ギアを忘れない
自動車には、「ギア」という機構があります。
つく場所は、エンジンとタイヤをつなぐ動力部分です。
ギアの切りかえで、エンジンとタイヤの働き方の調整をおこなっています。
強い力がでるが、スピードはだせない低速ギア。
逆に、力はだしにくいが、スピードはだせる高速ギア。
その中間の性質をもつ、いくつかの段階の中速ギア。
ムカシの自動車は、このギアの切りかえは「手動」でした。
つまり、運転手がいちいち切りかえながらの操作が必要です。
この操作を「ギアチャエンジ」とか「シフトチェンジ」とかいいました。
まずスタート時は、力が必要なので、低速ギアで発進。
スピードがのってきたら、順次、中速ギアに切りかえ。
たいらな道を、ビュンビュンゆくには、高速ギアへ。
くわえて、くだり坂、のぼり道、あれた道などの道路状況にあわせて、ギアも切りかえ。
わたくしが車の教習所でならった車のギアは、ハンドルの横についていました。
ひとむかし前まで、タクシーでよく見かけたアレです。
初めての体験で、なかなかうまく使いこなせませんでした。
ギアの切りかえが遅れると、エンストしてしまいます。
エンスト、つまり、エンジンストップ。
苦労して、ギア操作も習得して、無事に運転免許証をいただきました。
以後、一度だって、旧タクシー式のギアに触れたことはありません。
あんなタイプの車は、一般車には皆無となっていました。
なんちゅー、教習所だったんでしょうか。
いまは、ギアの切りかえは自動の「オートマチック車」が主流です。
とはいえ、ギアの切りかえは必要です。
ただそれが、自動になった、というだけです。
もっとも、モーター自動車は、そういう機構じゃなくなってきているとか。
人生のギア
路面やスピードにあわせて、ギアを切りかえてすすむ。
車であれば、あたり前のことです。
そして、この機構は、車だけの「専売」でしょうか。
もしかしたら、人生にも大切な機序ではありますまいか。
生きかたの「ギア」をかえる。
なにしろ、人生は、つねに動いています。
カラダ(ボディ)だって、変化しつづけています。
わたしの場合は、衰えつづけている。
そこを、ずっと同じギアで走ろうとしたら、無理が生じてしまいます。
人間だって、エンストがある。
そこにギアの選択まちがいはなかったか。
社会だって、政治だって、例のアレだって、ギアチェンジはいつも必要なんです、本当は。
ギアチェンジのできない、ニブいヒトは、これらの責任者になってもらいたくない。
資格がありません。
わたくしの場合
個人的なことですみませんが、わたくし、立派な高齢者です。
いままで、中高年世代と、お茶をにごしてきました。
そこから、いよいよ本格的に「中」がとれました。
小中の同級生たちも、続々と定年退職しています。
会っても、遊びの話じゃなくて、健康問題と介護問題ばかり。
くる郵便物は、年金関係ばかり。
ギアの、大ナタ切りかえどきなんでしょうか。
さいわい、仕事はもう少しできそうです。
といって、わが身への要求が変わってきているのを感じています。
ここにも、ギアチェンジが必要です。
どんな要求が、ふえてきているのか。
ひとつは「痛み」問題です。
もうひとつが「動き」問題です。
痛みがなんとかならないか。
動きにくくなったカラダを、もう少し何とかならんか。
こういうのは、糖尿病や血圧の数値をよくしたい、というのとは次元のちがう要求です。
ここに、もっと真正面から、向きあってみたい。
マラソンだって、ギアチェンジ
同じペースで走りつづける。
よい子のランニングペースのひとつ、といわれています。
それが効率的で、いい結果がだせる走り方ですよ。
ですから、そういうクンレンは有用です。
ところが、わたくしには、なかなか難問です。
できないお年頃、といってもいいでしょうか。
ペースの相棒には、腕時計がたのみの綱になります。
そういう活用法が、すばらしい。
そういう使い方を、してみたいです。
ところが、わが現実は、いちばん時計にたよるのは、関門時間突入への残り時間確認のためです。
ですから、関門時間のチェックには、気をつかっています。
走り自体は、気持ち優先。
気持ちよければ、スイスイとゆく。
きつくなったら、ギアをおとす。
いつまでも、高速ギアでは、ひっぱれません。
ひっぱれる時間となると、ウルトラマンと同じくらいでしょうか。
それでも、これからも、ギアをうまく切りかえながら、走りはたのしみたい。
ブログも、ギアチェンジ
この『飛脚走り』というブログ。
とってもありがたいことに、目をとおしていただける方がおります。
あらためて、感謝いたします。
その存在をはげみに、いつからか、週2回(月・金)の更新をつづけてきました。
それを、今後は、原則週1回(金曜日)にギアチェンジさせていただきたいと、思います。
その時間を、さらにいろんなことに首を突っこんでゆきたい。
方向性に、変更はありません。
というか、変化できるほどの器用さは、もちあわせていません。
これからも、わたくしの立場、つまりは少数派の視点でつづってゆきます。
いえ、べつに好きで「少数派」を目ざしているわけではありません。
自分で、考えてみる。
自分で、感じてみる。
その結果が、なぜが多くが「少数派」とよばれるくくりに入ってしまっただけです。
権力がすすめるから、賛同する。
マスコミがすすめるから、のってゆく。
そういう道だけには入ってゆくまい、という決心だけです。
ひきつづき、おつきあいいただけますとうれしいです。
新たなギアチェンジ宣言です。
ギアチェンジ しながら 生きてゆく
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