先天の生命力『腎』

5行説

 

生きるスベのほとんどを、自分(たち)で責任をもたねばならない時代。
人類の歴史のほとんどは、すべて、こうでした。

食べものは、容易に手に入る。
移動手段は、いろいろある。
通信手段だって、こまらない。
家の中は、快適、海温。
調子が悪くなったら、病院へ。

こんな時代は、ごくごく最近だけです。

人間も、ずっとずっと、野生動物のひとりでした。
そんななか、どうにして生き抜いていったのでしょうか。
人間は、決して、強い存在ではありません。

強くはありませんが、さいわいに「コトバ」をもつようになります。
知恵の共有が、できるようになる。
知恵の伝承が、できるようになる。
すぐれたものは、語りつがれ、蓄積されてゆきます。

東洋の世界では、そのひとつとして「5行説」が成立してゆきます。
人体の生理機能を、「腎・脾・肝・肺・心」の5つに、わけてとらえる。

 



 

先天の本(ほん)

 

先天的にそなわった生命力。
そして、その後の命をささえる原動力。
これが尽きると、死にいたるもの。
つまり、生命力そのもの。

この機能を、古人は、「」と称しました。
そして、腎のそなわる人体の場所は、腰の上。
ここで生命力を、支えつづけているのだと。

生まれもった生命力なので、これを「先天の本(ほん)」といいます。

生命力をやどす力を「」といおう。
このミナモトは、腰の上にある、とみたのです。

古人は、腰の上に、生命力の根元を感じとったのです。
生まれて、オンぎゃーと泣ける力は、腎があるから。
ハイハイから、立って育つのも、腎の力。
その後の一生を支えるのも、腎。
そして、腎の力がおとろえたとき、命の終焉をむかえる。

まさに、腎が、生命力そのもの。

 



 

その後の変遷

 

ここからは、わたくしの「珍説」です。
決して、盲信しないでください。
賛同者は、いません。

人間の生命力は、「」に宿っている。
その腎は、「腰の上」にある。

のちに、ヒトは、ヒトを腑分けするようになります。
解剖ですね。
生命力をつかさどる「腎」は、どこにある?

すると、腰の上部に、ソラ豆型のモノが、左右に2つ見つかりました。
褐色で、表面は、キラキラ。

おお、ここが「腎」ではないか。
ここに生命力が詰まっているのではないか。
世紀の大発見。

その後も、知見は、つみ重なってゆきます。
ここは、オシッコも作っているのか。
それでは、水をあつかう臓器でもあるな。
腎とは、の首座なのか。

生命力そのものなのだから、生殖機能にも関係するはず。
血をつくるホルモンも、ここで作られるのか。

「腎」という「生命力」の概念が、「腎臓」と名づけられた臓器に収束してゆく。
腎といえば、腎臓。

でも、これは、のちの世のヒトの、カンチガイなのではないか。
古人は、腎臓という臓器をイメージしていなかった。
もっと、ダイレクトに、腰の力と把握していたのではないか。
生命力の腎のイメージと、臓器としての腎臓は、まったく別のもの
ここに、西洋の解剖学は別物。

腎の力、生命力は、あくまで「腰の上」に宿っている。
ここの腰力(こしぢから)こそが、腎そのものではないのか。
生命力とは、腰力を指すのではないか。
解剖に、ふりまわされない。
なにしろ、概念なんだから。

こんなバカ話は、聞いたことがないと思います。
わたくしの、個人的見解です。
ですから、珍説なんです。

 



 

 

 

あえて異論を

 

でも、人体の構造なんて、あとからついてきたものではないでしょうか。
解剖のはなし、ではないのです。
もっと純粋に、「腰の上」の力を信じていた、と考えられませんでしょうか。

無理に、臓器にこじつけない。
腰の上に宿ってる力、でいいじゃないですか。

人間は、腰の力を宿して、生まれてくる存在。
寝がえり、ハイハイ、立位、歩行。
これらすべての基盤も、腰の力です。

人間の活動のカナメは、腰の上の力。

ですから、腰の上の力がおとろえれば、動けなくなります。
それが、人生の終焉。

太古からの長い時間、こんなふうにに信じられてきたのではないでしょうか。

つまり、「」は、「腰の力」ということ。
その下を解剖して見つかった「腎臓」と名付けた臓器とは、別の概念です。
腎臓は、あくまで、西洋医学の範疇。

はい、まったくの、わたくしの理屈です。
ぜんぜん、認められた説ではありません。
ざれごと?



 

 

腰をさわる

 

骨盤上の腰の部分。
背中側の腰の部分。
そここそが、「」の宿っている場所です。

イコール、生命力が宿っている場所です。

ですから、シャキッと立ってみる。
そして腰の上を、意識してみます。

ゲンコをつくって、腰の両脇を、上下にゴリゴリ。
つづいて、左右に、ゴリゴリ。

これは、腰のマッサージではありません。
腎にを入れる行為です。
生命力を感じとる儀式です。

腰が、曲がってきていないか。
ずっと腰を曲げつづけていなかったか(座りっぱなし)。
腰は、痛くないか。
腰は、しっかりカラダを支えているか。

腰を意識し、腰ゴリゴリで、腰の反応を知ること。
これ、イコール、腎の活性化なり。

丹田という概念を使われる方がおります。
でも、丹田も、腰力なのではないか?
腰の奥が、丹田。

腎に元気が宿っていれば、何でもチャレンジできる。
走りも、しかり。

まさに生命力そのもの。
走力も、この中の一部。

なんていう説は、支持されないでしょうね。
でも、めげない。

 



 

たーさん
5行説 腎の力は 腰力(こしぢから)

 

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