「いけません」がいけません

よろしくありません

 

イケないことが、あふれています。
それをやっちゃあ、ダメでしょう。
なんで、そんなことするんかな。

ヨイひとには、よいなりに、そうじゃないひとにも、そうじゃないなりに、他人のイケないことは目につくものです。
走りの世界でも、例外ではありません。
いままで、いくつの「よろしくない」を耳にしましたか。

いきなり走りだすのは、よろしくない。
途中で水分をとらないのは、よろしくない。
平地ばかりを走っているのは、よろしくない。
左右のバランスがくずれて走るのは、よろしくない。

クッション性のないハキモノは、足によろしくない。
走ったあとのアルコールは、よろしくない。
空腹のまま走るのは、よろしくない。

走りっぱなしは、よろしくない。
アゴがあがった走り方は、よろしくない。
ノロノロ走っているだけでは、よろしくない。
筋トレを入れないのは、よろしくない。

 



 

病院の中でも

 

病院の世界も、よろしくないことで、あふれています。

たべすぎは、よろしくない。
運動不足は、よろしくない。
たべてすぐ横になるのは、よろしくない。
ちゃんとかまずに飲みこむのは、よろしくない。

連チャンのアルコール摂取は、よろしくない。
炭酸化物のとりすぎは、よろしくない。
クスリをきちんと飲まないのは、よろしくない。
検診をサボるのは、よろしくない。

夜更かしは、よろしくない。
スマホの見すぎは、目にも脳にもよろしくない。
大音量の中にばかりひたっているのは、よろしくない。
不潔は、よろしくない。

体重を気にしないのは、よろしくない。
手をちゃんと洗わないのは、よろしくない。
マスクが不潔なのは、よろしくない。
消毒をおこたるのは、よろしくない。

 



 

英雄

 

世に「よろしくないこと」の指摘が生きがいみたいな方が、おられます。
俗にいう、正義のヒトです。
状況によって、コーチとか、先生とかよばれることがあります。
なにしろ「よろしくない」ものを、「よろしい」方向に導こうとするのです。

人間を、健全に育てる。
よりよい社会を実現するための貢献者。
ははあ。

ですから、こういう方々の貢献が、みながハッピーになるためのカギをにぎっています。
なぜなら、「よろしくない」ものが、なくなってくれるのですから。

なのに、なぜかここに「違和感」を覚えてしまいます。
もっとアカラサマにいっちゃえば、「イヤ気」を感じてしまいます。
多分に、「よろしくないこと」まみれの我が身だからでしょうか。

ところで、そういう正義のヒトがいるのに、なぜ「よろしくない」ことが減らないのでしょうか。
いえ、減るどころじゃありません。
むしろ、増えている印象があります。

その原因の一つに、「規律のせまさ」があるように思えます。

たとえば、いまカラダを動かすのは「スポーツ」です。
スポーツというのは、規則のもとでの競技、競争です。

まず、規則ありき。
規則からはずれることは、すべからく「よろしくないこと」です。
みなが同じ方向を向け。

その前は、「体育」でした。
徐々に死語化され、祭日からもこの名が消されました。

本来の体育は、カラダを育てることです。
カラダの育ち方は、ナンボも道がありました。
それだけ、間口が広くあけられていました。

その前は、「遊び」でした。
遊びになれば、何でもあり。
木にのぼる、川にとびこむ、落とし穴をほる。
木のぼりに、いいも悪いもありません。
ドジふんで、落っこちても、それもアリの世界です。

冒険ごっこの世界には、規則もへったくれもありません。

 



 

よろしくない、といいますが

 

いま、わたしたちは「よろしくない」ことを一掃しよう社会にいます。
少なくとも、そういうお題目がとなえられています。
じつに、住みにくい。

ところで、そういう社会で、「よろしくない」ことは減っていますか。
むしろ、逆に向いていませんか。

よろしくないこと」は、ほんとに「よろしくない」のですか。
案外、悪くないんじゃないですか。

人間、ホントに悪いことには、あえて手をださない気がします。
自分にとって、「いい」と思えるからしているんです、多くの場合。
本来、行動というのは、そういうものです。

走り方が、よろしくないんですって?
でも、それが自分にあっているから、そう走っちゃうんじゃないでしょうか。

食べすぎが、よろしくないんですって?
でも、いっぱい食べるのは、快感なんです。

水分をとらずに走るのは、よろしくないんですか?
でも、ノドがかわいていないんです。

バランスのよくない走りですか?
でも、意識してそうしているわけではないんです。
自然に、そうなっているだけです。

 



 

抑圧からの解放

 

よろしくない」ことは、「負の存在」です。
そういう見方を、されています。
だから、よろしくないですよと、いわれるのですね。

でも、ホントは、ひかれている。
だから、しているんです。
いやいやしているわけじゃ、ありません。

だから、そう無理にかえなくても、いいんじゃないでしょうか。
自分のスタイルに、もっと自信をもつ。
というところに立ったら、新しい展望もひらけてきませんか。

自分には、それがいい。
ですが、さらに「もっといい」場所はないものか。

バランスのよろしくない走りですか?
ならば、その外見上のアンバランスの中に、いいバランスを宿してゆければもっと気持ちよく走れないか。

食べすぎが、よろしくないですか?
ならば、食べすぎよりもっと気持ちのよくなる食べかたをみつけてみよう。

否定から、スタートしない。
まずは、肯定
自分を、あたたかく受けいれておく。
そして、それを伸ばす道をさがしてみる。
すると、案外、つぎに自分独自の世界がつくれてゆけそうな気がします。

人間、萎縮してロクなことはありません。
「よろしくない」という発想は、萎縮への窓口。

自分の半生をふりかえって、何が育ちの原動力になっていますか。
よろしくないこと」が、になっていませんか?
正義の眼なんかに、ふりまわされて、よろけないでください。
(すいません、個人的な感想です)

 



 

たーさん
好きなこと つきつめてゆく 人は気にせじ

 

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