ガケっぷち
第1回武尊スカイラン。
そこでの一番の思い出は、「急斜面」でしょうか。
よいも、にがいも、ふくめて。
山道も通っていない急斜面をのぼってゆく。
一応、目印が導いてくれるので、迷子にはなりません。
目印が視界に入る範囲であれば、どこをよじのぼろうが自由。
楽ではありませんでした。
なぜか、一歩ごとに、ゼイハアしてしまうあり様です。
1キロをすすむのに、30分もかかっていたのですから。
そんな斜面をのぼりながら、ある物思いにふけっていました。
コレ、やってたよな。
あのころは、どうだったんだろうか。
急に、時計は、ぼくの少年時代にまき戻されていました。
小学生の、ガキっ子時代。
ぼくの遊び場のひとつに、ガケの斜面がありました。
河原にそっての急な斜面。
山で切り立った急な斜面。
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自然体
河原にしろ、山にしろ、けっこうな傾斜です。
そんな世界が、みじかな環境の中にありました。
もちろん、道などありません。
今回のレースの比でもありません。
もっともっと、切り立っていました。
とうぜん、よい子はいってはいけない場所です。
って、昔はそんなヤボなことをいう大人もいませんでしたし。
そんなガケ面をすいすいのぼる。
木の根っことか、岩とか、何でも利用して。
そして、跳び落ちる勢いで、一気にかけくだる。
砂や小石といっしょです。
ツルをつかって、ターザンごっこもしました。
そういえば、かつて、母親によくなげかれました。
「お前のズボンは、新調しても、3日ともたない」
すぐに、ひざ小僧にアナをあけてくるのだそうです。
いつも、つぎ当てのズボンだったようです。
いちど斜面で遊びはじめると、何回、のぼりおりを繰り返したでしょうか。
コースを変えて。
のぼり方を変えて。
とびおり方を変えて。
暗くなるまで。
のぼりおりのバリエーションは、それこそ無限大です。
それが、自然にできていました。
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2021/07/5193626_m-1024x680.jpg)
それが、今や
今回のレース中、そんな昔を思い出していました。
あのころは、息切れなんて、感じたことなどなかったじゃん。
筋肉痛なんて、なかったじゃん。
なんで、平気でよじのぼれたんだろう。
なんで、勢いよくとびおりられたんだろう。
同じ人間の感覚とは、思えません。
ま、これが、退化というものなのか。
老いということなんだろうか。
アタマに酸素が足りなくなって、ロクなことを考えません。
レース中の発想じゃありませんね。
でも、時代の流れ、ですまそうとするのは、おもしろくありません。
あのときの動きは、どうだったのだろうか。
それがいま、どこへいっちゃったんだろうか。
なんだか、とても、なつかしい気持ちがよみがえってきていました。
大切なものを、置き去りにしてこなかったか?
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2021/07/4903715_m-1024x684.jpg)
トラさん
まだ、直接に出会ったことはありませんが、トラさんがいます。
フーテンの、じゃありません。
4本足の、カタカナでいうと、タイガーさんです。
野球は、しません。
密林の王者。
大きなカラダをしています。
ぼくより、何倍もあって、ダンゼン大きい。
なのに、トラさん、とてつもないガケを、わけもなくのぼりあげる。
かと思えば、とびおりるように、くだる。
そんな映像を見たことがあります。
まるで、重力の支配から、抜けでてしまったかのような敏捷さ。
イメージとしては、ぼくの少年時代に重なります。
だいぶ、うぬぼれた妄想になっていますが。
本当は、トラさんの動きの方が、カミワザ的です。
そこは、昔のよき思い出、という勝手な自分への解釈がくわわっています。
トラさんの動き。
まさに、ガケ面と一体化しています
それを、どう表現したらよろしいでしょうか。。
それは、ガケ面に「同化」した動きといっていいのじゃないでしょうか。
ガケ面に、とけこんでいる。
そんなイメージです。
そういえば、クマさんも、同じかもしれません。
巨体を、地面に吸いつくように、移動させてゆく。
これも、「同化」した動き。
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同化してゆくこと
いろんな環境を、移動してゆく。
走る、というのは、そういうことです。
たいらな道を、まっすぐに移動してゆくことがあります。
北オホーツクウルトラマラソン時の、8キロの直線道路がなつかしい。
山道をのぼって、くだって、をくりかえしてゆく移動もあります。
晴れの日、雨の日の移動もあります。
そんなとき。
その環境に「同化」できないものだろうか。
キロ何分とか、そういう感覚とは、まったく別の次元のものになります。
「あ、いま、大地と同化している」
そんな気持ちで、走れないものかな。
そんな気持ちで、よじのぼれないものかな。
昔は、ちょっとだけ、できていたのかもしれません。
邪念も、何もなかった時代。
テクニック、というものとはちがう感覚。
「同化力」
新しいテーマがみつかりました。
そしてこれは、走ることに限定しないのかもしれません。
いろんな置かれた場所に、同化する。
順応するとか、従うというのとは、ちがいます。
身をひそめる。
密林のなかの、トラさんのように。
自然体で。
環境に同化して、走ってゆきたい。
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環境に 同化してゆき 一体化
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