時代の流れ
若き発育期は、たのもしい。
とくに、「自分の子」という制約から開放されてからは。
なにしろ、これからの人類の主役たちです。
人類の、いちばんの希望の星です。
といっても、ふだんは、そうそうお付き合いはありません。
が、じつは中学校の校医さんをしています。
くわえて、今年度からこども園も。
というところで、ちょっとかわったお付き合いをさせていただいています。
そこで、気になることもあります。
自分たちのころと、ずいぶんちがっているな。
ちがいが、ドーノコーノと騒ぎたてるつもりはありません。
時代の流れというのは、必然ですから。
くわえて、生活環境の変化もいちじるしいですし。
変わってゆくのは、あたりまえです。
骨董品の自分に、文句はありません。
でも、なかなか看過できないところも目につきます。
それは、走り方まで考えちゃいます。
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発育期の本質
発育期の本質は、いがいとシンプルです。
おおきな力で、グングンと発育してゆく時期。
1本の木にたとえてみます。
幹は、しっかりと太く、背丈は天をむざすかのごとく伸びてゆく。
そして、四方に枝を広げてゆきます。
成長の差は、もちろんあります。
枝ぶりにいたっては、同じものは1本たりともありません。
そして、木の種類だって、さまざまです。
ケヤキがあれば、ヒノキも杉も梅の木も。
人間の発育も、本質的なところでは、変わりはないのではないでしょうか。
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気になること
まずは、グングンのびてゆこう。
だったら、それを見守ってゆけばいいじゃないか。
というのが、わたしの考えでした。
ところが、いまの世の中は、そうじゃなくなってきていませんか。
発育がはじまったとたん、「カタ」にはめこんでゆこう、と。
発育を、「カタ」の中ですすませようという風潮。
わたくしの子ども時代、野球(もどき)に夢中になったときがあります。
もどき、というのは、正式な野球になれなかったから。
ゴムボール。
竹やぶから切って作った竹バット。
道具は、それだけ。
グローブなんて、なし。
足もとは、ゾーリやハダシの場合も。
それだけで、広場では、真っ暗になるまでボールを追いかけていました。
その場に、おとななんて、だれもいません。
子どもだけの世界。
いまの少年野球の世界はさま変わりです。
装備は、グローブからユニフォームから、スパイクまで。
そして何より、コーチとか監督と称するオトナの参入。
お茶やオヤツを用意して、見守る親まで。
ミニプロ野球、といってもいいような布陣です。
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カタ
カタ、カタ、カタ。
風にゆれる雨戸のきしみなどを表現するオノマトべ。
同時に、発育期の子をかこいこむ包囲網にもなっています。
カタが大事です。
野球なら、野球のカタ。
サッカーには、サッカーのカタ。
学校の授業は、授業をウケるカタ。
休み時間のすごし方のカタ。
登下校のカタ。
学校帰りに遠回りをして、山の崖斜面であそぶ、なんて姿はみられなくなりました。
カタの良し悪し、をここでは論じません。
カタについては、もう少し時代が成長したあとに考えたい。
発育期のカタで一番気になるのは、カタにはまるか、はまらぬか問題。
いまのオトナたちは、カタ作りが好きです。
人間を、カタにはめて、見たがる。
というより、カタを通してじゃないと、見られない。
とくに、カタにはまった人間ほど。
そこでです。
カタにはまらない子を、どう見るか。
どのようにあつかうか。
決して、よくは見ていません。
カタが正解、正常、とでも思っているからでしょう。
カタにはまらぬ子は、カタはずれ、に分類されてしまいます。
あろうことか、それを「病気」とまで考えるオトナがいます。
そういうオマエこそ、危険なんじゃないかと。
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抵抗
木は、成長や枝ぶりを「カタ」にはめて育ちません。
人間だって、同じです。
同じ生きものなんですから。
わたくし、個人的に、そういう「カタ」の押し付けが受け入れられません。
ましてや、「カタ」にはまらぬ子への差別なんて、おかしくないか。
カタが、何もんなんですか。
雑木林に入れば、いろんな木があります。
いろんな伸びかたがあります。
いろんな枝ぶりがあります。
木だけじゃなく、ツタや草やキノコもある。
本来の人間社会も、雑木林でした。
いまは、同じ規格、ピッしりした枝切り、下草狩りの杉林のようです。
同じ木しかない山は、もろい。
人間社会も、同じカタのヒトだけは、もろい。
せめて、発育期の世界だけでも、雑木林にならないかなあ。
ちびっ子の走り方は、よくみると多彩です。
でも、不思議とカラダにあった走り方になっています。
だったら、そのままカラダに合わせた走り方でいいんじゃないでしょうか。
無理に「カタ」にはめこもうとしなくても。
まだ、大きな変化の途中なんだから。
発育期の世界から、「カタ」をひとつずつ解放してやれないかな。
小さな抵抗です。
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思う存分 育ってこその 発育期
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