前があったら、うしろ
人間は、生命力をもって生まれてきます。
生きる力。
オンぎゃーとなくところからはじまる力。
そして、命を支えつづける力。
これが、燃えつきたときが天命。
この「もって生まれた」生命力を、東洋の賢人は、「腎」と名づけました。
腎臓、という臓器を指すのではありません。
生命力という、概念です。
そして腎とは、すなわち「腰力(こしぢから)」。
腰の力。
からだを支える中心力。
これが、すなわち、命を支えてゆく中心パワー。
というのが、わたくしの珍説でした。
もって生まれる力「腎」。
なので、これを「先天の本(ほん)」ともいいました。
「先天」です。
そして、先天があれば、「後天」だってあるはずでしょ。
生まれてから輝きはじめる生命力のことです。
後天の本(ほん)
古人は、それを『脾』と表現しました。
脾(ひ)です。
腎ほど、メジャーな名前ではありません。
腎臓、といえば、コノあたり、と想像はしやすい。
じゃあ、脾臓は、となると腎臓ほどしっかりと指せません。
くらいの、存在でしょうか。
でも、それは幸いかもしれません。
やはり、脾も、西洋医学的な解剖学とは次元が異なります。
脾臓自体は、胃袋の左奥あたりに鎮座しています。
ですが、ここも腎とおなじ配慮が必要になります。
脾といっても、脾臓そのものとは、関係はありません。
たぶん、オナカで機能するもの、くらいの認識です。
脾臓という臓器は、あくまで西洋医学の命名した臓器。
東洋医学の世界とは、別モノ。
しつこくて、申しわけありません。
それでは、古人は、脾をどのようにとらえたのでしょうか。
まちがっても、解剖して発見した、ではありません。
しつこいですが、「概念」です。
具体的な臓器を指すのではありません。
脾の概念
古人がとらえていた「脾」の概念。
それは「たべる力」です。
(またまた、わたしの独断が入ってきます)
人間とは、たべて生きてゆく存在です。
オンぎゃーと生まれたあとは、オッパイをのむ。
ここから、自分で生きてゆく力のスタート。
ここから、はじまる生活力。
それを支える原動力が「たべる力」です。
なので、後天の本(ほん)となるわけですね。
たべることが、日々の活動の基盤。
ですから、たてるものが手に入らなくなったら。
それは、命にかかわる大事です。
老いて、たべることがむつかしくなる。
病気で、たべられなくなる。
紛争や貧困で、たべものを手にすることができない。
地球人口の3分の1は、飢えの環境におかれています。
これらは、みな生死と直面する状況です。
そして、5行説をうんだ時代も、です。
みんなが安定して、たべられたわけではありません。
たべる行為は、なんと貴重なものなのか。
たべる流れ
たべる、と一口にいっても、奥は深いです。
というのも、モグモグ・ゴックンで完結ではないからです。
たべたものが、ちゃんとオナカにおりてゆく。
ちゃんと消化・吸収されてゆく。
最後は、形をかえて、カラダから出てくる。
つまり、ウンチまで。
こういった一連の流れ。
これあっての「たべる」です。
この流れの、どこかがうまくゆかなくても、たべる行為は成り立ちません。
この一連の流れをつかさどる部位。
それは、オナカにありそうだ。
この機能をになう行為を「脾」といおう。
しつこいですが、わたくしの考える「脾」です。
そして、この一連の流れで、とくに大切なモノ。
日本という、「食」に不自由がない世界でのはなしです。
それは、「何をたべるか」です。
そうです、先天の生命力「腎」は、もって生まれた力です。
一方、後天の生命力「脾」は、生まれてから身につけてゆくものです。
その最大の観点は「何を、どうたべるか」。
今のたべかたが、脾の機能に反映してゆきます。
たべものの種類
たべられるものなら、何でもオーケー。
いえ、そんなことはありません。
何をたべるか。
意外に、大切なことです。
時代を、さかのぼってみます。
毒のあるもの。
いたんだもの。
こういうものは、ときに命を落とすことさえありました。
そこまでいかなくても、後天の生命力を弱める。
でも、時代はかわったんだよ。
今は、食の安全にうるさいじゃないか。
安全基準。
賞味期限。
そして冷蔵庫、冷凍庫。
そうでしょうか。
毒のあるもの、はなくなったでしょうか。
いたんだもの、はなくなっていますか。
たべすぎ。
さまざまな、人工物、添加物、保存料。
これらは、どうでしょうか。
カラダの毒になっていませんか。
カラダをいためてきませんか。
すぐに、命にかかわるわけではありません。
しかし、じんわりと、カラダをむしばんでいませんか。
ひろい目でみて、立派な「毒」や「いたんだ」ものになっていませんか。
時代は変わっても、直面する問題に変わりはないのかもしれません。
後天の生命力「脾」。
後天、というのは、生後、育ててゆかねばならない力です。
生後、学んでゆかねばならないものです。
自然に、機能してくれるものではないからです。
まちがった育て方をしてしまうと。
走りも、苦しくなってしまうかもね。
後天の 脾の正体は たべ力(たべぢから)
↓ よろしければ、清き1票をお願いします(1日ワンクリック有効)
にほんブログ村