ゆく道
運動とは、からきり、エンのなかった生活。
それが、40路のメタボ街道まっしぐらの中での、思いつき。
ゆるランしよう。
以降、四半世紀がたっていました。
こんなにもつづく習慣は、食事、排泄、入浴以外はないかも。
どうしてなのか。
求めるからなんでしょうか。
快と不快でわけたら、快のほうに傾いているから。
習慣のひとつになっちゃったようです。
不快なら、つづきません。
食事、排泄、入浴、これらも同じ。
あとひとつ、大きな故障がなかったこともあります。
走りたくても、走れない故障が生じたら、無理ですから。
では、どうしたら「快」を、これからも楽しんでゆけるか。
大きな「故障」を負わないでゆけるか。
体力は、落ちる一方。
根性だけは、育たなかった。
よい条件はない中、考えたい。
選択肢
ガンバラなければならない。
そういう時代がありました。
わたしの若いころは、高度成長時代。
都会じゃ、バブルの真っ最中。
漫画やドラマも、根性ものが主役。
「24時間、はたらけますか」というメッセージがながれていました。
ところが。
やはり、というか、じきにバブルははじけてゆきます。
いまは、どうなっているんでしょうか。
ガンバラない。
そういう単純思考で、よいでしょうか。
右が行き止まったら、左にゆけばいい、っていう発想です。
別の道をさがそう、というのはいいことです。
大切な行動です。
ただし、わたくしの場合は、そうそう器用に立ちまわれません。
行き止まったら、とりあえず、立ち止まる。
ひと休み。
そして、考える。
右に行き止まったら、左にゆかねばならない道理もありません。
それに、もし左へゆきなさい、なんて誘導されたら、断っちゃうかも。
もどったって、いいんです。
もっとハッキリいってしまうと、逃げるっていう手もありです。
つらいもの
世の中には、つらいことは、いくつもあります。
ところで、何に、つらさを感じますか?
何が、つらいんでしょうか。
もう一歩、具体的に考えてみました。
わたしの場合、「させられること」がつらい。
そんな性格が、そなわっているようです。
アーしなさい。
コレにしなさい。
いろんな方面から、指示は少なくありません。
自分でも、合点のゆくものでしたら、そんな感情はわかないでしょう。
でも、合点のゆかないもの。
理不尽と感じるもの。
強制させられ感が大きいもの。
これらは、単純に「つらい」と感じてしまいます。
はい、まったく人間ができてません。
走ることが、「つらい」ととらえている方がいます。
たぶん、そこには「走らされる」という被害者意識が入っているんじゃないでしょうか。
「決められた」ノルマや記録に、ふり回される。
それが、きついし、つらい。
それって、練習の量ではないはずです。
受け身意識の感情じゃないでしょうか。
自分から
自分から、やってみよう。
そこには「やらされ感」は、ありません。
ないはず、です。
それが、自分からやってみよう、というイミだからです。
そこからスタートする行為は、みな特別な意味をもってゆきます。
大変さが、ないわけではありません。
やってみたら、思いのほか大変さに気がついた、なんてよくあります。
でも、受け止め方が、ちがってきますね。
だって、自分から、やり始めたことなんですから。
ほかのだれからの指示ではない、自分でえらんだものですから。
マラソンが楽だった、という経験は、まだありません。
走るにつれ、後半に入ってゆくにつれ、キツくなります。
正直、苦しい。
結果だって、必ずしも、走る前のイメージには届かない。
でも、自分でチャレンジしたものですから。
走らされたものではないですから。
終わってみれば、すべてが幸せ感につつまれてゆく。
単純です。
そうです、一区切りついたら「快」につつまれている。
ふだんの、朝ランも同じです。
今朝も、走ってよかった。
努力目標
だからといって、記録なんかどーでもいい、とも考えていません。
力は、出しきりたい。
走りおえたあとは、前回の大会と比較してみる。
はい、わたくしの相手は、いつも過去の自分です。
なので、同じ大会が好きになります。
前回よりも、あがれば、とってもうれしい。
さがれば、年齢相応となぐさめる。
くやしがらないのが、向上しない一因かもしれません。
といって、落ちてゆくままを傍観するつもりはありあません。
かといって、より努力をして、という発想ももてません。
できるだけ、楽に走りたい。
そうすれば、記録だって、のびるはずだ。
だって、苦しさを感じないで走れるんですから。
そこでたどりついたのが、「自然体」という世界です。
カッコよく、ゼロポジションなんて表現されることもあるようです。
ただ、自分には、そんなカッコよくは似合わない。
自然体、が好きです。
ゆっくりお花畑を散歩している気分で、走れる。
はーはーしない。
自然体走りって、どこか惹きつけるものをもっていませんか。
夜道の、小さな赤提灯みたいな。
都合が、よすぎます。
そうです。
都合がよいのが、好きなんです。
より、ムダがない。
より、合理的。
よぶんな力を使わない。
これらは、つねに「快」に結びついてゆきませんか。
生き方も、走り方も、そうありたいと願っています。
ささやかな、中高年の夢。
(若者は、努力せーよ)
走り方 求めるものは 自然体
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