どや
ランニング界を、席巻するのは、若者世代です。
日本新記録をうちたてよう、という目標は、若いうちにしておきましょう。
学問も、同様です。
若さで打ちたてた成果が、つぼみをふくらませます。
花がさくのも、この時期のつぼみがあればこそ。
ノーベル賞は、年とったひとが多くありませんか?
いえ、若いころの業績が、のちに評価されているわけです。
ですので、若いひとを大切にしなくてはいけません。
では、年よりの立場はどうなるのか。
年よりのひとりとして、ときに、肩身のせまさを感じます。
いえ、そんなことありません。
いろんな世代の集合体あってこその、世間です。
ここをキチンと見直したいときは『論語』はすばらしい内容です。
年上のひとを、うやまおう。
わかってますか?
ところで、全世代を、2つにわけて考えてみました。
「中年まで」と「中年以降」です。
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若さのプログラム
人類にうめこまれた、生きるプログラムは、どこにあるでしょうか。
そうです、「遺伝子」の中に、くみこまれています。
ここに、生存指針が、入っているわけです。
遺伝子は、もって生まれた人生の設計図です。
一人ひとりに、かならず、くみこまれています。
しかも、その精巧さといったら、とても手に負えるレベルではありません。
なんて、コむつかしいことを考える必要もありません。
意識する必要もありません。
遺伝子が、勝手に、自動運転してくれちゃっています。
ですから、どういう生き方をしていても、生きてゆける。
怠惰な生活をしていても。
たくさん食べすぎる生活をしていても。
子育てに追われる生活をしていても。
24時間、働いていても、遊んでいても。
まことに、神様は、すごいものをお造りになられたものです。
ありがたい。
ただし、遺伝子パワーが守ってくれるのには、賞味期限があります。
中年まで。
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中年以降
なぜ、若者と、中年をわけるのか。
見た目が、ちがってくるから?
体力が、落ちてくるから?
いえいえ、そんな理由ではありません。
遺伝子パワーの変化がおこるからです。
遺伝子は、永遠に働きつづけてくれるものではありません。
永遠に働いてくれたなら、永遠の命をさずかることになってしまいますし。
ある時をさかいに、遺伝子の操縦方法が、変化をみせてきます。
自動に、働いてくれなくなるのです。
それは、いつか?
それが「中年の入り口」です。
中年とは、何でしょうか?
どのように、特徴付けますか?
遺伝子の自動操縦能が低下をはじめる時期です。
それが、中年のはじまり。
わたくしの、学説です。
遺伝子の自動操縦が効かなくなったら、どうなるでしょうか。
オートマチックに働いてくれないんです。
この重大な意味が、わかりますか。
ここからは、手動運転に、切りかえてゆかねばならなくなるんです。
中年以降の生き方の本質は、ここにあります。
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手動運転のキモ
若いうちは、遺伝子は、自動で働いてくれます。
ですから、自分を気づかわなくても、生活に支障はでてきません。
ところが、中年に入ると、自動には働いてくれなくなります。
手動運転になってゆきます。
では、具体的に、手動運転は、何がになうんでしょうか。
それは、「生活習慣」です。
(あくまで、わたくし個人の見解です)
中年以降の生き方の舵をとってくれるもの。
それは、しつこいですが、生活習慣です。
遺伝子から、生活習慣に、切りかわるんです。
別の表現をすれば、自動運転から、手動運転への切りかわり。
ですから、中年以降の生活を、みてみましょう。
くらしぶりが、ダイレクトに、生き方を規定していませんか。
怠惰にくらしていると、ますます怠惰に落ちてゆきます。
食べすぎていたら、本物の病気になってゆきます。
無理を重ねすぎると、カラダがこわれてしまいます。
中年前なら、どんな生活をしていても、明日のカラダは保証されていました。
遺伝子が、自動的に、操縦してくれていましたから。
中年をこすと、そんな自動操縦はなくなります。
今日のくらしぶりが、明日にでるだけ。
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生活習慣病
生活習慣病、というコトバがあります。
具体的には、たとえば、糖尿病。
たとえば、脂質異常症。
しかし、です。
この概念を、「病気」というせまい枠に閉じ込めるのは、もったいなくありませんか。
中年時代に入ると、以降は、明日のくらしは今日の生活習慣の結果、になるわけですから。
もはや「病気」ではありません。
生活そのもの、になってくるのです。
どんな人生、送っていますか、なんて抽象的な質問は不要です。
どんな生活習慣、もっていますか、で十分です。
自分の生活習慣に、着目。
ここに自分の個性が、でてきます。
朝は、どう起きるか?
起きたら、何をするか?
午前中を、どうにすごすか?
そこで、ランナー名言が、生まれてくるわけです。
「年をとったから、走れなくなるわけじゃない。
走らなくなるから、年をとるんだ」
うーん、まずは手動運転になってきたのだな、という自覚からでしょうか。
自動的な、明日の保証はなくなってきているのですよ。
ねえ、中高年諸君。
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自動から 手動になるぞ 中高年
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