは「にもかかわらず、笑う」ことなんですよ。
笑いは、おおくは単純におかしなものでした。
赤塚不二夫のギャグ漫画(古い)。
ドリフターズのコント(古い)。
初代林家三平師匠(古い)。
てなもんな三度笠(また古い)。
古い例しかだせなくて、申し訳ありません。
テレビを見なくなったものですから、今の笑いに入れない。
というか、今は、そんな単純な笑いはありませんでしょうか。
なんだか、暗い世相ばかりが、気にかかります。
そういえば、単純な笑いが、減ってきていませんか。
社会が、そうに、傾いてきているのか。
あるいは、わたしの感性が、ただにぶくなってきただけなのか。
でも、そうなると逆に「にもかかわらず笑う」場面は、ふえてもいいような。
つらいときこそ、笑う。
それが、ユーモア。
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にもかかわらず、の先取り
自粛ムードが、世の中を、席巻しています。
コロナウイルス感染症だけ、ではないような気がします。
小さな「クイ」でも、すぐに打たれる時代じゃないですか。
ついつい、萎縮しがちな世相です。
萎縮しっぱなしは、カラダにも、ココロにも、決して好ましいコトとは思えません。
厚くなったカラは、どうやぶったら、いいでしょうか。
ひとつの処方箋。
それが、「にもかかわらず」と口に出してみること。
1日、3回「にもかかわらず」と口に出してみる。
そのうち、1回でも、実際の行動に出てみる。
ただし、使用回数に、上限はなし。
できれば、使った場面を「おくすり手帳」に記載しておけば、なおよし。
朝、起きだすのに、ちゅうちょしているとき。
「にもかかわらず」起きだしちゃおう!
重そうな荷物をもったお年よりに、目がいったとき。
「にもかかわらず」声をかけちゃおう。
エレベーターのボタンを押すとき。
「にもかかわらず」階段を選んじゃおう。
にもかかわらずは、過去を語るコトバじゃありません。
過去形につかうと、暗くなりがち。
これからの決心を決めるコトバにしてみる。
未来につかうコトバ。
そうに、決めちゃうのですね。
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1日3回
1日3回の「にもかかわらず」。
たった、これだけ。
ところが、実行してみると。
1日に3回も「いつもの行動」とちがう方向に目がいく、ということになります。
平凡な生活、と思っていたものが、ちょっと方向を変えてくる。
おもかじ一杯、なんて、大胆な進路変更になるわけじゃありません。
でも、すすむ方向が、明らかにかわり始める。
「にもかかわらず」
このコトバを、くらしに、とり入れてみる。
意外なことが起こるかもしれません。
お金も、かかりません。
とりあえず、デーケンさんのノリで「にもかかわらず」笑ってみる、ことから。
ムフフ(ちょっと、お下品)。
ガハハ(そこまで、できるか)。
ウフフ(気色わるい)。
これこそ、ユーモア。
つらいこと、があってもさ。
ちょっと、新しい道が、見えだしてくる。
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笑いっぱなし、だった2019沖縄100Kウルトラマラソン。
つらくなっても、にもかかわらず、笑う。
レースは笑いだあ。
沖縄衣装と、ワラジという、ハンパない場違い感。
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ゴールでは、すっかり沖縄っ子になって、みなで大笑い。
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絶不調 にもかかわらず あゆみ出し
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