云いだしっぺ
世の中は、「1対9の法則」に支配されている。
そう、あまねく、支配されている。
だから、法則です。
どのくらい、あまねいているか。
地球上の、どこへいっても、万有引力の法則が支配しています。
そのくらいに、支配している。
本当ですか?
信じる、信じないは、これからになります。
信じるものは、救われる、かどうかは、わかりません。
信じなくても、おそらく、害はないでしょう。
万有引力の法則を知らなくても、生きてゆけます。
1対9の法則も、知らなくても、生きてゆけます。
そんなノリです。
そもそも、出典が、わかりません。
どこで、見たのか、聞いたのか。
あるいは、ぼくのカンチガイか、デッチアゲか。
1対9の法則
それでは「1対9の法則」とは、どんな法則でしょうか。
私たちが、見られるのは「1」。
のこりの「9」は、見えないものでできている。
これを「1対9の法則」といいます。
どんなに、よく見ようとしても、それは10のうちの「1」まで。
全貌は、とおくおよばないものだよ、という法則です。
イメージとしては、大海に浮かぶ氷山みたいなものでしょうか。
海面に顔を出している小さな氷のかたまり。
なんだ、こんな大きさ。
ところが、水面下には、巨大な島のような氷がささえていた。
タイタニック、しちゃいます。
病院へゆくと
体調をくずして、病院へゆきます。
あるいは、ケガをして、病院の門をくぐる。
すると、現代は、たくさんの検査が可能です。
とくに、大きな病院であればあるほど。
血液検査項目は、優に数千種類をこえています。
レントゲン検査はもとより、CTとかMRIとか。
生理検査から、はては心理検査まで。
核医学検査もあります。
最終的に、目の前には、たくさんの数値、画像等の結果がそえられます。
解釈するのに、目のまわる様な情報でうめ尽くされます。
でも、です。
目の前にある結果は、全体のせいぜい「1」。
残りの「9」は、こういう形では示せません。
見ることはできない。
本当ですか?
だんだん、そんな気がしてきた、お年頃です。
もちろん、まずその「1」の解釈のお勉強は前提です。
それが読みとれないなら、はなしになりません。
でも、それだけで、すべてがわかるもんじゃありません。
むしろ、もっと、もっと奥深いところが、ひかえているはず。
それも「9」以上のボリュームをもって。
そんな気がします。
それが、人間。
「1対9の法則」おそれいります。
走りだって
いま、どのくらいの走力ですか?
ハーフは、走れるよ。
フルも、走ったよ。
自己ベストの更新中だよ。
あるいは、年々、衰えてゆくばかりだよ。
いろんな感想を、もらすことができます。
でも、です。
「1対9の法則」を考えると、これらは本当の自分の走りの「1」の部分にしかすぎないのかもしれません。
どのくらいの時間で走れるか、とか。
どのくらいの距離を走れるのか、とか。
そういう目でみられるもの、数値で示せるものは、どうがんばっても「1」なんですよ。
と、「1対9の法則」は、おっしゃるわけです。
まだまだ自分の中には、ちゃんと示すことはできない「9」がひかえている。
それを「未知数」、といっていいものです。
あるいは、「可能性」という表現ではどうでしょうか。
もっといえば、「潜在力」という表現だってできると思います。
自分の走りの「9」の部分は、数値化はできないんですよ。
そして「9」の存在に気がついたとき。
あるいは、「9」の感覚ではしれるとき。
なんだか、走りがたのしくなりませんか。
「9」をたのしむ
見えるものは、わかりやすい。
見えるものは、比較しやすい。
見えるものは、とっつきやすい。
なので、つい見える方に関心がいってしまいます。
とくに、比較は、見えるものでないと、しにくい。
なので、ついついランの世界も、見えるものが主流です。
もちろん、見えるものに夢中になるのも、たのしみ方のひとつです。
でも、それだけじゃないはず。
見えない世界の中って、どうなっているんだろう。
見えない世界って、どんだけ深いんだろうか。
そう考えてみるだけで、ワクワクしませんか。
見えないものを、感じようとすること。
見えないものを、探してみようとすること。
見えないものに、関心をもってゆくこと。
何より、見えないものの存在を信じてゆくこと。
すると、新しい世界が開けてくる気がします。
やはり「1対9の法則」は、どこでも、成り立っているんじゃないだろうか。
そんな気がするんです。
まだ、眠っている存在。
「9」の存在が、気になります。
世の中は 見えないもので できている
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