わからないモノ
日々、わからないモノに直面しています。
人格の、なせるワザでしょうか。
何となくは、わかりそう。
でも、どれも決め手に欠くなあ。
ということで、迷うモノも少なくありません。
迷うモノへの直面も、日常茶飯事です。
世の中は、わからないモノと、迷うモノからできている。
そんな気になってしまうほどです。
これは、わたくしひとりの実感でしょうか。
ずいぶんと、世間から、とり残されていますから。
なにしろ、世間のスピードは、はやい。
わからないモノなんか、ないよ。
迷うなんて、優柔不断じゃないですか。
いまは、ポチッとすれば、答えなんかたやすく出会えるのに。
そうなんでしょうか。
そういう中にあって、時代に取り残されたヒト、という存在。
でも、正直にもうし上げます。
わかりません。
迷います。
そんなこと、ばかり。
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わからないとき
では、わからないモノに出会ったら、どうしましょうか。
ウヘヘ、と笑ってごまかせるほど、世の中は安泰ではなさそうですし。
気持ちも、よくない。
わたくしの場合、選択肢をつくってゆく、というのはアリです。
1番、コーかもしれない。
2番、アーかもしれない。
3番、もう少し、時間がほしい。
4番、調べ先のリストをつくろう。
5番、とりあえず、今日は、はやく寝よう。
6番、わからないリストに、入れておこう(もう満杯だっちゅーの)。
あらためて見直すと、バランスとして「逃げ」の方が圧倒的です。
いやはや、我がことながら、ココロザシの低さよ。
その程度の、人間ということです。
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強気もの
ときに、世のヒトは、こんなとき、どうしているのでしょうか。
たとえば、いまの話題のひとつとして、例のウイルス感染症があります。
毎日、何らから話題にでてくるやつ。
テレビでも、新聞でも、でてくるやつ。
わたくし、よくわかりません、これも。
でも、そう思っているのは、例外なんでしょうか。
なにしろ、選択肢がでてきません。
ズバッと、決め打ちされちゃってますから。
みなさん、わかっていらっしゃる。
夜の8時に、なんとか、かんとかすればいい。
全員の口には、なんとか、かんとかすればいい。
消毒、消毒、消毒。
もう、決め打ちです。
8時に閉めたら、どーなるの?
これが9時だったら、どーなるの?
しなかったら、どーなるの?
どこを閉めたから、どーなるか?
どこを閉めなかったら、どーなるのか?
そういうことが、気になります。
選択肢を考えたら、いくらでも、出せちゃいます。
そして、比較してみたい。
でも、実際には、出てきません。
迷っていないんですね。
さすが、エライひとが、世の中にはいるもんだ。
でも、それで検証できているんでしょうか。
一本気の強気も、いいですけれど。
ときにそれは、場当たり的、にもなりかねませんか。
わたくしには、とっても無理。
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走りの選択
ま、話題を感染症に、もってゆく気はありません。
ついてゆけませんので。
走り、についてです。
走るのは、単純です。
みな、モノ心つく前から、走っていたわけですし。
だれかに、教えてもらったでしょうか。
いいえ、教えてもらっていません。
迷ったこともない。
こういうのを、本能といっていいでしょうか。
ところが、そんな走りも、歳とともに変化します。
「変化する」というのは、カッコをつけた表現です。
ホンネをいうと「サビついてゆく」というのが正直な感想。
いまや、十分に「本能」ではなくなっています。
不自然、とまでは、認めたくはありませんが。
もともと、教えてもらったものではない走り。
それは、いまも変わってはいません。
教えてもらえる環境もありませんし。
でも、これは幸せなのかもしれません。
不運なのかもしれませんけど。
どっちにせよ、ヒトリで走っていることに、変わりはありません。
走りながら、ときどき考えています。
ボオッっと、走っているあいだの、わずかな瞬間。
そのボオッと走りの最中、または無意識の走りの中。
自分の歩幅は、どうなっているんだろう。
少し、伸ばしたら、どうなるだろう。
逆に、縮めたら、どうなるだろう。
なんてことを、考えついて、使い分けてみる。
それこそ、選択肢1、2、3と作ってみて、ですね。
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ひらめき
自分で、さまざまな場面の選択肢をつくってみる。
気持ちよく走れているとき。
スピードにのっているとき(めったにない)。
のぼり坂のとき。
きついとき。
風の強い日。
そのなかで、いろんな「試し」をしてみる。
おお、コレ、いいかも。
これは、ボツ。
自分の世界に浸りこんで、ついニヤニヤ。
あぶないランナー。
決まっていること。
定説として語られていること。
そういうのにも、あえて選択肢をつくってみる。
無理やりでも、こじつけでも。
ええ、そうなるか?
そんな場面に出会えると、もう最高にいい気分です。
選択肢をつくる作業は、わくわく。
くわえて、実際に比較できる幸せ。
ランニングは、理屈ではなく、自分の実践ですから。
いまの自分の走りは、そういう渦中のものです。
でも現実は、答えのしぼれないのも多数。
「オナカが痛いんですけど」
「うーん、可能性として、選択肢1、2、3‥」
結論、大きなところにお願い。
後日、まったく選択肢にかぶっていなかった。
いやはや、選択肢の可能性と幅は、限りなく広い(苦笑)。
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ふえるほど 花開いてゆく 選択肢
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