よろしくありません
イケないことが、あふれています。
それをやっちゃあ、ダメでしょう。
なんで、そんなことするんかな。
ヨイひとには、よいなりに、そうじゃないひとにも、そうじゃないなりに、他人のイケないことは目につくものです。
走りの世界でも、例外ではありません。
いままで、いくつの「よろしくない」を耳にしましたか。
いきなり走りだすのは、よろしくない。
途中で水分をとらないのは、よろしくない。
平地ばかりを走っているのは、よろしくない。
左右のバランスがくずれて走るのは、よろしくない。
クッション性のないハキモノは、足によろしくない。
走ったあとのアルコールは、よろしくない。
空腹のまま走るのは、よろしくない。
走りっぱなしは、よろしくない。
アゴがあがった走り方は、よろしくない。
ノロノロ走っているだけでは、よろしくない。
筋トレを入れないのは、よろしくない。
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2023/02/25401047_m-1024x683.jpg)
病院の中でも
病院の世界も、よろしくないことで、あふれています。
たべすぎは、よろしくない。
運動不足は、よろしくない。
たべてすぐ横になるのは、よろしくない。
ちゃんとかまずに飲みこむのは、よろしくない。
連チャンのアルコール摂取は、よろしくない。
炭酸化物のとりすぎは、よろしくない。
クスリをきちんと飲まないのは、よろしくない。
検診をサボるのは、よろしくない。
夜更かしは、よろしくない。
スマホの見すぎは、目にも脳にもよろしくない。
大音量の中にばかりひたっているのは、よろしくない。
不潔は、よろしくない。
体重を気にしないのは、よろしくない。
手をちゃんと洗わないのは、よろしくない。
マスクが不潔なのは、よろしくない。
消毒をおこたるのは、よろしくない。
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2023/02/24290623_m-1024x683.jpg)
英雄
世に「よろしくないこと」の指摘が生きがいみたいな方が、おられます。
俗にいう、正義のヒトです。
状況によって、コーチとか、先生とかよばれることがあります。
なにしろ「よろしくない」ものを、「よろしい」方向に導こうとするのです。
人間を、健全に育てる。
よりよい社会を実現するための貢献者。
ははあ。
ですから、こういう方々の貢献が、みながハッピーになるためのカギをにぎっています。
なぜなら、「よろしくない」ものが、なくなってくれるのですから。
なのに、なぜかここに「違和感」を覚えてしまいます。
もっとアカラサマにいっちゃえば、「イヤ気」を感じてしまいます。
多分に、「よろしくないこと」まみれの我が身だからでしょうか。
ところで、そういう正義のヒトがいるのに、なぜ「よろしくない」ことが減らないのでしょうか。
いえ、減るどころじゃありません。
むしろ、増えている印象があります。
その原因の一つに、「規律のせまさ」があるように思えます。
たとえば、いまカラダを動かすのは「スポーツ」です。
スポーツというのは、規則のもとでの競技、競争です。
まず、規則ありき。
規則からはずれることは、すべからく「よろしくないこと」です。
みなが同じ方向を向け。
その前は、「体育」でした。
徐々に死語化され、祭日からもこの名が消されました。
本来の体育は、カラダを育てることです。
カラダの育ち方は、ナンボも道がありました。
それだけ、間口が広くあけられていました。
その前は、「遊び」でした。
遊びになれば、何でもあり。
木にのぼる、川にとびこむ、落とし穴をほる。
木のぼりに、いいも悪いもありません。
ドジふんで、落っこちても、それもアリの世界です。
冒険ごっこの世界には、規則もへったくれもありません。
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2023/02/4721578_m-1024x683.jpg)
よろしくない、といいますが
いま、わたしたちは「よろしくない」ことを一掃しよう社会にいます。
少なくとも、そういうお題目がとなえられています。
じつに、住みにくい。
ところで、そういう社会で、「よろしくない」ことは減っていますか。
むしろ、逆に向いていませんか。
「よろしくないこと」は、ほんとに「よろしくない」のですか。
案外、悪くないんじゃないですか。
人間、ホントに悪いことには、あえて手をださない気がします。
自分にとって、「いい」と思えるからしているんです、多くの場合。
本来、行動というのは、そういうものです。
走り方が、よろしくないんですって?
でも、それが自分にあっているから、そう走っちゃうんじゃないでしょうか。
食べすぎが、よろしくないんですって?
でも、いっぱい食べるのは、快感なんです。
水分をとらずに走るのは、よろしくないんですか?
でも、ノドがかわいていないんです。
バランスのよくない走りですか?
でも、意識してそうしているわけではないんです。
自然に、そうなっているだけです。
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2023/02/23747133_m-1024x768.jpg)
抑圧からの解放
「よろしくない」ことは、「負の存在」です。
そういう見方を、されています。
だから、よろしくないですよと、いわれるのですね。
でも、ホントは、ひかれている。
だから、しているんです。
いやいやしているわけじゃ、ありません。
だから、そう無理にかえなくても、いいんじゃないでしょうか。
自分のスタイルに、もっと自信をもつ。
というところに立ったら、新しい展望もひらけてきませんか。
自分には、それがいい。
ですが、さらに「もっといい」場所はないものか。
バランスのよろしくない走りですか?
ならば、その外見上のアンバランスの中に、いいバランスを宿してゆければもっと気持ちよく走れないか。
食べすぎが、よろしくないですか?
ならば、食べすぎよりもっと気持ちのよくなる食べかたをみつけてみよう。
否定から、スタートしない。
まずは、肯定。
自分を、あたたかく受けいれておく。
そして、それを伸ばす道をさがしてみる。
すると、案外、つぎに自分独自の世界がつくれてゆけそうな気がします。
人間、萎縮してロクなことはありません。
「よろしくない」という発想は、萎縮への窓口。
自分の半生をふりかえって、何が育ちの原動力になっていますか。
「よろしくないこと」が、芯になっていませんか?
正義の眼なんかに、ふりまわされて、よろけないでください。
(すいません、個人的な感想です)
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2023/02/4043514_m-1024x768.jpg)
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2018/11/76f3e759415ad1690bfae003ac05144c-e1542443258483.jpg)
好きなこと つきつめてゆく 人は気にせじ
↓ よろしければ、清き1票をお願いします(1日ワンクリック有効)
![にほんブログ村 その他スポーツブログ マラソンへ](https://b.blogmura.com/sports/marathon/88_31.gif)