ごぞんじですか?
レジリエンス、というコトバを、ご存知でしょうか。ああ、最近は、ビニールカーテンで仕切られた向こうのアレね。
暑くなったのに、マスクにゴム手で、大変なお仕事だよね。
いえ、それは、レジスターの略です。
スーパーでのお金の精算場所、のことではありません。
そのまえに、ストレス、というコトバは、ご存知ですね。
ハンス・セリエという、カナダの生理学者が提唱された概念です。
さまざまな、心身にのしかかってくる負荷、というようなものです。
この世に、ストレスのタネは、尽きません。
毎日、毎日、よくこんなにあるもんだね。
背中で背負ってやろう、なんてしたら、すぐに腰を痛めちゃうほど重い。
部屋に閉じこめようとしたら、すぐにあふれ出しちゃうほど多い。
ストレスでいっぱいの満員電車に、意を決して乗りこむような生活。
正直、このままいったら、ストレスで押しつぶされそう。
どうしたら、いいんでしょうか。
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1本の立木
野原の中。
1本の立木がある、という光景を、おもい描いてみてください。
晴れた日には、太陽にむかって、りんと立ち尽くしています。
春には、あわい緑の葉を、いっせいにふき出します。
夏になれば、その下に、気もちのいい木陰をつくってくれます。
秋がめぐれば、紅に着色した葉が、いっせいに舞い下りてくる。
冬の雪の日は、姿をかえて、じっと重さに耐える。
四季の変化のなかで、じっと同じ場所で立ちつづける大木。
これって、じっさいには、容易なことじゃない気がします。
大雨にうたれることもあります。
焼かれるような太陽光線をあびることもあります。
いなずまの光に、ねらわれることもあります。
台風接近のなかでは、根元から、ゆすぶられることもあります。
乾燥した空っ風に、吹かれつづけることもあります。
そういうのを、木のストレス、といっていいでしょうか。
そうです、ストレスは、人間だけのものじゃないんですね。
ものいわぬ木にも、ふりかかるもの。
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レジリエンス
おおきな風にあおられて、大木が、しなる。
とはいっても、しなりつづけるわけではありません。
天気がおさまれば、もとの姿にもどってゆきます。
かしいだ木が、もとにもどろうとする力。
それを「レジリエンス」といいます。
ストレスから、回復しようというような意味でしょう。
ストレスのない、いいお天気つづき、というのはありえません。
わたしたちのくらしも、同じですね。
というより、まず、気象が最近とくにおかしくありませんか?
気象変動とか、異常気象なんてコトバが、頻発していますしね。
人間社会も、おかしさが激増してきていませんか。
社会変動や、異常現象がめだってきていませんか。
大は、地球規模の大混乱。
小は、すぐ近くの人間関係のギクシャクとか。
木、静かならんと欲すれど、風やまず、というコトバがあります。
わたしたちも、静かにくらそうと欲すれど、風がふきまくりです。
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受け
木に、レジリエンスの力がそなわっているように、ひとにもレジリエンスの力が宿っています。
ところが、レジリエンスは、気がつかないと、利用できません。
使おうとしないと、使えないようです。
申請者のみが利用できるお得クーポンみたいな顔をもつ。
レジリエンスを意識してみる。
そっと、見つけてみる。
自分には、どんなレジリエンスが宿っているのだろうか。
そうそう、けっこう、個性的なようですから。
それを、どのように利用したらいいだろうか。
自分にあわせた使い方が、大切のようです。
大きな力には、無理にさからわない。
真正面から、浴びようとしない。
ときには、じっと力がやむまで、身をかがめて待つ。
一時的には、避難所に、身をよせてもいい。
あるいは、半分の力だけつかって、真正面にむいてみる。
半分の力は、保険で、のこしておく。
目いっぱい立ち向かって、ポッキリ、折れてしまわないように。
倍返し、なんて、めっそうもない。
いつもストレスと同じ力を出そうと、力まない。
先制攻撃してやれ、なんて、いきまない。
そもそも、レジリエンスは、受け身の力なんですから。
ストレスの力を利用してこそ、生きてくるレジリエンス。
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お手本
ぼくのレジリエンスの先生は、柳の木です。
ふだんは、まったくの脱力の自然体で立っている(ように見える)。
どんな風にもさからわずに、流されてみる。
そして、いつの間にか、もとにもどっている。
弱々そうだな。
ところがどすこい、根のはり方は、どこまでも伸びています。
ですから、昔のひとは、河原のつつみなどに好んで植えました。
しっかりと根がはり、土をつかんでゆく。
大水がきても、土砂をもってゆかれない。
ランニングも、かくのごとく走れないものかな。
目には目を、じゃないけれど、力には力であがなう、のとは別。
やわらかく進んでゆきたい。
のぼり道も、ガシガシよりは、スルスルとせめてゆく。
生き方だって、そうなのかなあ。
力ずくで、きり開く、というエネルギーは、もちあわせていません。
かといって、流されるままにいる、わけでもなく。
そんなことを夢想させてくれる、レジリエンス。
いいお友だちに、なりたい。
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ふく風に どう立ち向かう レジリエンス
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