新しい病気

後世に名をのこす

 

自分が死んだあとも、自分を思いだしてくれるひとがいれば、自分はのこります。

でも、自分を思いだしてくれたひともなくなれば、自分の存在は消えてゆきます。

なので、北欧のある地方では、お墓の期限を50年に定めているところがあるそうです。
50年たったら、さら地にして、新しい墓地にもどす。
踏ん切り。

地球が、お墓だらけにならないためにも、あっていい思想かなと思います。
もし、地球が、存続してゆくのであれば。

ところが、墓地はともかく、名をのこすひとも、おられます。

たとえば、文学者として名をのこす。
清少納言とか、松尾芭蕉とか。

たとえば、武将として名をのこす。
徳川家康とか、猿飛佐助とか。
ちょっと、創作が入っちゃっていますか。

 



 

医学の世界で、名をのこす

 

医療界で生きた方の中にも、名をのこされている先生がいます。

アルツハイマー先生は、今日のご老人の中にも、なかなか人気のある名前をのこされています。
ごぞんじ、アルツハイマー病。

ホジキン先生の、ホジキン病。
ホジキンのようで、ホジキンでない非ホジキン病というのもある。

パーキンソン先生の、パーキンソン病。
クッシング先生の、クッシング病。
ハンチントン先生の、ハンチントン病。

3人組だってある。
シャルコー・マリー・トゥース病。

日本人バージョンもあります。

橋本先生の、橋本病。
川崎先生の、川崎病。
高安先生の、高安病。

ご自分では意図したわけではないでしょうが、結果として、自分の名前のつく病気が誕生。
そのため、自分の名前を、後世にのこすことになります。

新しく医学の道に入ったフレッシュマンは、この名前を覚えてゆく。
これが、いがいと難敵。
知らなければ、どんな病気なのか、見当もつかない。

 



 

 

病気の発見はセンス次第

 

医学の世界に名をのこすためには、医学をきわめなくてはならない。
だって、名前が冠される先生方は、みな立派すぎます。

そう思いませんか?

いえいえ、そんなことはありません。
センスのほうが、大切なのではないでしょうか。
新しい病気を見つけた、と気づけるセンスが、です。

そう思わせたのは、瀬戸内寂聴先生の存在です。
ご存知ですよね。
尼さんにして、作家です。

寂聴先生は、88歳のとき、ご自身の中に、こんな病気を発見されました。
「わたし、死なない病気に、かかってしまったみたい」

死なない病気』です。
おお、そういうのがあったのか。
気がつきませんでした。

あわてて、ハリソン内科書を調べてみます。
索引も、めくってみます。
ない

そうです、まだ「死なない病気」というのは報告がないようです。
あるようで、だれも気がついていなかった。

いえ、それは誤解かもしれません。
その前に、宇野千代先生も、同じ病気の存在に気がついていたようです。
『私何だか死なないような気がするんですよ』
という本をだされていました。
わたくし、もっています。

でも、これを病気とはいっていませんでした。
これを、数ある病気のひとつである、と看破されたのは寂聴センセです。

一般には、いちばん最初に報告したひとの名前が尊重される世界です。
死なない病気
これを『寂聴病』というのは、いかがでしょうか。

何ですって、まだ医学論文化されていないから、認められないですって?
いるんですね、そういう発想の方が。
そういう方の世界とは、別の次元で生きているから気にしない。

 



 

 

新しい病気

 

なにか、ありませんか?
ひょっとして、自分は、こんな病気にかかってしまっている、というのが。
教えて欲しい。

「坂道をいくら登っても、ゼイハアしない病気になっちゃったみたい」
そりゃ、すごいです。
ぼくなど、立っているだけで、ゼイハア。

いったい、どうやったら、そんな病気になれるんですか?
そうです、かかってみたい病気というのもあるんです。

「マラソンの後半になるほど、スピードがのって、止められなくなっちゃう病気」
こういうのにも、かかってみたいです。
なんだか、いつもエンジンブレーキがかかっているみたいなんですもん。

「走れば走るほど、カラダが軽くなっちゃう病気」

「走るほどに、疲れが消えてっちゃう病気」

ぜひ、そういう病気のランナーさんには、正直に名乗りでていただきたい。
自分だけが、ムフフと、味わっていないでさ。
自分にも、伝染してほしい。

まあ、現実的には、病気ですからね。
「ゴールがあるのに、たどりつけない病気」
にかかちゃう方が、ありそうで、こわい。

新しい病名報告されたランナーさんには、名前をつけた病名をつけさせていただきますから。
じつに名誉

 



 

 

楽しんだもの勝ち

 

病気、といったらつらいもの。
たしかに、多くはそうです。
かかっているヒトにしかわからない、負の思いがあります。

それでもなお、です。
だからこそ、といってもいいでしょうか。

逆に、その中にも光明を見つけたい。
あかりに目を向けてみたい。
せっかくの、人生ですもの。

とくにいま、セチガライ世の中になっています。
何でも自粛しないと、非国民みたいな流れが止まりません。

自粛というのは、自分でするモノ。
強要される自粛、というのはありません。
なんて国語の基本を、あらためて確認しなくてはならないセチガラサ。
それをいうなら、強制というコトバを選びましょうね。

だからこそ、寂聴先生、千代先生をみならいたい。
死なない病気」にかかるには、まだまだ年季が足りませんけど。

せめて、ニヤリとできる病気を見つけたい。
そして、かかってみたい。
まだまだ、未知の病気はいっぱいあるはず。

新しい灯を、ともしませんか。

 



 

たーさん
まだあるぞ かかってうれしい 新病名

 

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