試験
学校からはなれてうれしいことのひとつは、「試験」からの開放です。
いやあ、学校って、なんであんなに試験が好きなんでしょうか。
成績を評価するために、必要だからさ。
って、本当ですか。
試験をしなくても、成績は評価できませんか。
そもそも、「成績」って、なんでしょうか。
伝えたいことを、イメージできるように伝える(先生側)。
その中から、ひびくものを受けとる(生徒側)。
本来、受け手は、さまざまな「受けとり方」をします。
自分の関心の深さ。
興味。
人生や経験レベル。
みな、ちがうからです。
そういう、ひとりひとりがちがう「受けとり方」をするものを、ひとつの尺度ではかろうとするもの。
それが、試験なんですけど。
資格試験のような、一定の知識や技術の到達度をみるのには、使えそうですが。
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いいかげん
不肖このわたくしも、これまで、いろんな学校で教える経験をもってきました。
いやはや、ですが。
授業は、たのしいです。
思わぬリアクションには、こちらも勉強になります。
ちがった見方や認識に、オノレの見識のせまさを発見できますし。
ただし、最後には「試験をしてくださいね」。
これは、どこでもいわれます。
「そんなの、いいんじゃないの」というワガママは通用しません。
それにくわえて、「模範回答」をつけてください、という注文もきます。
「模範」だってよ。
「えっ、模範って、どこにあるの?」
と、わたくしの方から、聞きたいくらいです。
なにせ、わたくし「模範」の一片も、持ちあわせていませんから。
なので、試験形式は「記述式」に流れてゆきます。
「何を書いても、いいからね」
「何も書かない、というのも自由だけど、ガッコーの目もあるから、とりあえず何か書いてね」
そうはいっても、だいたいが、真面目な内容になってきます。
それから、感想文も、注文します。
感想だったら、知識がなくても、なんとかなりますし。
感想というのは、マラソンの完走に似て、勲章です。
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自分自身問題
試験について。
結局たどりついたのは、「正解」って何なの?という疑問です。
正解というのは、文字通り、「正しい」答えです。
じゃあ、何をもって「正しい」のでしょうか。
仕事にしたって、しかり。
ランニングにしたって、しかり。
単純と思われる「1+1=?」問題だって、そうです。
答えは「2」に決まっていません。
たとえば、20℃の水に、20℃の水を加えたって、フロはわきません。
正解は、思考停止にむすびつきやすい。
病気の治療に、これならゼッタイ正解、というものはありません。
ヒトによって、ちがう反応がありますから。
真逆のことだってある。
むしろ、正解といわれるものの方があやしい、というのも少なくありません。
(個人的感想)
正解っていうけど、ウソじゃん。
こういうものが、世の中には、ゴマンとある。
正解といわれたものが、180度ちがう、なんて日常茶飯事ですものね。
走り方だって、例外じゃないでしょう。
こういう走り方が「正しい」走り方。
こういう情報が、まだ流れてきます。
むかしは、そういうモノを信じていたこともありましたが。
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わが辞書に、正解なし
ナポレオン風の発想です。
ナポレオンの辞書には、「不可能」はなかったようです。
この真似をさせていただきます。
わたしの辞書に「正解」はない。
あるとすれば、「仮説」です。
仮の到達点。
ここを、ひとつの目標としてみようか。
でも、完全じゃないんだよな。
たぶん、ちがう道だってあるだろうし。
といっても、仮説、仮説とばかり口にするのは、どうでしょう。
なんとなく、景気がわるい。
せっかく口にするんだったら、もっと、あたたかいのがいい。
「仮」というのが、落ちつきがない感じですから。
そこで考えたのが「おとしどころ」というコトバです。
なんとなく、おさまりもいいような。
まったく個人的な感覚ですけど。
「おとしどころ」は、「正解」とはニュアンスがちがいます。
ドッシリ感は、少ない。
腰の軽さがある。
ということは、絶対感的イメージから、離れられますから。
何かをさがしてゆく。
そうそう、真理なんてものには、たどりつけない。
でも、とりあえずの「おとしどころ」なら、なんとかなりそう。
ちょっと、落ちつける。
そして、いざとなったら、さっと移動もできる。
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おとしどころ満載
ランニングで、考えてみます。
カラダが動く感覚の、おとしどころ。
呼吸の仕方の、おとしどころ。
カラダがすすむ感覚の、おとしどころ。
ボーッとしたアタマで、ぼんやりと考えながら、走ってみる。
すると、これはいい「発見」じゃないか、というのに出会うことがあります。
そういうときって、うれしい。
といって、そうそう鮮明でもない。
夢と同じで、ハッと気がついたときには忘れていることもしばしば。
あれ、ナニを感じていたんだっけ?
夢は、毎日、寝ればみるものらしいです。
でも、そのほとんどは、目覚めのときには消去されています。
ほとんどが、リセットされて、目がさめる。
まれに、夢をみていたな、という感じで目覚めることもあります。
といって、それもすぐに忘却へ。
同じように、走っているときに感じたいい感じの「おとしどころ」。
夢みたいに、走りおえると消えてしまうのがほとんどです。
その中で、印象深いものは、残ってくる。
そういうものを集めてゆくのも、走りの楽しみですね。
自分の走りの。
おとしどころの集まりが、自分の「宝物」です。
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こだわらず おとしどころで ひとやすみ
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