病名から、状態へ

レッテル

 

ビンの外にはられた、内容説明の紙。
これを、レッテルといいます。
レッテルには、中身の情報がのっています。

便利なシステムです。
ただ、中身のすべてをあらわしているわけではありません。
ときには、中身とは微妙にマッチングしないのもあります。
あざとく、中身をごまかすものまである。

ビンの説明だけではありません。
ときに、人間のオデコに、ペッタンコとレッテルがはられることがあります。
キョンシー風、中身説明書。

ビンよりも、人間にほうが、往々にして複雑です。
レッテルだけで、内容説明ができるでしょうか。

ところが、しばしば、レッテルで人間もわかったように扱われることがあります。
いつの間にか、何枚ものレッテルが、オデコにはられることも。

タイダな、おっさん。
走らせると、チョー遅いヤツ。
わたしのオデコにも、いろいろはられています。

人間のレッテル。
使い物になるんでしょうか?

 



 

病名とレッテル

 

病名というのは、立派な存在です。
何だかわからない症状、というのは、ココロも不安にさせます。

そこで「病名」がつく。
すると、ひと区切りができるんですね。

そこからは、病名にむかって立ちむかえばよいのですから。
方向性が決まる、ということです。
もちろん、その方向性が険しいこともあります。
でも病名がつかずに迷子でさまよっているより、ナンボか心強い。

社会的にも、病名がつくことで、認知もされます。
この病気なら、休んでもしかたがない。
この病気なら、きちんと補償をしてゆきますよ。

かくして、病名がつけられない医者は、肩身がせまくなります。
というからなのか、新しい病気が、次からつぎへと生まれています。

とりあえずビールから、のノリで、とりあえず病名。
つまり、診断です。

でもこの病名が、ときにレッテルになっていることもあります。

 



 

レッテルという型

 

たとえば、足底腱膜炎

ランナーにとって、なじみの深い病名のひとつです。
走ると、アシの裏が、切られるように痛い。

どのくらいの痛みでしょうか。
とても走りを楽しめない痛みです。
なので、生命にはかかわらなくても、ツライ。

なぜ痛むのでしょうか。
それは、足底腱膜炎だからです。
病名がつくことで、ひと区切りがくちます。
そして、つぎの1歩がはじまります。

教科書的な、この病名への対処法があります。
これは、足底腱膜への負担が強すぎるための症状です。

ですから、クツの工夫をしましょう。
とくに、クツ底の工夫がおすすめ。
そして、時間が大切。
じっくり、つきあってゆきましょう。
あまりにつらいときは、痛み止めもあります。

とりあつかい説明書ですか。
病名や診断は、ひとつの「型」をつくっています。
なんだか、レッテルみたい。

そして、こわいのは、ここで思考停止になることです。

 



 

生命の基本原理

 

ヒトのカラダは、おかれた状況の中で、つねに「よい方向」へ向かっている。

こんな、けったいなことをいっているヒトもいますが。
よい方向って、どこですか。
キツネにつままれたような、手ごたえのなさ。

まあ、ゆっくり感じてみましょう。

痛い方向と、痛くない方向の、どちらが好きですか?
わたしは、痛くない方向を望みます。
あくまで、個人的な感想です。
いちがいには、決めつけません。

では、痛くない方向って、どっちでしょうか。
カラダは、知っているんですかね。
聞いてみましょう。

ハダシで、立ってみます。
まず、人工物ぬきに、人間本来の姿から、スタートしてみます。

立つだけなら、痛くない。
じゃあ、ゆっくり歩いてみる。
これも、痛まない。

少し、小走り。
すると、ジュキンと痛む。

ならば、痛くないように歩いてみよう。
外に出るなら、ハダシ感覚のウス底のハキモノで。
だって、カラダに聞くんだから、感覚は本来の姿を優先。

 



 

状態で考える

 

ハダシ感覚
それで、痛みを感じないように歩く。
歩く。
歩く。

すこし、はやめに歩いてみる。
はやめ。
はやめ。

痛くないな。
これで20〜30分も歩けるなら、すごいことだな。

じゃあ、もうすこし、はやめてみよう。
すると、少し、走りが入ってくる。
チョーおそい走り。
小走り。
これなら、痛みを感じない。

ならば、そのまま走ってみる。
ゆっくり。
痛みがでないように。

これをつづけていると、走りがかわってくる。
あれあれ、痛くない走りになってるじゃん。

どうして、痛まないのかな。
逆に、どうすると、痛みがでてくるんだろうか。

カラダは、問いかければ、ちゃんと答えてくれます。
コトバにならなくても、感覚として。

こんな「状態」で、すこし走ってゆこう。
このとき、病名というは、アタマから消えているかもしれません。

カラダの導いてくれるままに。

病名というレッテルで、「囲い」をつくらない。
レッテルで、思考停止におちいらない。

コレならいい、ココまではいい。
いい状態をみつけて、自分の道をつくってゆく。
いい方向性を、さぐってゆく。

まず1歩。
状態で考え、感じるクセをつけると、道が見つけやすくなるかも。

 



 

 

たーさん
レッテルで 感性閉ざさず 感じよう

 

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