旅とランニング

旅の魅力

 

旅のよさ、をあげるとしたら、何を考えますか?

名所めぐり。
グルメ三昧。
新しい出会い。
非日常。

ふだんの生活とは、ちょっとちがった体験。
たまには、そういう時間を楽しみたいです。

いろんな旅をしてみたい。
これまでにない体験をもってみたい。
すてきな思い出をつくってゆきたい。

ここで「あー、いい旅だったね」というために、ひとつ忘れてはならないものがあります。
それは、帰ってくる場所がある、ということです。

 



 

帰る旅

 

帰れるから
旅は楽しいのであり
旅の寂しさを楽しめるのも
わが家にいつかは戻れるからである
だから駅前のしょっからいラーメンがうまかったり
どこにもあるコケシの店をのぞいて
おみやげを探したりする

そうです、忘れていました。
帰ってくるところがあるから、旅は楽しめる。

この詩は、高見順さんの詩集『死の淵より』の中の「帰る旅」の冒頭部分です。

高見順さんも、旅をしました。
大学病院へ、です。
そこで食道がんの手術を受けました。
当時、食道がんの治療成績は、とてもきびしかった。

ある意味、死を覚悟しなくてはならない病気。
そんななかで、書かれたのがこの詩集です。

 



 

帰るところがある

 

旅の魅力はつきませんが、それも「ただいま」と帰れるところがあるから。

高見順さんにとって、この旅は、もう帰ってゆくところはなくなるのかな、という思いが重なっていました。
そんな気持ちでしたためられた詩を集めたのが詩集『死の淵より』です。

そして、じっさいにこの詩集が出版された翌年、高見さんは死の世界へと旅立ちました。

いくつもの心うつ詩がおさめられています。
まだ生きてゆけること、の幸せをかみしめられる詩集です。

帰ってゆくところのある幸せ。

 



 

帰る旅、ふたたび

 

ランニングは、特別。

世に散歩を楽しまれる方は、たくさんいます。
日課として、あるいは健康維持のため、あるいは気持ちのハリが出るから、と目的はさまざまです。
散歩をすることに、異をとなえるひと、目くじらを立てるひとは、いません。
立派に市民権を獲得しています。

一方、ランニングはどうでしょうか。
みんなが賞賛しているわけではありません。
そのリスクを指摘したり、負担に警鐘をならす方は、なくなりません。
走るのはよくないよ派のひとは、一定割合います。

旅と同じですか。
旅も、内容によっては、なんらかの危険がともなうことがあります。

でも、それを知りつつ楽しむ。
悪いほうばかり見たり、見せられていたら、気持ちも落ちこんでしまいます。

だってある。
ずっとずっと、比べようもないキラキラ輝く光がある。
ああ、やっぱり旅と同じだ。

 



 

帰れない旅

 

旅の最終目的は、帰ってくること。
ランニングだって同じ。

レースの場合、とくにこの最終目的が鮮明になります。
最終目的は、ゴールラインまで帰ってくること。
ゴールのないレース、というのは、たぶんないでしょうから。

ところが、です。
レースとなると、ときに目的地到着がむつかしくなることがあります。

つまりですね、マラソンレースにおける高見順現象、といってもいいでしょうか。
こんな表現は、誤解をうけちゃうかな。

難易度の高いレースになると、スタートをいっしょにした同士のなかの半分しか目的地をふめない、なんてものもあるからです。

毎年、毎年、ゴールを目指して出場しているのに、年々ゴールが遠くなる
そうつぶやく、80歳台のランナーの方を知っています。

そうか、ここでランニングは詩とちがってくるのだ。
「帰れるから
旅はたのしい」
「帰れなくても
ランニングは楽しい」

帰れないことが、さらなるモチベーションアップにつながる、こともあるんだよ。
ネバー・ギブアップ

 

 

たーさん
旅路への 思いをのせた ランニング

 

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