人生は、長し
人生を、おおきく「3期」にわけてみたら、いかがでしょうか。
おおざっぱにみて、人生、このくらいの区分はできそうです。
また、必要かもしれません。
その区分に応じた生き方がある。
というのは、その区分固有の「カラダとココロのあり方」があるからです。
その区分のあり方に応じて、生き方が反映される。
もちろん、ここには「走り方」もふくまれますが。
こういう感慨は、人生の最終段階まできて、感じるものでしょうか。
わかいころは、こんなこと考えられません。
わたくし、十分、その区分に入ってきたということです。
あれっ、「3期」ですか。
きょうの表題は、「5期」になってますけど。
はい、承知しています。
「3期」にわかれる、といっても、いきなり切り替えられるわけじゃありません。
なにしろ、生き方の切り替えです。
ポイントを、ポンと切り替えれば、新しいステージに移れる。
そんなもんじゃありません。
切り替えには「時間」と「手間」がかかる。
それが、人生です。
そして人生の醍醐味は、その切り替えどきにある、ともいえます。
くわえて、この切り替えに手間取ると、つぎのステージへの移行もたいへんになります。
つまり、切り替えといっても、単純にはすまないということです。
何年もかかる。
その切り替えてゆく期間も、ひとつの「区間」になります。
つまり、3つの区切りを切り替える「2つ」の切り替えも、ひとつの区間。
それらをあわせると「5つ」の区間になります。
つまり人生は、5つのステージがある。
ひとつ、ひとつが、最初は初心者ではじまります。
人生の基本3期
生まれてから、グングンと育ってゆく時期。これが人生の最初の区間(ステージ)です。
カラダもココロも、グングンと変化してゆきます。
発育の時期ですから、そのまま「発育期」とよんでみます。
この時期、遺伝子は「成長」の指示をだしています。
そのため、変化もいちじるしいです。
たとえば、身長。
「きのう」よりも「今日」の方が、のびている。
つぎは、いわゆる「大人」の時期です。
カラダの発育は、休みになります。
発育は、身長の変化で、判断します。
体重は、ドンドン発育つづけてまっせ。
いえ、それを発育とはいいません。
食べすぎの反映だけです。
この時期は、「成長」に対して、「安定」が特徴です。
カラダへの変化が少ない。
すなわち、「きのう」と同じ「今日」がくる。
安定しているので、自分に気をかけなくても、同じ「明日」がきてくれます。
大人の特徴です。
この時期を「壮年期」としましょう。
そして次が、いわゆる「老い」をかかえる時期です。
「老年期」といいましょう。
老年期に入ると、壮年期の「安定」がなくなってゆきます。
「変化」が身近になってゆきます。
同級生がもっとも多彩になるのが「老年期」です。
バリバリ風がいる一方で、寝たきりまで。
発育期と壮年期をつなぐ区分
木が枝を四方にのばしてゆく、変化の「発育期」。
発育の手を止めて、きのうと同じ今日をむかえる安定の「壮年期」。
この両者の切り替えが、必要になってゆきます。
ところが、この切り替えはいがいとむつかしい。
だって、生き方の大変化をうながす区間ですから。
思う存分、好きな方向へグングンのびていたものを、まとめはじめる。
ダイナミックな変化を、一定の「ワク」へ納めてゆく。
それが壮年期の特徴ですから。
キュークツになりそう。
そうです。
このキュークツ化に翻弄される時期。
この切り替え区間を「思春期」とよびましょう。
でも、ここを通りこさないと、安定の大人デビューがむつかしくなるんです。
壮年期と老年期をつなぐ区分
安定感がつづく壮年期。
そんなことはない、といわれても、人生という期間の中では、一番安定感があるんです。
ですから、自分のことはかまわなくても、生きてゆける。
だって、自分のことにかまっていられない時期でもあるんですから。
子育て。
社会の中枢。
自分のことはかまわずに、ヒトに、社会に奉仕しよう。
神様の指示であり、そのためにちゃんと安定感を授けていただけたんです。
(この世代が政治の中心をになっている国は、安定感がありますね)。
といって、「生身」の人間です。
安定感が、一生つづけられるのはむつかしいです。
何しろ、人間は寿命をもつ生きものですから。
安定のカラダに、変化がみられてくる。
変化がでてきたら、どうしたらよいでしょうか。
こんどは、自分で気づいて、手当をはじめなくちゃいけません。
そういう安定感がつづかない時期が、やがてくる。
それを「更年期」とよびましょう。
壮年期の安定性は、いうなれば心身の「自動運転」です。
勝手に、操作をしてくれてもらえる時期です。
ワクにはまっているからこその恩恵です。
その自動運転装置が働かなくなってきたな。
そう感じる区間のことです。
これからは、自分で運転をしないと、生きてゆけなくなるぞ。
そういう切り替えの区間です。
そこをうまく切り替えられて、老年期がまっていてくれます。
人生の「期」を生きる
発育期は、グングンとのびる時期。
思春期は、発育期から壮年期への切り替え時期。
つまり、生き方の「ワク作り」の時期。
壮年期は、人生の安定期(自動運転期)。
更年期は、壮年期から老年期への切り替えの時期。
つまり、自動運転から、手動運転を覚える時期。
老年期は、開放気。
自由のかわりに、すべては自分で運転しなくちゃならない時期。
人生というのは、そんな風にかわってゆくのではないか。
すべてのステージを経験してえた、わたくしの感想です。
ふり返ってみると、わたしの思春期は、「ワク」にはまりたくなくて、遠回りをしました。
仕事も、ランも、無理がきいた壮年期は、そういうしくみだったからなのでしょう。
更年期は、大きなポイント切り替えがまっていました。
そして大胆な切り替えに挑戦もしてみました。
そして「老年期」となった今。
まだ手動運転に慣れていません。
右往左往の日々。
人生の大先輩たちも、こんな風に生きてきたのかな?
うまく区分のバトンタッチができればいいな。
人生は 5つの区分の 乗り換え路
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